プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

金彦仁重

2016-04-23 20:55:39 | 日記
1959年

投手力、とりわけ力で押さえる本格派にうえている南海に候補者が浮かんできた。野母投手が3点を献じたあと五回から登板して巨人の追加点をはばんだ金彦仁重投手がそれだ。すでに対広島オープン戦でも2イニングを無失点で投げている。このときにくらべて「球が速くなかった」(本人の話だそうだが。ともかく九回藤尾、竹下(右前テキサス)に打たれただけ。・・・1㍍78、72㌔の恵まれたからだ。横手から繰り出す直球は見るからに重そう。カーブ、シュートをまじえるだけのピッチングだが。球の出て来る角度が普通の投手と少し違っているのが効果をあげているようだ。さらにカーブによる高低の変化。直球による左右の幅を出しているため、巨人打線もちょっと打ちあぐんでいた。
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サディナ

2016-04-23 20:44:47 | 日記
1959年

初登板のサディナ投手は三回まで王の四球以外はきれいに三人ずつ料理、みごとなデビューぶりを見せた。四回の失点は無死から広瀬、半田の失策が足がかりになったもので、自責点にはならない。被安打の二本もよい当たりは十時の一、二塁間を破った一本だけという会心のピッチングだった。球種はスライダー、ナックル、カーブと投げ分けていたが、投球は上手、横手の二刀流。とくにサイド・ハンドからのピッチングは手首が強いだけにスピードもあり、心配された制球難も見られなかった。鶴岡監督も「サルは一線級だ。これで投手陣のめやすはついた」と大喜びだった。また柚木コーチは「下半身がやや弱い感じだ。コントロールに難があるというのもそのためだろう。投球はいくぶん高目に集まるようだが、低目のコントロールをマスターすることだ」と語っていた。
ーきょうの調子は。
サディナ まだ半分くらいの力だ。寒いのでおもに直球ばかり投げたが、これからフォークボールやパームボールも投げる。
ー自信がついたか?
サディナ ハワイより日本の選手のほうが上手だからこれからいろいろ教えてもらう。今シーズン15勝する自信はある。
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鹿谷幸和

2016-04-23 20:02:30 | 日記
1959年

西鉄ライオンズは、四日の杉町投手の契約につづいて、五日午後十時半、福岡市天神町の球団事務所で鹿谷幸和(よしかず)投手(18)=浪商高=の正式入団を発表した。鹿谷投手は全国高校野球界の古豪と知られる浪商のエース。杉町と同じく1㍍80の巨体からの豪速球を武器とする本格派。昨年春の選抜大会には、出場権を得ながら在校生の非行問題で出場辞退し夏の大会でも池上投手がいたため甲子園のマウンドを踏めなかったが、今春の選抜大会には自らの右腕をもって、念願の甲子園出場を果たし、一回戦で地元芦屋高と対戦、近く西鉄入りが決定する安藤に投げ勝って7-4で下している。同投手のプロ入りにあたっては長男であるため、最初は両親が強く進学を希望したが、豪放な西鉄のチームカラーに魅力せられた同投手が強引に説き伏せたもの。高校時代の記録としては昨年滝川高(神戸)との試合につくったノーヒット・ノーランが一回。東映の山本八とは入れちがいだったが、張本とは一緒にプレーしている。この日父親新太郎氏母親千鶴子さんとともに球団事務所で契約調印した同投手は記者会見にのぞみ「自信はあります」ときっぱり一言。三原監督も「甲子園の仲間に負けぬように・・・」と激励しながら相つぐ大物新人の入団に満足顔だった。

三原監督の話 杉町君につづいて素質のある有望新人鹿谷君の入団をみたのはうれしい。鹿谷君のピッチングは一度見たことがあるが、非常に気力のある投手というのが印象的だった。第二次黄金時代の一環となってくれるのを期待している。

鹿谷投手略歴 昭和十六年五月十五日生まれ、大阪市敷島中、浪商中から三十二年浪商高に進学、一年から投手だった。名門校だけに二年までは池上投手のカゲにかくれたが、三年でエースになり、今春の選抜大会に出場した。今夏は予選前に右足を火傷、泉大津に敗れる番狂わせを演じたが、投げおろしの速球を武器とする本格派。1㍍80、73㌔、右投右打。現住所=大阪市西淀川区柏里町
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小松輝清

2016-04-23 19:31:28 | 日記
1959年

高校野球界のホームラン王とまでいわれた元大淀高小松輝清一塁手(18)の阪急入りがこのほど内定した。同選手は昨年一シーズンで16本(うち2本が練習試合)のホームランを記録したが、ことしの二月練習中に右足アキレスケンを切り、今春いらい公式戦には出場せず、さる六月、大淀高を退学して自宅で治療していた。同校佐村野球部監督の話によると、来シーズンに備えて来年四月に再入学させるつもりだったという。しかし、小松選手の打力に注目した阪急、毎日、巨人は四月ごろから勧誘の手をのばしていた。なお、契約は十一月になるもよう。1㍍77、74㌔、右投右打。

小松輝清選手の話 長い間、足を痛めて治療していたが、やれるという自信がついたのでプロ入りを決心した。阪急を選んだのはもともとこのチームカラーが好きだったのと、また甲子園いらいお世話になった阪急丸尾スカウトの再三のすすめからです。競争相手の多いプロ野球と聞いていますが、入ったからには全力を尽くしてやるつもりです。高校時代、ホームランを打っていたからといってプロではすぐ通用はしないでしょうが腕力には自信があるので、存分に振るってみようと思っています。
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レイ

2016-04-23 18:41:25 | 日記
1974年

日本ハムに入団したテレンス・リチャード・レイ投手(27)=3A・ハワイアイランダース=は六日午後四時五十七分、羽田着の日航機でマリリン夫人とともに来日した。183㌢、86㌔、左投げ左打ち、背番号3.これで一足さきに来日したケキッチ投手(3A・スポーケン・インディアンス)とともに元大リーガーの両左腕がそろったわけで、中西監督は「ウチの弱点だった投手陣のアナは埋まった」と後期に意欲満々だった。レイは羽田から後楽園球場に直行、球場内の特別室で記者会見した。会見には三原社長、中西監督それにケキッチも加わった。レイは「得意な球はスピードボール。日本の野球のことはほとんど知らない。この二週間ほどチームを離れて一人でランニングをやるていどの練習しかできなかったのですぐに練習をしたい。三、四日あれば投げられるようになると思う。できるだけ多くの試合に投げたい」と大張り切り。何勝が目標かの質問には「相手チームのことなどが全然わからないので断言できない」と慎重な答えだった。オレゴン大出身、大リーグ経験は1971年にヤンキースに一年いただけで勝敗なし。その後ポートランド・ビーバース(3A)を経て昨年からハワイアイランダースに在籍していた。今季は11試合(55イニング)に登板して2勝5敗。ヤンキース時代のチームメイトだったケキッチへ「彼はひじょうにコントロールがいい投手だ」と語っている。契約期間は一年半。
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高須正美 大西忠

2016-04-23 18:24:39 | 日記
1970年

阪急は二十七日午後二時から大阪市北区高垣町の中畑事務所でドラフト会議で指名した土浦日大高の高須正美一塁手(18)=1㍍82、84㌔、左投げ左打ち=。同校大西忠外野手(17)=1㍍76、73㌔、右投げ右打ち=両選手の正式入団を発表した。
高須一塁手は超ド級の体力を生かし、左打者の貴重さも加えたスラッガー。三年間での通算本塁打は32本で通算打率も4割2分1厘と高率。また百㍍12秒1の俊足でもある。
大西外野手は百㍍12秒0という足の速い中距離ヒッター。通算アベレージは4割5分7厘でホームランも8本を記録。性格が非常に勝ち気な点も買われている。
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三宅昇

2016-04-23 18:17:28 | 日記
1970年

阪急ブレーブスは九日午後三時から大阪・梅田の球団事務所でドラフト九位の西濃運輸、三宅昇外野手(24)=1㍍81、80㌔、右投げ右打ち、報徳学園ー中大=の正式入団を発表した。阪急の外野陣は小型化しつつあるので、三宅は大型打者として期待されて獲得した新人。三十九年報徳学園の三年にセンバツ出場、中大を経て四十四年に西濃運輸入社。ノンプロに年間はつねに四番打者として活躍、本年度のアベレージは25試合で本塁打7本、打率3割2分。打球は中堅中心に飛ぶスラッガー・タイプで、神宮のバックスクリーンへたたきこんだことがある。足も速くベースランニングは一周14秒3を記録している。
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石井高雄

2016-04-23 18:12:39 | 日記
1970年

広島東洋カープは九日、ドラフト会議で3位に指名した石井高雄外野手(19)=柳川商高、171㌢、70㌔、右投げ左打ち=の入団を発表した。同選手は在学三年間で通算4割2分。40ホーマーをマークした。からだにこそ恵まれないが、バッティングに柔軟性があり、ツボにくれば一発の力を持っている。百㍍12秒6と足も速い。左打者の少ない広島にとっては貴重な戦力になりそう。

藤井スカウトの話 三拍子そろった好選手で、ことしの九州高校球界ではナンバー1の打者といっていい。左右どちらへでも打てる器用さがあるうえに一発の力もある。楽しみの多い選手だ。

石井選手の話 プロにはいるのが夢だった。念願がかなってうれしい。プロの力はわかりませんがとにかく相手からきらわれる中選手(中日)のようなタイプを目ざしたい。
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古川治夫

2016-04-23 18:04:00 | 日記
1970年

南海がドラフト七位に指名した埼玉県立川口工・古川治夫内野手(19)=1㍍82、72㌔、右投げ右打ち=は二十八日、入団を了承、仮契約をした。同選手は日通浦和に就職が内定していたが、担当の柚木スカウトが川口市原町226の自宅を訪れ再三説得した結果「プロでやる自信がない」を翻意しプロ入りに踏み切った。同日午後二時、柚木スカウトが自宅を訪れ父親秀松さんらの立ち会いで同選手と仮契約した。
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大屋好正

2016-04-23 17:55:11 | 日記
1975年

二十四日、太平洋クがドラフト三位で指名した専大・大屋好正投手(22)の入団が決まった。担当の毒島スカウトが二回にわたって同投手に太平洋ク入りを説得した結果、本人が意思表示したもの。大屋投手は右の本格派で、専大三年生のときの秋のシーズンからエースとして活躍、当時、東都大学で二部だった専大を一分に復帰させる原動力となった。四年生春秋シーズンの3シーズンの成績が14勝11敗、防御率が1・70だった。

大屋投手の話 はじめはどこまでやれるか自信がなかったが、周囲にプロ入りをすすめられて決心した。太平洋クはやりがいのあるチームと思っている。ぼくとしては、もうひとつスピードをつければプロでやれる確信がある。武器はシュートとカーブだ。
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鬼頭洋

2016-04-23 17:49:19 | 日記
1975年

【大洋】鬼頭洋投手(32)が今季限りで退団する。シーズン中、ヒジ、腰痛でファーム落ちしていた同選手は十七日、東京、京橋の球団事務所に呼ばれ、横田球団社長から「来季の構想に入っていない」と任意引退の宣告を受けた。同選手は体力的に限界を感じ以前から退団の意思はあっただけに、すんなり承諾、近く新しい職場を見つける。
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横山昌弘

2016-04-23 17:43:36 | 日記
1958年

中日ドラゴンズでは15日午後、同球団事務所で大昭和製紙の横山昌弘左翼手(23)=静岡商、明大卒=と正式契約を行った。1㍍74、70㌔、右投右打。同選手は大昭和で3番を打ち、強いリストで左右に打ち分ける中距離打者。32年の米国デトロイトのノンプロ世界選手権で4番を打ち、ことしの産業対抗大会では5割をマークした。

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