プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

川内工一

2021-11-12 15:53:55 | 日記
1961年 

川内のワンマン・チーム。勝つも負けるも川内の調子次第だ。川内は1㍍80の長身から投げ下ろす速球が武器。だが中学時代、全国放送陸上の三段飛びで優勝するほどいいバネを持っていながら、腕だけで投げるクセが抜け切れないようだ。低目に速球が決れば容易に打ち込めまい。この川内は打っても四番の重責をにない、3割2分をマークしている。 

長崎西の川内投手が7回までだったが、完全試合をやってのけた。北松南をノーヒット・ノーラン、大村を3安打、無得点と連続完封している川内はこの日も自信満々。前半は速球にスピードがあまり落ちずに曲るスライド気味のカーブを有効につかい、後半は投球数の八割までカーブでこれが心にくいまでよく決まり七回まで三人ずつきれいに片づけた。自軍の打棒が大いにふるい7回コールド・ゲームで五島を降したため正式な完全試合とはならず、参考記録に止まったのは惜しまれるが、今大会の川内は全く好調、現在まで21回投げて被安打はわずか3、奪った三振35で、無失点という立派な記録。当たらないといわれた打線もオーダーを組みかえたのが成功、中心打線がよく打って選手御手洗を4回でKOする猛攻ぶりだった。 

川内投手の話 調子としては大村との試合の方がよかった。走者を出していないということはわかっていたが、特別意識はしなかった。しかし終ってみると欲が出て九回まで投げてみたかった。 

代表校に決った海星・長崎西はいずれも池辺、川内という本格派の好投手をようするチームである。この両投手が実力を十分発揮、相手打線に乗ずるスキを与えず、代表校決定の原動力となった。

川内は北松南をノーヒット・ノーラン、大村を3安打無得点、五島を7回までの完全試合(コールドゲームのため)諫早を5安打1点に押え、諫早との試合で最終回三塁失が原因となって1点を失うまで33イニング無失点、奪った三振数42、与えた四球6という立派な成績を残した。昨秋からことしの春にかけての川内は腕だけで投げるピッチングでせっかくいいバネを持ちながら生かせなかった。このため昨秋、今春の九州大会県予選でも地区予選で敗退する有様だったが、今大会の川内は完全とはいえないまでも身体をかなりよく使うようになっており、見違えるばかりのピッチングだった。もっとも効果のあったのはさしてスピードがおちずに低目に決まるスライド気味のカーブで、このコントロールが非常によかった。しかしあまりカーブを多投するきらいがある。せっかくの決め球もしょっちゅう投げては威力が薄くなるし、カーブを投げすぎると直球のスピードがおちてくるものである。しかし立派に立ち直ったのは本人の努力のたまものであり、本大会に関する限り池辺に優るとも劣らぬ出来だった。
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篠田淳

2021-11-12 15:26:49 | 日記
1988年 

この日、ダイエーの小池編成部長、伊藤チーフスカウト、鈴木スカウトが大垣市内のホテルで篠田本人、両親、大垣商高の高木部長、諏訪監督を交えて仮契約した。既に十一日の交渉で、ダイエーの金銭面などの条件提示を篠田側も了承していたため、十分間程度の話し合いだった。記者会見した篠田は「プロという一番レベルの高い野球をするのだから、一生懸命にやるしかない」と笑顔を見せた。落差があり、大きく割れる独特のカーブは定評があるが「それよりストレートいもっと伸びをつけて、速球で三振の取れる投手になりたい」と意欲的だった。
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芦刈芳久

2021-11-12 15:17:20 | 日記
1987年 

控えには二年生の芦刈がいる。左上手からの投球だが、身長(180㌢)を生かした投球がまだまだで、球のキレ、スピードとも今一歩。 

1988年 左の本格派、エース芦刈が二月に左手首を骨折。投手を中心にした守りのチームだけに完全復帰が待たれる。183㌢の長身からの直球、変化球は球威十分で本来「豊肥地区を代表する好投手」(後藤監督)。現在、八分の回復で制球力が不安。

三年の左腕芦刈がエース。二月、練習中に打球を左腕に受け、骨折したが、完治した。投球も六月にはベストの状態の8割まで回復した。大会までには間に合いそう。芦刈が本調子なら183㌢の長身から投げ下ろすストレートは威力十分。変化球にもスピードがあり、簡単に得点されることはない。創部以来、初戦に勝ったことがなく、悲願の一勝は芦刈の左腕にかかる。 

大野は旧チームから六人が残っており、力をつけた。打線は下位がやや弱いが、上位はまずまず。エース芦刈は左の本格派でスタミナも十分。芦刈の投球が、チーム浮沈のカギを握りそう。バックスが弱いのが気掛かり。 

左の本格派。バックスが弱かったため、それほど目立った活躍はなかったが、直球、変化球などキレのいいボールを投げる。昨秋の県選手権では大野高を豊肥地区代表に導いた。まだ未完成な投手だけに、これから伸びる可能性は十分。183㌢、70㌔。 

芦刈芳久選手の話 プロに指名されてうれしい。パ・リーグは見たことがないので、オリックスについてはよく知らない。これから家の人と相談してプロに行くかどうか決めたい。プロに入ってやれるかどうかわからないが、頑張る気持ちは十分持っている。 

オリックスブレーブスがドラフト6位で指名した大野高校の芦刈芳久投手(17)の二回目の入団交渉は六日、三重町芦刈の芦刈投手の実家で行われ、契約金二千万円、年棒三百六十万円(金額はいずれも推定)で合意、仮契約を結んだ。正式な入団発表は二十一日に球団本社で行う予定。この日、芦刈投手の実家を訪れたオリックスの山本公士スカウトは、芦刈投手、父親斯道さん(51)と大野高校の後藤徳吉校長、同野球部の後藤忠文監督の立ち会いで約三十分間話し合った。二日の交渉で条件面が提示されていたため、比較的短時間で交渉は終了。芦刈投手が仮契約書にサインした。仮契約を終えた芦刈投手は後藤校長、後藤監督から祝福や激励を受け、「あこがれのプロに入団でき、大変うれしい。チームのエースとしてストレート一本でも通用する投手になりたいです」とすっきりした表情で抱負。山本スカウトは「川崎君(津久見)前田君(福岡第一)ら甲子園組と比べると実績という点で差があるが、彼らに近づいて追い越す潜在能力はある。うちの梶本投手コーチと体形が似ているので彼にまかせたい。川崎、前田より伸びる投手です。三、四年先を見ていて下さい」と話していた。
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石本龍臣

2021-11-11 19:37:40 | 日記
1983年 

不祥事のため試合で登板のチャンスはないままだが、長身から投げ込む速球が主武器。「体力に恵まれているし、順調に伸びてくれれば…」(木庭スカウト)との好素材。倉吉北高からは加藤投手が南海に1位指名されたが、広島では石本の力は加藤に劣らないと強調する。184㌢、82㌔。 

石本投手の話 希望していた広島に指名されて、うれしさでいっぱいです。津山市の出身で、カープには小さいころからあこがれていました。津田投手のようなピッチングを目標に、プロでついていけるよう、みっちり体は鍛えるつもりです。
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中村佳広

2021-11-11 19:28:48 | 日記
1988年 

右の本格派中村が190㌢の長身から投げ下ろす速球は140㌔。カーブ、スライダーの制球もよく、1試合平均10奪三振。

杜若は主戦中村を中心に良くまとまっている。中村は長身から投げ下ろす速球には、かなりの威力を秘める。スタミナの不安もなさそう。 

「スピードよりもコースを丁寧につくようにしました。強気で攻めたのが良かった。きょうは二百点。高校三年間で最高の出来」と杜若のエース中村佳広(3年)は胸を張った。杜若は昭和五十年の創部以来、初のベスト4進出。「きょうの享栄戦が決勝のつもりだった」という中村。今までになく気合が入り、球もよく伸びた。高めの速球と大きなカーブで強豪の享栄から9三振を奪う快投。四回戦の一宮興道、五回戦の三河戦とは別人の投球だった。葛原美峰監督(32)も「今年はベスト 8からが本番だと言い聞かせてきた。享栄に勝って4強に進めてうれしい。中村が首相としても本当によくやってくれた」とナインの奮闘に目を赤くしていた。七月十三日の誕生日以来、「大会が終わるまで」とひげを伸ばしているが、そり落とす日がまた延びた。 

ドラフト3位指名した愛知・杜若高、中村佳広投手(18)=190㌢、87㌔、右投げ右打ち=と入団交渉を行い、契約金四千万円、年棒三百六十万円で仮契約した。同投手は右の本格派で、将来性が買われている。
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弥永知則

2021-11-10 21:27:56 | 日記
1961年 

シュートが武器の弥永投手は、昨年まで外野をやり肩がいいので転向したというだけに単調に走るきらいがある。
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後藤明美

2021-11-10 21:00:33 | 日記
1982年 エース後藤は右の本格派で直球の威力は相当なもの。制球力もまずまずで、何よりカーブ、速球のコンビネーションがいい。大量点は許さないだろう。

 「県内に増田という野球チームがあることを知ってもらえれば十分です」-本荘を3-2で下し、秋田商を最後まで苦しめた立役者の増田・後藤明美投手。目を真っ赤にしながら悪びれずに試合を振り返った。「きょう(秋田商戦)はストレートが走っていた。しかし、後半になって球威が衰えたところをねらわれてしまった。でも、悔いはありません」185㌢、85㌔。長身から投げおろす直球は威力があった。下半身の鍛錬のため通学の道のり(四㌔)を砂袋を背負って走った努力家だ。「がんばった」「いい試合だった」詰めかけたスタンドのファンから引き揚げる増田ナインに大きな声援と拍手がわいた。「結果はどうあれ、全力を出した」というナインの顔はさわやかだった。
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内山憲一

2021-11-06 08:57:39 | 日記
1984年 

「今年が最後という気持ちで投げます」-開幕を間近に控え、投球練習にも一段と熱がこもってきた。何者も近づけない緊張感さえ漂う。いまやエースの風格は十分だ。昨年夏からベンチ入り、そのときは対前橋工戦に登板、九回1イニング投げて、先頭打者に中前打を許したものの、西武入りした渡辺を併殺に切ってとり、三人でかたづけた。今春は対前橋戦の三日前に行った高崎工との練習試合で、打球を左こめかみに当てる不運もあって、本来の投球が出来ずに2回戦で姿を消したが、上之宮(大阪)葛生(栃木)といった強豪相手の練習試合には勝っており、内山自身も「あれでだいぶ自信がついた」体全体を使ったフォームから投げ込む速球は球威十分。タテ、ヨコのカーブも手首が柔らかいため切れも抜群で角田泰巳監督は「三振を取ってほしいときに取ってくれる」と内山を評価。「今年はあいつで勝負」と言い切った。伊商と伊高と言った時代にエースとして活躍し、プロの経験もある父を持つ内山、やはり血は争えない。きっと、いきのいいピッチングを見せてくれるだろう。181㌢、75㌔、右投左打。
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村山泰延

2021-11-06 08:48:04 | 日記
1958年 

昨シーズン二度登板した。最初は五月二十三日の対近鉄戦、初の公式戦で上って2/3回で五安打をつるべ打ちされた。二回目は茅ヶ崎での対大映戦の時だった。西鉄の投手陣が手薄となり、やむなく飛行機で呼び寄せられた。この時も1回1/3でノック・アウトされた。これ以外昨年は登板の機会に恵まれなかった。しかしウエスタン・リーグでは四勝無敗、シーズン終ってのオープン戦ではなかなかの腕前を見せた。今年はキャンプの時から目をかけられ、内野手の城戸とともに第一線に引上げられた。すでに二十一日現在十六試合に出場、完投一、勝利二、敗戦零、失点十二、自責点十、防御率2.00の成績である。村山の球はかなり速い。だがコントロールに欠けている。ことに低目へのコントロールがない。配球も単調だ。これでは下位球団には時々通じても、上位球団には無理だ。試合数が多い割に、期待通の成績が挙げられない原因だ。川崎コーチは「本人はシュートやシンカーをものにしたいといっているが、低目へのコントロールがつかなければダメだ。私はこのことは一さい抜きにして、コントロールを良くすることに重点を置いて指導している」といっていた。コントロールさえつけば、速球には見るべきものを持っているのだ。今以上の成績を収めることも不可能ではない。村山のこれからの課題だ。本格派投手として大成する要素は十分あるのだから。戸畑高校時代は北九州随一の好投手との評判だった。しかし村山のワンマン・チームで中央に進出する機会に恵まれず、全国的にはそれほど名の通った存在ではなかった。南海あたりが引抜きの手を出したといわれているが、地元、先輩滝内選手の線から西鉄に決った。良く寝る子だそうだ。乗り物に乗ってはねむり、映画館に入ってはねむり、暇さえあれば眠っている。口の悪い某投手が、村山の起きているのは「野球をやる時と、メシを食うときぐらいだ」と大げさにいっていた。性質は至っておとなしく、真面目。毎日の投球練習での一球一球を込めてやっているという。愛称はポーキー、テレビ漫画のポーキーに似ているからだそうだ。身長1・74㍍、体重67.5㌔、二十歳。 

三原監督の話 スピードのあること、高校時代から多くの試合に出ているので、場なれしてピンチに動じない試合度胸十分なことが村山の長所だろう。短所はまだ二年生だから挙げれば切りがない。球が素直過ぎるというのが最大の欠点だろう。要するにいやな形の投手でないことだ。 

村山投手の話 調子はまずまずだ。試合に出してもらえるので毎日が楽しい。この期待に応えるよう一生懸命やりたい。球が速いというがまだ十分でない。もっと球速を増したい。それにシンカーをものにしたい。
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薬師神繁男

2021-11-06 08:32:45 | 日記
1982年 

先の交歓試合では大洲戦でノーヒット・ノーランを記録。本格派の好投手を中心とするチームは、他校の脅威の的になっている。左腕の薬師神は昨年、外野手から転向。長身から投げおろす速球を武器にしてめきめき成長した。春先はコントロールが甘く、カーブ主体だったのを池内監督は速球で押すように切り替えた。「調子が良ければストレートだけでも打ち込まれるようなことはない」と絶対の信頼。立ち上がりのエンジンのかかりが遅いのが不安材料だったが、解消された。「左では球威はナンバーワン」「今治西の藤本より速い」という評価もある。
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清水宏臣

2021-11-05 14:05:59 | 日記
1986年


身長187㌢の大型右腕清水が投打の大黒柱。低めへ決まる直球には威力がある。

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伊貸文秀

2021-11-04 20:20:09 | 日記
1987年 

中日は二十四日、テスト生としてファームと行動をともにしていた伊貸文秀(いがし・ともひで)投手(18)=182㌢、82㌔、左投げ左打ち、東京・岩倉高出=の入団を発表した。契約金は一千万円、年棒は三百二十万円(いずれも金額は推定)。背番号は69。これで中日の投手は二十四人となった。 

「よろしくお願いします。」テスト生から入団した伊貸は星野監督を見つけるとツカツカと前に進み出てペコリと頭を下げた。「オッ、元気がいいな」思わず星野監督のほおが緩む。東京・岩倉高時代は夏の東東京予選にベスト8で正則学園に敗れたのが最高成績。球界では無名でも伊貸はガッツであこがれのプロの門をたたいた。そんな男だから話すことも変わっている。全くものおじしないのだ。「中日が特に好きというのではないんです。ここしかなかったということです」「目標は怪童・尾崎のようになることです」と何を聞いてもこの調子。極め付きは自分のセールスポイント。ニッコリ笑って「買われたのは愛きょうだと思いますよ」ときた。二月十七日からキャンプに参加。一カ月以上にわたってテストを受けてきた受験生の身だっただけに口も軽い。武器はシュートの伊貸。これからが正念場である。
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清水治美

2021-11-04 20:18:42 | 日記
1984年 

中日は十二日、昨年のドラフト会議で六位に指名した日通浦和・清水治美投手(23)(1㍍79、79㌔、左投げ左打ち、川越商高出)と正式契約し、入団を発表した。契約金は三千五百万円、年棒四百万円(いずれも推定)清水は、キレのいい速球と二種類のカーブを武器に、今秋の社会人日本選手権で準優勝投手となった。

中日に、左腕の即戦力ー。社会人野球から、清水治美投手(23)=179㌢、79㌔=が入団した。その発表が、十二日午後、名古屋市中区栄、中日ビル内クラブ東海であった。背番号は未定。同投手は緊張ぎみに記者会見。「早く、中日が誇るヤング投手陣の仲間入りをしたい。得意球はカーブ。高給取りの掛布、山本浩と対決したい」と抱負を述べ、山内監督も期待を寄せた。「今季は、しばしば、左不足を痛感した。来季の優勝争いに貴重な戦力になってもらいたい」同投手は、日通浦和の主戦投手。先の社会人日通選手権大会でも活躍した。変化球主体の実戦派。中日には、昨年のドラフト会議で6位に指名された。なお十二月一日から静岡県磐田市で行われる若手の自主トレから練習に参加の予定。 

清水投手の話 いいライバル(中日・牛島、広島・小早川は同期生)もいるし、一年目から一軍で、スーパースターに投げてみたいですね。速球で三振をバタバタ取るタイプではないので、自信のあるカーブ、それにシュートを交えて勝負してみたい。
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劉瀬章

2021-11-03 11:04:45 | 日記
1940年 

南海劉は投球にコントロールあり下手投の低目を衝くインシュートとカーブに巨人を苦しめた。
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