プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

荒武康博

2016-04-12 23:04:53 | 日記
荒武康博選手

1981年
・15年前の夏の甲子園大会でベスト4に残った報徳学園の捕手、ドラフト2位で西鉄ライオンズ入りした荒武康博が、現役を引退して丸10年、6度目の挑戦でついに
ゴルフのプロテストに合格した。10月29日、栃木県千成CCで150人が出場して行われた秋季関東プロテストで12位に入ってパス「合格者は15人」。先輩である尾崎将司宅に泊まり込んでの猛特訓がようやく実を結んだ。荒武は「合格したといっても、すでに33歳だし焦らず1試合でも多く出場するように頑張りたい」と謙虚に抱負を語った。
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グルンワルド

2016-04-12 22:11:48 | 日記
1962年

大洋入りが決まっていたカンザス・シェルフポートのアルフレッド・H・グルンワルド選手(31)は五日に来日、六日東京永田町のグランド・ホテルで正式に契約を完了した。身長1㍍92、体重95㌔のグリンワルドが木下球団重役、矢野事務局長らとともに姿を表わすと報道陣からいっせいにため息がもれた。「でっかいなあ」。三十一歳のオールド・タイマーだけに若々しさは感じられないが、ぜい肉が少なく、腰が太いスポーツマンらしいからだつきはグ選手の方向性を物語っている。グルンワルド、通称グリニーは1930年2月13日のロサンゼルス生まれ。同市のフリモント・ハイスクール時代から野球をはじめ、1947年にフロリダのD級チーム、ルイスバーグに入団してプロ選手として第一歩をふみだした。一塁手、外野手、投手とたくさんのポジションをこなす万能選手だが、55年にはパイレーツの投手として大リーグの舞台をふみカージナルス相手のリリーフで好投したこともある。(左投げ左打ち)。シェリフポートでの昨年の成績は11勝10敗。打撃面で本塁打10本を放っている。大洋では投手として使うといっているが、武器はスリーコーターからの速球、チェンジアップ、カーブ、ナックルと正統派で多彩なタマをもっている。七日夜の飛行機でただちに東京を発ち、下関でチームと合流する。背番号は67。

グルンワルド選手の話 気候が悪かったのでこのところ練習をしていないが、十日あるいは二週間ぐらいで復調できるだろう。日本のプロ野球についての知識はヤンキースといちど対等に試合をしたと聞いているていどだ。じきに慣れると思うが全力をつくすつもりだ。もっともミケンズ、バウアー、ボトラ、テスタら日本でプレーをした米国選手とは仲間だったことがある。ポジションは投手でも野手でもどちらでもいい。打撃はときどきスラッガーというところだ。あとから来るマクマナスはビッグ・リーグでプレーできる。
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井上幹夫

2016-04-12 21:54:04 | 日記
1979年

阪急に左の秘密兵器がいた、梶本監督はきょう十一日、長崎でのオープン戦第六戦(大洋)で秘密兵器のベールを脱がせる予定である。この男は、ことし福岡・あけぼの通商からドラフト外で入団した井上幹夫投手(21)=佐賀学園高出身ー。阪急期待の二年目の左腕松本がオープン戦二試合のテスト登板でいずれも四球連発の大乱調。「ことしはもうダメだ」と断言する首脳陣も現れ、足踏み状態を続けている中で、一躍白石につぐ第二の左腕として浮かび上がって来た。174㌢、68㌔と小柄だが、スリークォーター気味の変則左腕から繰り出すクセダマを武器に、二月末の紅白戦で一軍相手に二試合4イニングを投げ、被安打3、失点1の好投を示し、九日の九州遠征から一軍のオープン戦に引き上げられた。井上は「一軍に連れて来てもらったことさえ信じられないのに、登板させてもらえるなんて」と登板予定の知らせに目を白黒。「武器といっても球種は真っすぐとカーブとシュートの三つだけ。ほんとに登板させてもらえるんですか」と驚きとうれしさが入りまじって半信半疑。だが、梶本監督は井上の戸惑いをよそに「白石は先発型、松本と井上にリリーフとして働いてもらわねばならん。松本が伸び悩んでいる状態で、ぜひとも井上はワンポイントはやってもらわねば」と本番の左ひねりを予測した即戦力候補としての重要なテストであることを告げた。上場地区と呼ばれる佐賀県東松浦郡肥前町から初めてのプロ野球選手。農家の六人兄弟の末っ子。「体はないし、不安はあったけど、自分の力を一度は試してみたくて」とあけぼの通商で三年間を過ごしあえて飛び込んだプロの世界だ。同期にことしドラフト二位で西武入りした柴田がいる。ノンプロ時代はエース、準エース格としてしのぎを削った仲。そのライバルがアメリカキャンプで脚光を浴びつつある。井上は「ライバル意識なんてありませんよ。人は人、いまの僕は自分のことだけで精いっぱい。ほかのことを考える余裕はないです。」と突っ張ったが、チームのライバル松本の前日のオープン戦の成績を「どうでした」と即座に問い返してきた。小さな体に口には出さぬ負けん気がほとばしる。ドラフト外の無名の男が、甲子園優勝投手、ドラフトナンバーワンを蹴落として一軍キップを手に入れるか、楽しみな上場っ子投手の初登場である。
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簾内政雄

2016-04-12 21:33:05 | 日記
1969年

別所監督がことしのローテーションに入れたいという若手の一人簾内が先発した。同監督がわずか二年生の簾内をとくに公式戦で、先発投手に使いたいと期待しているだけあって、投げ方が本格派投手である。オーバーハンドで投げおろす低めの直球はのびがある。また、ドロップぎみのカーブは落差が大きいので、打者にしてみれば、曲がる前でたたくか、落ちてから打つか、ポイントをどちらに置くか迷わされる。ブレーキの鋭い、あの大きなカーブは、簾内投手の武器になるだろう。だが、いくら大きなカーブでも、ストレートにスピードがなければ、打者はカーブにマトをしぼってかかれるから、得意なカーブでも、効力が半減されるという。その点、簾内の直球は、キレがよく、両サイドに決まるので、彼のカーブは、打者にとっては脅威のカーブとなるだろう。五回投げて樋口の左前テキサス安打、トーマスの左翼線二塁打の二本しか許さなかったところをみても、実力のある投手だろう。しかし、六回から南海の選手になれられたのか、投手の西岡、高橋、富田と若い人たちにホームランされた。これは、キャンプからの疲れもあるだろうが、急激にスピードが落ちるところをみると、彼本来のスタミナ不足に原因があるのではないかとも思える。だが捕手が直球、カーブと交互に投げさせる単調なリードを改めてうまくリードすればことし一本立ちできるだろう。
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