プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

山蔭徳法

2023-08-23 09:05:10 | 日記
1984年
山蔭投手は「(巨人の)槙原、江川のようなストレートで勝負する投手になりたい。」と抱負を語った。丸尾スカウトは「足が速く手首が軟らかい。三年ぐらい仕込めば(一軍で)投げられると思う」と山蔭投手の素質を高く評価した。背番号は入団発表までに決められる。山蔭投手は見前小学校時代から野球を始め見前中を経て盛岡商に入学。恵まれた体を生かしてストレート主体のピッチングで二年生からエースになった。今夏の県大会は準々決勝で大船渡の金野投手と投げ合い3-4で敗れはしたが、堂々とわたり合い、ファンを満足させた。


盛岡商の山蔭徳法投手は二十一日午後三時半すぎから盛岡市本宮の同校校長室で会見「4位指名は信じられない。うれしい限りだ。全力でプロの世界で頑張ってみたい」と早くもプロの成果へ大乗り気なところをみせた。山蔭のプロ入り打診は、九月に入ってから日本ハム、ロッテの二球団からあったという。山蔭は身長182㌢、体重71㌔、紫波郡都南村津志田19-24-16で運送業を営む弘一さん(52)の長男。見前小学校時代から野球を始め見前中を経て同校入学。二年の夏からエースとして活躍した。右上手投げの本格派投手で、球種はストレート、カーブ、シュート、スライダー。今夏の県大会ベスト8が最高だが、手首の柔らかさ、足腰のバネの強さが注目されていた。山蔭のプロ入りに当っては、家族の反対もなく、入団交渉はスムーズに運ぶものとみられる。


山蔭投手の話 プロ入りは夢だった。早く一軍で投げられるように努力する。目標は巨人の槙原投手のような速球派だ。

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矢嶋勝彦

2023-08-22 22:06:35 | 日記
1967年
ノンプロ生活四年間、1㍍73の小兵ながら、思い切ってプロ入りした矢嶋勝彦内野手(22)。ベース一周を13秒8で走る近鉄の秘密兵器だ。右手をちょっと外に開いたランニングフォームは、バランスがよくこまねずみの形容がぴったりだ。南海には広瀬という盗塁王がいる。その広瀬には及ばないにしても、阪急の忍者山本にはヒケをとらない俊足、抜け目のない走塁をすることは間違いない。フィールディングも一流だ。「グラブさばきのうまいのにはびっくりした」といったのは、阪神から移籍した名手鎌田だ。二月十九日の日曜は、明石キャンプではじめての紅白戦が行われた。約三千人のファンがつめかけたが、その三千人が四回思わず「ワーッ」と歓声を上げ惜しみない拍手を送った。遊撃を守っていた矢嶋が、痛烈な三遊間ゴロを頭からすべり込んで好捕、すばやい身のこなしで送球、アウトにしたからだ。鎌田がお世辞抜きでほめるほどだから、グラブさばきは確かにうまい。だが、問題はスローイングだ。手首を巻き込むように投げるので、捕球から投球まで鎌田や安井らとくらべるとひと呼吸おくれるように見える。ノンプロ東京日産時代、肩を痛めて以来、痛みをかばって投げているうちに、そんなスローイングになったのだという。問題はバッティングだ。1㍍73の小柄だが、ノンプロでは三番を打っていた。リストが強く、見ていて意外なほど打球が飛ぶ。昨年の産別対抗で後楽園の右翼席にホームランしたのもなるほどとうなずける。だが、それは、フリーバッティングでの話。投手が全力投球する紅白戦などでは、つまった打球が多かった。外角打ちはいい、内角の速球にはどうしても打ちおくれていた。上体が先に突っこむからで、真ん中から外の球は、強いリストでおっつけるように打てるが、内角球には、いわゆる腹切りの窮屈なバッティングになる。矢嶋にはオレは実戦的な選手という自負がある。その気持ちがコーチのアドバイスを素直に受け入れさせないようだが小玉監督は、その根性を高く評価しているひとりだ。「確かにバッティング面ではもの足りないところがある。しかし、野球はフォームがすべてではない。それなら、南海の国貞なんかあれは一体なんですか。あれはバッティングじゃありませんよ。それでいて、試合になると、うるさいバッターだ。フォームがいいに越したことはないが、それ移住鬼大事なことは気迫ですよ」と手放しでほめる。また矢嶋は内野ならどこでもこなせるオールラウンド・プレーヤーで「遊撃より、むしろ二塁の方が守りやすい」というほど器用な選手だ。近鉄の今シーズンの内野布陣はいまのところ、二塁鎌田、遊撃安井、三塁小玉監督だ。近鉄としては、ここ数年来にない、守備のいい顔ぶれといえよう。だが、三人はそろって軽量、フル・シーズンを押し通す体力という点で不安がある。二塁の控えには進境著しい五年生菊川がいる。三塁には、同じ新人だが竜谷大のキャプテンだった伊能がいる。遊撃のライバルとしては十一年選手の木村軍がいる、だが、控え層の中では、根性のきつい矢嶋が、グーンと頭角を現してくる公算が大きい。

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西芳弘

2023-08-22 20:34:09 | 日記
1991年
「野球は中学でやめて高校では陸上をやろうと思ってたんですよ」あえて難しいプロの世界へ飛び込もうとうする西選手から意外な言葉が飛び出した。高校へ入学したら、仲のいい友達と陸上部に入部するつもりだった西選手を野球の道へと導いたのは寺井高の高鍬稔久監督だった。監督の「ピッチャーをやってみないか」の言葉にひかれ、西選手は野球を続けることになる。二年の春からレギュラーでセンターを務めながら、投手の練習も積んできた西選手は最高145㌔の球速をマークする地肩の強さもさることながら、百㍍を11秒5で駆け抜ける足やバッティングにも非凡なものを見せ、オリックスの三輪田勝利編成部課長に「俊足、強肩、リストの柔らかいバッティングと三拍子そろった素晴らしい素材だ」と言わせるほど。西選手がプロのスカウトの目に止まったのは、ちょうどレギュラーの座を射止めた二年春のことだ。三年に同姓の選手がいて、春の県大会を見に来たスカウトが5番・センターで出場していた西選手を三年生だと思い込み「一度練習を見せて下さい」と高鍬監督に申し込んだ。三年の春には、指名したオリックスをはじめ、十球団のスカウトが西選手の練習を見学に訪れた。西選手は「自分とは掛け離れた世界だと思っていたのに、意中のオリックスから指名されてうれしい」と喜びをかみしめるものの、ドラフト直前まで心に決めていた大学進学かプロ入りかでかなり迷ったようだ。父親の延夫さん(49)と母親の三重子さん(46)は「正直なところ大学へ行ってほしいという願いもあるけど、本人が決めたことだから思う存分やらせたい」と話し、「オリックスの松永選手を目標に頑張ります」と早くも目を輝かせるわが子の巣立ちを暖かく見守っている。

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1983年 巨人 退団選手

2023-08-22 19:56:54 | 日記
1984年
昨年も7人の男が多摩川を去っていった。沖縄の星といわれた赤嶺賢勇はトラックの運転手さんに。頑張り屋の伊藤元喜は不動産屋の見習に。ガッツマンの森谷昭はスポーツ店に。二宮至もまた同じなら、西尾善政は市役所勤務にアタックし、安西健二と与那城隆は実家をつぐ第二の人生へとスタートしていった。「巨人で学んだものは決して無駄ではないはずだ。巨人に在籍した誇りを忘れずに、新しい人生にトライしてほしい」と涙ながらに話しかけた藤本寮長のことばを胸に、彼らは寮の荷物をまとめて出ていった。

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服部敏和

2023-08-22 19:49:35 | 日記
1983年
惜しかったのは昨年8月、全治2ヶ月の重傷(左足首骨折)を負って、ついに15年間の現役生活を断念せざるえなかった、服部敏和外野手だ。立大を中退、日本楽器からの44年の近鉄入り、51年、日ハムへ移籍していた。抜群の守りで、控え外野手ながら、昨年、念願の1000試合出場を果たして「悔いのないプロ生活」だったという。

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高井一

2023-08-22 18:39:18 | 日記
1994年
第二の人生は、好きなことをとことん追求したいー。今季限りで任意引退となった元阪神・高井一外野手(25)は地元の神奈川に帰り、大手製パン会社に勤めることになった。「とにかく子供のころからパンが好きだったんですよ」就職先を決めた理由はいたってシンプル。寮生活を送っていた時も、朝は和食には目もくれずパン一筋。練習から帰ってきても、おやつがわりに口にしていた。それを職業にまでしてしまうこだわり、純粋さは野球にかける思いと同じだ。「掛布2世」と期待され横浜高からドラフト2位で入団したのは87年。プロ7年間で78試合、2割5分8厘の成績を残した。しかし、手術まで必要となった腰痛には勝てず、今季を最後に無念の引退。からっぽになった心に「パンを作る仕事がしてみたい」という欲求が徐々に満ちていった。もちろんすぐにパンが作れるわけではない。大会社では機械による大量生産システム。その流れを管理するのが当面の仕事だ。「でもね」高井はいたずらっぽく笑う。「何年かすればパンの作り方を一から研修させてくれるんですよ」その日を待ちながら、とりあえず1月10日から働き始める。休みは9回。夜勤も覚悟のうえだ。夢はもちろん「高井ベーカリー」を作ること。「年を取ってからでいいんですけどね。とりあえず勉強です」と言う目は現役時代と同じ真剣そのもの。打撃の職人を捨てた男が、今度はパン職人に挑戦だ。

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矢野正之

2023-08-20 10:49:16 | 日記
1997年


昨年8月10日のオリックス戦ではMAX147キロを記録。ストレートのキレも出てきましたね。
矢野 ただ高校時代(神奈川・霞ヶ丘)はもっとスピードが出ていたから、その真っすぐを取り戻すことが必要なんです。150㌔を出す自信は持ってますから。そのためには、やはり体にキレを出さないといけませんね。


昨年10月の黒潮リーグで登板した際には、四球で自分を苦しめているようにも思えましたけど。


矢野 好不調の波が激しいんですよ。ランナーを出すと力んでしまうクセも直さないといけません。どうやったらコンディションを含めて調子を維持していくかも、今後の勉強ですね。


それはメンタル面も、ということですか。


矢野 もちろんそうです。意識はしていないですが、ランナーを出すと、どうしても平常心を失いがちなんです。もっと気持ちで乗っていかないといけない場面もあるし、難しいですね。


ーキャンプからシーズンにかけての課題は。


矢野 ストレートとカーブしかないので、余裕があればフォークかチェンジアップを覚えようと考えてます。


ー一軍との力の差はどれくらいあると思いますか。


矢野 まだまだ…。でも、目標は上に置かないといけないでしょう。誰にもチャンスはあると思うし、上で1試合でも多く投げて、それで早くプロ初勝利を挙げたいです。そのためには今年はウエスタン・リーグの開幕戦から、どんどん投げられるような態勢になっておかなくてはいけないと思っています。

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矢ノ浦国満

2023-08-19 17:00:01 | 日記
1977年
矢ノ浦国満(35)ときけば、現役当時の華麗なグラブさばきを鮮やかに思い起こすファンもさぞや多いにちがいない。その矢ノ浦が、大阪で18万余円のゴルフセット一式をだまし取った疑いで逮捕された。架空の名刺を使い、代金は給料日に払うといってそのままドロンー金額といい、手口といい、お世辞にも華麗なとはいいかねるサギ師ぶりである。35年、福岡の東筑高から鳴り物入りで近鉄に入団。たちまちショートの定位置を獲得して2割5分6厘の打率をマーク、新人王の有力候補となるほどの逸材であった。その後もコンスタントに2割7~8分台を打っていた矢ノ浦が、40年、極度のスランプに陥ってしまう。「バクチに狂ってね。鉄火場にもよく出入りしていたましたよ。近鉄を退団するころには、スゴ味のある借金取りが試合前のロッカールームにまで押しかけてきた」41年のサンケイへの移籍は、なかなかユニークなもので「近鉄との合意の上で、サンケイは矢ノ浦自身にトレードマネーを渡したんだ。これで借金を払い、きれいな身体で入ってこい」ってわけさ。それが当時の金で800万というから、矢ノ浦にもまだまだ値打ちがあったんだな」そんな温情がかえってアダとなったのか、サンケイで二年、さらに巨人に移って一年と、矢ノ浦のギャンブル狂いに少しも歯止めはかからなかったようだ。それどころか、ついには生活費にも事欠くありさまで、見かねたサンケイは、給料日に夫人を呼び、直接手渡すことまでしたのだという。それにしても、問題児をひどくキラった川上巨人軍が、なぜ矢ノ浦を入団させたのか。「当時のショートは守備のヘタな黒江でね。背に腹はかえられんというわけですよ」巨人在籍中は七試合に出場して1安打のみ、シーズンオフを待たずにクビとなっている。「矢ノ浦は甲子園でとんでもないエラーをする。大阪の暴力団に多額の借金があって、八百長の片棒を…」-そんなウワサがしきりに流れたのも、ちょうどこのころだった。巨人を退団ののち、矢ノ浦は森徹監督ひきいるグローバルリーグに、主将格で参加するが、「アメリカの競馬に凝って、チームメートはおろか、現地の日系人にも数十万の借金で…」(マネージャーの平野洋司氏)-やはり、である。帰国してからすっかり身を隠していた矢ノ浦の名が、47年8月の新聞紙上を飾った。「勤務先の不動産会社で167万円を横領。バクチにつぎこみむ…」かつて一晩に百万単位の金が動くといわれたプロ球界のギャンブル熱も、例の黒い霧事件を境にすっかりさめ、いまでは賭金もサラリーマンのそれに毛のはえた程度とか。野球記者の間で矢ノ浦こそが最後の大物といわれるユエンであろう。

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西村英嗣

2023-08-11 22:08:20 | 日記
1987年


140㌔の速球にカーブ、スライダーそれにフォークボールも武器。まずは体づくりからだが、将来のエースも。

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工藤慎明

2023-08-11 22:07:04 | 日記
1992年


高校の1年先輩、伴投手に続けと入団。MAX140㌔のストレートで16奪三振の記録もある本格派。攻めのピッチングが信条だ。
中央球界にはまったく無名ながらも速球には光るもの。まずは体づくりから。

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戸羽隆

2023-08-11 22:05:30 | 日記
1989年
小柄ながら肩の強さは群を抜く。フィールディングも相当のもの。真面目な性格で、溶け込みも早い。プロのスピードに慣れるまで、ファームの調整に怠りない。基礎体力をつけ、試合慣れし、早く上へ行こう。


1990年


体は小さいけど、肩の強さと足の速さは抜群。やれといわれたことはすべてやってしまうほどマジメ。顔もスタイルも、ジャニーズ事務所に入れていいくらいカッコいい。練習中もギャルファンの熱い視線を独り占めしている。


1991年


まだあどけなさが残る表情からは想像ができないほど、しっかりしたプレーを見せる。マジメに練習に取り組む彼を応援する女性ファンは数知れず。一軍でのプレー経験は少ないものの、若手の台頭が望まれているブルーウェーブの中にあって「お客さんを呼べるような選手になりたい」という彼。脚光を浴びる日はそう遠くない。


1992年




昨年は不運な故障で不本意なシーズンを送ってしまった。しかし、強いリストを生かしたスケールの大きい打撃は健在で、小さな体に似合わない打球を飛ばす。一昨年には一軍で22試合に出場した実績もあるだけに、首脳陣のかける期待は大きい。

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高橋忠一

2023-08-11 22:02:49 | 日記
1985年
ノンプロ出身とはいえ、入団の年から公式戦55試合に出場し平均的な数字を残す。オフに結婚した今季は、一試合一本の安打を目標に貴重な左打者として期待されている。

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宮脇則昭

2023-08-11 22:01:19 | 日記
1988年


ガッチリした体から闘志ムキ出しの投球。息子の晴れ姿を目前に他界した母に初星を。


1989年
打撃に才能を見出され、昨シーズン途中、投手から転向。もともと高校時代は4番を打った素材。努力がきっと実る日が来る。


1990年


打者に転向して1年。夜間練習でもマシン相手に黙々と打ち込んできた。努力しただけに実りは大きいはず。焦らず頑張れ!

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嶋田哲也

2023-08-11 21:59:00 | 日記
1991年


141㌔のストレートに、カーブ、スライダー、フォーク。多彩な球種を武器に、プロに殴り込みだ。

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三苫義太郎

2023-08-11 21:56:49 | 日記
1991年


荒削りながら、伸びのある低めのストレートは、将来性抜群。九州男児らしい豪快さが魅力。


1993年
アメリカ野球留学で、スプリット系のチェンジアップをマスター。抜群の制球力に加えて、効果的投球術で自信も大いに拡大。今後の活躍が楽しみな存在だ。

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