プロ野球 OB投手資料ブログ

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島津佳一

2016-04-16 13:05:00 | 日記
1974年
・「オイ、見てみろ。あいつ・・・。あの走り方、スピード、バネといい、面構えといい、たのもしい奴だと思うな」1月24日、バッテリー主体の自主トレが多摩川グラウンドで始まった日に、中西監督はこういって、一人の選手を指さした。なるほど、走り方も、スピードも申し分ないが、打つ投げるはもちろん、ボールも握らないうちから「ものになる」と看破した中西監督。だが正直いって176センチ、75キロ。外野手としては小柄なルーキーがいくら頑張ろうと、左から張本、白、千藤と並ぶ外野の顔ぶれ。内野ならともかく、外野では少々のことでは入り込む余地がないと誰もが考えただろう。一方、いったんホレ込んだ中西監督は放ってはおかない。岩本コーチに指示してマン・ツー・マンの打撃練習が始まっていた。シート打撃、紅白戦での最高打率に近い好打はもちろんだが、ホレ込んだのは無類の強肩と俊足。左翼線、右翼線と深いところに転がった打球を捕るや振り向きざま二塁ベースに「ストライク」の返球だ。もともと守備のいい外野手が少ない日本ハム、よけいに好守が目立つ。ある日、島津の肩をポンと叩いて中西監督がいった。「オイ、先発で行くぞ。思い切り打っとけよ」3月3日、名古屋での対・中日戦、日ハムにとって初のオープン戦の試合前だった。8番ライト・島津。いわゆる「ライパチ」ではあったが、2打席目、レフトにクリーンヒット。「あのヤロー、走り方は遅そうだが、随分スピードがあるね」と中日ベンチでつぶやいたのが足には自慢の谷木、井手らだった。「バッテンイングは、まだまだですが足だけは誰にも負けません」島津が堂々と言い切るには理由がある。物心ついて以来、競争して負けた記憶がないという。右打者なのに一塁ベースまで3秒、ベース一周が13,4秒というから巨人の俊足コンビ柴田、高田より確実に速い。阪急・福本の黄金の足に匹敵する。「たしかに超一流品です、彼の足は・・・。ただ盗塁技術となるとまだ勉強が必要ですから」シーズン85盗塁の記録を持つ河野コーチは目を輝かせながら、こういうと同時にリード、帰塁、スライディングの技術などを暇さえあれば伝授する。
自主トレ前夜から2ヶ月たったいま、島津は「先輩をかきわけ、蹴落としてでもポジションを取りたい」と執念の炎を燃やす。その理由が2つある。正式にプロポーズしてないが「その日」を一日も早くと待っている幼なじみの恋人が郷里の別府にいる。「一日も早く一人前にならないとプロポーズもできない」というのだ。もうひとつは「日本ハムが指名してくれたと知った時、うれしくて・・・。そしていま、みんなから期待されている。このチャンスを逃してなるものかと思うのです」郷里の恋人とプロ野球という恋人を追い求めて、やっと開けようとする道。そう語る時の島津の真っ黒に日焼けしたその顔の目は、ウサギのように優しく微笑んでいたが、彼も九州男児である。いつ、どうしてできた傷かは黙して語らないが、ヒタイから後頭部にかけて一直線に走る切り傷の跡。九州男児の気性の激しさを語る勲章である。
コメント
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