1987年
中日は二十四日、テスト生としてファームと行動をともにしていた伊貸文秀(いがし・ともひで)投手(18)=182㌢、82㌔、左投げ左打ち、東京・岩倉高出=の入団を発表した。契約金は一千万円、年棒は三百二十万円(いずれも金額は推定)。背番号は69。これで中日の投手は二十四人となった。
「よろしくお願いします。」テスト生から入団した伊貸は星野監督を見つけるとツカツカと前に進み出てペコリと頭を下げた。「オッ、元気がいいな」思わず星野監督のほおが緩む。東京・岩倉高時代は夏の東東京予選にベスト8で正則学園に敗れたのが最高成績。球界では無名でも伊貸はガッツであこがれのプロの門をたたいた。そんな男だから話すことも変わっている。全くものおじしないのだ。「中日が特に好きというのではないんです。ここしかなかったということです」「目標は怪童・尾崎のようになることです」と何を聞いてもこの調子。極め付きは自分のセールスポイント。ニッコリ笑って「買われたのは愛きょうだと思いますよ」ときた。二月十七日からキャンプに参加。一カ月以上にわたってテストを受けてきた受験生の身だっただけに口も軽い。武器はシュートの伊貸。これからが正念場である。