プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

佐川潔

2021-11-20 11:33:51 | 日記
1989年

ドラフト3位、契約金4500万。140㌔のストレートとカーブ、フォークが武器。1年生の秋からエースで、昨春の県大会の大館南高戦でノーヒットノーランを達成。甲子園出場の経験はないが、東日本の高校球界屈指の好投手。

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武内淳二

2021-11-20 11:30:07 | 日記
1988年 

ドラフト5位、契約金2500万、真っ向から投げおろす140キロのストレートは魅力。粗削りだが、3、4年先きは戦力になるか。昨年夏の徳島県予選ではベスト4まで進出。準決勝で優勝した池田高に敗れた。公式戦では7回コールド13奪三振がある。 

名門・鳴門商出身の大型投手。186㌢の長身から繰り出される速球が武器で、高校時代、公式戦で1試合13奪三振(7イニング)の記録も。まずは、基礎体力の強化に専念。プロの体をつくること。 

1989年 

プロ1年間でフォーク、スライダーと球種を増やし、さらに米教育リーグで厳しい実戦も積んだ。今年はそれを実らせたい。
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松村高明

2021-11-20 11:26:05 | 日記
1987年

四国の雄・池田高では控え投手に甘んじてきたが、その直球は本物だ。140キロ台を誇る。ただ、制球力に難あり、と高校時代は二番手にされていたに過ぎない。粗削りだが、体力も十分。「将来は遠藤さんのように三振のとれる投手に」と抱負を語る。古葉監督も沖縄キャンプ組に編入して期待をかけている。四国の先輩、中山に続け。


1988年

自慢は終息138㌔余を誇る直球にカーブ、スライダー。ちょっと荒れ気味だが、マウンドに立って生きのいい球が投げられる実戦派だ。やんちゃ坊主のような表情を残す松村。口数は多いが、負けん気は人一倍、練習もきちんとこなしていく。「今年の夏ごろまでには一軍に上がりたい。中継ぎで力を発揮したい」と欲を表面に出してきた。

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樽見金典

2021-11-20 11:23:49 | 日記
1987年

樽見はキレのいい直球とカーブ、スライダーのコンビネーションがいい。もともと、内野手だったせいか、フォームが素晴らしくきれい(九州地区担当の松本スカウト)

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田中健二

2021-11-20 11:18:43 | 日記
1982年 

右の本格派、田中の調子がカギを握っている。 

1983年 

ドラフト外、契約金200万。昨年のテストに合格。フォームに安定感がある。まだ、海のものとも、山のものともわからないが、これからの努力しだいでは通用するかも。 

1989年 

昨年秋の沖縄キャンプへテスト生として参加、大洋入りした。「必ず試合で投げられる力があるのだから」と広島での打撃投手時代、達川に励まされたと言う。カーブ、シュートの切れ味が武器だ。試合経験を積めば即戦力だ。
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松村高明

2021-11-17 10:01:37 | 日記
1986年 

池田の控え選手、松村高明投手(三年・加茂谷中出)が小松島打線を相手に、 七回までの参考記録ながらノーヒット・ノーランを演じた。「余分な球は1球も投げさせなかった。変化球は、スライダー一つだけで、あとは全部ストレート」(藤原捕手)というように投球数111のうち、110球までが直球だけという徹底した力の投球。小松島打線は、この速球にバットが合わず、四球と失策の走者六人を出したが、毎回の13三振を奪われ、打球も外野へ飛んだのは1本もなく、内野ゴロ7、一塁ファウルフライ2という内容で完全に力負け。高校野球に金属バットが採用されたここ十年来、打高投低現象が続き、夏の大会の無安打無得点試合は、三十七年夏の鳴門・白石静生投手(元広島、阪急)が徳島工に5-0で勝って以来。七回までの参考記録は夏の大会では初めて。最も新しい記録は五十七年秋季大会で、池田の水野雄仁投手(巨人)が小松島西相手に1-0で達成している。無安打に封じたとはいえ、簡単に四死球を5個も出したのは反省材料。本人もそのことは十分承知しており「三振を取ろうと意識して力みすぎた」という。公式戦での記録達成に「一生懸命練習してきたのがよかった」と、にっこり。蔦監督も「きょうは松村がようほった」と及第点。松村は「梶田を助けて、いつでも投げられるようにしていきたい」と優等生の答えがかえってきた。
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宮地克彦

2021-11-17 10:01:37 | 日記
1989年 

西武がドラフト四位で指名した宮地克彦投手(18)(尽誠学園高、左投げ)は、球団と仮契約を結び契約金三千万円、年棒三百六十万円で、入団が内定した。今ドラフト指名選手の中で入団第一号。今夏の甲子園ベスト4進出の原動力で、140㌔台の速球とカーブが武器。宮地は「緊張したが、自分でサインした時は感動した。これで肩の荷が下りた」とホッとした表情。 

宮地は速球とカーブの組み立てで三振も取れる本格派。
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上田貞人

2021-11-17 09:54:46 | 日記
1981年 

チームの充実の要因は投打の中心・上田の成長。186㌢、76㌔の体格から投げる速球、カーブは相当の威力がある。春先までの気負いから自滅という悪いパターンも制球力の克服、打者を早く追い込む投球術を身につけ、影をひめた。

 1回戦に続き連続コールドで大勝した新田。1回戦では登板しなかったエースの上田がマウンドに上がった。セーフティー・リードを奪い五回で降板したが、打席に立って二、三塁打を放ち3打数3安打2打点の猛打。文字通り投打に活躍した。上田は大会直前に室内練習中、右手中指のスジを痛め、1回戦は登板を見合わせた。この日は徳田監督から「コントロールだけ気をつけろ。フォアボールを出したら代える」と予告され、五回に四球を与え予告通り降板した。上田は「きょうは球が走らなかったので、低めに投げた。指はほぼ完全に治った」と復調ぶりを話し、徳田監督も「スピードはまあまあだったし、次の試合のメドがついた」とニンマリしていた。
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馬場哲也

2021-11-16 21:17:59 | 日記
1987年 

阪神がドラフト外で小山2世を獲得。渡辺スカウトは23日午前11時、大分・竹田市内の料亭で竹田高・馬場哲也投手(18)=180㌢、68㌔、右投右打=、と父・今朝夫さん(59)=農業=を訪ね、契約金1800万円、年棒360万円(いずれも推定)で仮契約を完了した。同投手は双子の兄・啓四郎君の控え投手だったが140㌔の速球と大きなカーブを武器に、6月の県大会対国東戦で14三振を奪い注目を集めた。渡辺スカウトは「まだ未完だが将来は小山さん(正明氏、現評論家)のようにしなやかな投手に育って欲しい」と期待している。
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栫政彦

2021-11-16 19:32:36 | 日記
1983年 

左の本格派栫を中心としたチーム。彼は速球、カーブがコンビネーションよく決まると、そう打たれない。特に落差のある内角のカーブは威力十分。
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戸塚友行

2021-11-16 19:27:36 | 日記
1983年

エース戸塚は右の本格派で、伸びのある速球と切れのよいカーブで勝負する。制球力も抜群で、一試合平均11個の三振を奪ってきた。

右の本格派として注目された古河一の戸塚友行投手。大宮工打線を4安打2失点に抑え、まずまずのスタートを切ったが、一試合平均11個の三振を奪ってきた割に三振5つは何とも寂しい数字。「肩がしっくりこなくて直球、カーブともまだまだでした」と反省の弁。大会前の調整がうまくいかなかったらしく、試合後も盛んに肩をならしていた。それでも長身から投げ下ろす速球の威力は十分。大宮工の大振りに助けられはしたものの、振り遅れの打球がかなり右方向へ飛んでいた。速球派投手にありがちな制球難もみられず、つり球以外はほとんど低めに構えるミットの中へ。「次はベストコンディションでベストピッチを」と完封を約束した。

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大串尚弘

2021-11-15 22:02:25 | 日記
1978年 

エース大串は大きくまがるカーブと伸びのあるストレートを武器とする右の本格派。
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青野信二

2021-11-14 08:21:22 | 日記
1988年 

右の本格派。伸びのある直球に加えてカーブなどの変化球もいい。今夏の甲子園県大会決勝戦まで進出し、津久見を苦しめた。クリーンアップを打ち、長打力を秘めた打撃センスも高く評価されている。179㌢、72㌔。 

青野信二選手の話 西武に4位で指名されたことを6時限目の授業中に先生から聞きました。複雑な心境です。西武は球団がしっかりしていて強いチームなので好きですが、プロでやれる自信はあまりありません。新日鉄大分に就職が決まっているので、家族や新日鉄大分の監督さんなどと話し合って入団するかどうか決めたい。
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小林和公

2021-11-12 16:15:00 | 日記
1988年


千葉大学野球リーグから三人目のプロ野球・小林選手が誕生ー。ドラフト外でヤクルトに入団が決まった淑徳大・小林和公投手(22)が八日、三上浩監督とともに入団のあいさつのために本社を訪れた。千葉大学野球リーグからプロ入りしたのは、千葉大から東映(現・日本ハム)に入団した稲垣、千葉商大から広島に入団、現在守備走塁コーチを務める小林正之に次いで三人目、十年ぶりのプロ野球選手誕生となった。小林和公投手は左投げ左打ちで群馬県・前橋商から淑徳大に入り、身長183㌢の長身からの速球を武器に同大のエースとして活躍。ヤクルト球団も梶間投手らが抜けた後だけに左の本格派投手として期待されている。


本社を訪れた小林投手はグレーのチェックのスーツに身をつつみ「希望のプロへ行けてうれしい。これからは一生懸命努力して一日も早く一軍で投げてみたい」と抱負を語れば、神崎本社運動部長も「ケガをしないように一日も早くプロの厳しさに慣れて一軍でプレーできるよう頑張ってほしい」と激励、ガッチリ握手を交わした。小林投手は群馬県出身で、小学校三年の時から野球を始め、中学を卒業後、地元の名門・前橋商へ入学。この時から投手としてマウンドへ立つようになった。同校ではエースの陰にかくれて公式戦でもほとんど投げていないものの、長身から投げ下ろす速球には光るものがあった。この速球に目をつけたのが淑徳大・三上浩監督。「140㌔以上は出ていたし、体もいい、粗削りだがリーグ戦形式の大学よりプロ向きの投手だ」と直感したという。淑徳大に入学した小林投手に三上監督は「速い球を投げることだけ考えろ」と指示。その球は150㌔近くの速さまでになった。四年間の大学での成績は、バックのエラーや打撃不振などの不運もあって45試合で5勝17敗と決して良くないが、奪った三振は163と多い。今年九月下旬にヤクルト球団のスカウトが球場へ訪れ小林投手を見て入団の打診があったという。父親の和男さん(53)がファンだったヤクルトへの入団が決まり小林投手は「これからはプロ。厳しくなると思います。しかし上だけを見て一日も早く一軍へ行けるように頑張りたい。目標は江夏さんのようにアウトコースの速い球で三振を取れる投手になり、巨人を相手に投げてみたい」と語る。育ての親の三上監督も「もっと走り込みをして下半身を鍛え、落ちるボールを覚えてくれれば十分通用するのでは…」と語っている。ヤクルト球団でも、左の梶間などが現役を退き貴重な左の本格派として小林投手に寄せる期待は大きく、安田スカウトも「球も速いしまずは体を作れ」と激励されたそうだ。小林投手はすでにヤクルト球団と契約金千八百万円、年棒四百万円(金額はいずれも推定)で仮契約を交わしており、十五日に本契約を結び正式発表することになっている。

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古賀英彦

2021-11-12 15:58:38 | 日記
1961年 

近畿大の古賀英彦内野手(22)(法学部四年、熊本工出)は二十一日西宮球場で巨人入りを明らかにした。近日中に正式契約する。同選手は投手、内外野をかねる万能選手。三十四年春のリーグ戦でノーヒット・ノーランを記録、今春のリーグ戦では打率・571で首位打者になった。身長1㍍78、体重75㌔、右投げ、左右打ち。
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