1984年
先発ピッチャーの背番号といえば、だいたい10番、20番台が相場。「そんなの関係ないよ」と平然と先発投手に入ってきた72番の男がいる。鈴木孝行である。左腕からの重いストレートを投げ、カーブ、スライダーの変化球もいい。「いまはパームボールのマスターに取り組んでいるんです。これを完全にコースに投げられるようになれば…」この男、背番号では苦い経験をしている。56年、東北クラブからドラフト外で入団したときはエース格の「19番」その喜びは1年でチョン。西本に奪われ「33番」に変更。58年になって、今度は成田にぶんどられた。それでも、いまやローテーション入りの切符を半分手に入れた。プロ先発組で最も重い背番号の投手となった。鈴木孝にはこんなエピソードも。黒江コーチが、寮の部屋をちょっと覗いたら、灰皿がタバコの吸いがらの山。「どうやって、吸ったタバコを消すのか」図太い神経も持っていた。
1987年
引退後:都内で就職
先発ピッチャーの背番号といえば、だいたい10番、20番台が相場。「そんなの関係ないよ」と平然と先発投手に入ってきた72番の男がいる。鈴木孝行である。左腕からの重いストレートを投げ、カーブ、スライダーの変化球もいい。「いまはパームボールのマスターに取り組んでいるんです。これを完全にコースに投げられるようになれば…」この男、背番号では苦い経験をしている。56年、東北クラブからドラフト外で入団したときはエース格の「19番」その喜びは1年でチョン。西本に奪われ「33番」に変更。58年になって、今度は成田にぶんどられた。それでも、いまやローテーション入りの切符を半分手に入れた。プロ先発組で最も重い背番号の投手となった。鈴木孝にはこんなエピソードも。黒江コーチが、寮の部屋をちょっと覗いたら、灰皿がタバコの吸いがらの山。「どうやって、吸ったタバコを消すのか」図太い神経も持っていた。
1987年
引退後:都内で就職