1961年
川内のワンマン・チーム。勝つも負けるも川内の調子次第だ。川内は1㍍80の長身から投げ下ろす速球が武器。だが中学時代、全国放送陸上の三段飛びで優勝するほどいいバネを持っていながら、腕だけで投げるクセが抜け切れないようだ。低目に速球が決れば容易に打ち込めまい。この川内は打っても四番の重責をにない、3割2分をマークしている。
長崎西の川内投手が7回までだったが、完全試合をやってのけた。北松南をノーヒット・ノーラン、大村を3安打、無得点と連続完封している川内はこの日も自信満々。前半は速球にスピードがあまり落ちずに曲るスライド気味のカーブを有効につかい、後半は投球数の八割までカーブでこれが心にくいまでよく決まり七回まで三人ずつきれいに片づけた。自軍の打棒が大いにふるい7回コールド・ゲームで五島を降したため正式な完全試合とはならず、参考記録に止まったのは惜しまれるが、今大会の川内は全く好調、現在まで21回投げて被安打はわずか3、奪った三振35で、無失点という立派な記録。当たらないといわれた打線もオーダーを組みかえたのが成功、中心打線がよく打って選手御手洗を4回でKOする猛攻ぶりだった。
川内投手の話 調子としては大村との試合の方がよかった。走者を出していないということはわかっていたが、特別意識はしなかった。しかし終ってみると欲が出て九回まで投げてみたかった。
代表校に決った海星・長崎西はいずれも池辺、川内という本格派の好投手をようするチームである。この両投手が実力を十分発揮、相手打線に乗ずるスキを与えず、代表校決定の原動力となった。
川内は北松南をノーヒット・ノーラン、大村を3安打無得点、五島を7回までの完全試合(コールドゲームのため)諫早を5安打1点に押え、諫早との試合で最終回三塁失が原因となって1点を失うまで33イニング無失点、奪った三振数42、与えた四球6という立派な成績を残した。昨秋からことしの春にかけての川内は腕だけで投げるピッチングでせっかくいいバネを持ちながら生かせなかった。このため昨秋、今春の九州大会県予選でも地区予選で敗退する有様だったが、今大会の川内は完全とはいえないまでも身体をかなりよく使うようになっており、見違えるばかりのピッチングだった。もっとも効果のあったのはさしてスピードがおちずに低目に決まるスライド気味のカーブで、このコントロールが非常によかった。しかしあまりカーブを多投するきらいがある。せっかくの決め球もしょっちゅう投げては威力が薄くなるし、カーブを投げすぎると直球のスピードがおちてくるものである。しかし立派に立ち直ったのは本人の努力のたまものであり、本大会に関する限り池辺に優るとも劣らぬ出来だった。