プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

山本幸正

2023-08-01 10:18:11 | 日記
1992年


180㌢、82㌔、右投げ右打ち
114イニングで奪三振110。「まっすぐで押してカーブで三振をとるのが基本」と本人がいうように、大・小ふたつのカーブにかなりの自信を持っている。伝家の宝刀の表現がピタリでその威力は東京一の評価。「たくさんの人が見ている甲子園で堂々と楽しんで投げます」

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与座朝勝

2023-08-01 08:41:43 | 日記
1986年
家は、沖縄で二代つづいている琉球舞踏の「劇団・与座」の家元。父・朝庸さんは沖縄俳優協会理事で劇団の座長・母・君子さんはエース女優、与座朝勝は長男だから三代目として跡を継ぐ立場にあった。事実、4歳のときに初舞台を踏み役者としての教育を仕込まれてきた。だが、「演劇より野球」を選んだ。53年の県予選、神里ー石嶺のバッテリーの豊見城には敗れたが、普天間、宜野座を連続完封したピッチングが二重丸で、当時の大洋・別当監督は「ひとつの型をもっている」と目を細めた。145㌔のスピード、大きなカーブ。だが与座もまたコントロールが乱れた。5年間、イースタン1勝の白星がプロの思い出になった。

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小永井孝

2023-08-01 08:28:40 | 日記
1964年
巨人は、このほど小永井投手を八人目の自由契約選手とした。小永井投手は、斎藤誠二投手に続いて自分から退団を申し入れたもので、退団後は映画俳優に転向するという。昨年、横浜商高から期待されて入団した長身の右投げ投手だったが、二年間でプロ野球選手に見切りをつけ、「野球選手はおれには高嶺の花だった」と、あっさりあきらめ、合宿をひき払って、第二の人生、俳優稼業にスタートを切った。俳優になるについては、若い選手のめんどうをよくみることで定評のある藤田投手が、知り合いの映画監督・市川崑氏に紹介したのがキッカケ。ちょうど、市川監督はオリンピック映画の製作にあたっているので、当分はこの仕事を手伝うことになった。小永井投手もチャックというニック・ネームがついているように、ほりの深いマスクの持ち主だけに、努力しだいで俳優としても特異な存在となることが期待できそうだ。

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