1994年
矢野はなんと高校5年生だった。練習には毎日参加したが、授業に出席しなかったため2年生を3年間経験。公式戦登板はわずか1試合のみで、ほとんど実績はない。公式戦に出場できない4年目と5年目は黙々とトレーニングを続け、西野監督にその野球への情熱を買われて今年夏、監督まで務めて4回戦まで進出したというユニークさ。西野監督の知り合いだった阪神・菊地スカウトが、その快速球にホレ込んでの指名となった。「うれしいです。とにやく上(プロ)で野球がやりたかった」という矢野。MAX142㌔の異色右腕がベールを脱ぐ日が楽しみだ。
1998年
ピッチャーではチーム最速、150㌔のストレートが武器の矢野正之が注目だ。制球難が欠点だが、ノーコン投手だった石井一久を、「ノーコンでもええから、見せ球を覚えろ」の一言で、セの代表的な速球投手に変身させた野村氏の手腕をもってすれば、大化けの可能性は十分だ。
矢野はなんと高校5年生だった。練習には毎日参加したが、授業に出席しなかったため2年生を3年間経験。公式戦登板はわずか1試合のみで、ほとんど実績はない。公式戦に出場できない4年目と5年目は黙々とトレーニングを続け、西野監督にその野球への情熱を買われて今年夏、監督まで務めて4回戦まで進出したというユニークさ。西野監督の知り合いだった阪神・菊地スカウトが、その快速球にホレ込んでの指名となった。「うれしいです。とにやく上(プロ)で野球がやりたかった」という矢野。MAX142㌔の異色右腕がベールを脱ぐ日が楽しみだ。
1998年
ピッチャーではチーム最速、150㌔のストレートが武器の矢野正之が注目だ。制球難が欠点だが、ノーコン投手だった石井一久を、「ノーコンでもええから、見せ球を覚えろ」の一言で、セの代表的な速球投手に変身させた野村氏の手腕をもってすれば、大化けの可能性は十分だ。