プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

田尻一郎

2023-08-11 21:53:59 | 日記
1987年


荒削りだが140キロ台の速球が魅力。大学受験を失敗、浪人中にテストを受けた変わりダネ。
頓田とともにテストに合格して入団。高校時代は無名だったが、140キロ台のストレートには威力がある。じっくり鍛えれば楽しみな素材だ。


1988年


昨年春先にヒジを痛めた。テスト入団の新人にとってつらい試練だったが、回復した秋の教育リーグで投げてある程度自信がついたという。「今年はケガをなくし、まずファームで実績を残し、終盤には少しの間でも一軍に上がりたい」が目標だ。

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石井忠徳

2023-08-11 21:50:35 | 日記
1989年
キャンプ初日のブルペンでの投球で、古葉監督を一度で魅了してしまった。「あの滑らかなフォーム、直球の伸び。体力をつけたら面白い投手になりそうだ」と。もちろんカーブの切れの良さも江尻スカウトの折り紙付き。ドラフト外だが、将来が楽しみな高校出身投手の出現だ。


1990年


シンデレラボーイだ。高卒ドラフト外ルーキーが昨春のキャンプ早々に首脳陣の目に留まり、一軍公式戦でもチャンスを得た。10月10日に先発(8 1/3回)で初勝利。10奪三振にファンの期待はふくらむ。「投球回数も少なかったし、同じ打者との対戦が多かった。今年はいろんな打者に投げて勉強です」と、主力投手への道を歩む。


1991年


プロ2年目の昨季は「もうひとつ納得の出来ないシーズン」だった。高卒ルーキー時の一軍1勝の活躍を思えば、わずか2試合の登板だったのだから。しかし、イ・リーグ最優秀防御率に輝いた投球は、既にファームでは別格だ。身長こそ小柄だが、腰まわりが一段と筋肉で盛り上がり、投球センスに一軍主力級の体力が加わった。

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高橋昌也

2023-08-11 21:48:13 | 日記
1987年


スライダー、シュートを両サイドに投げ分ける技巧派投手。中継ぎとして戦力になる可能性も。

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斉藤満

2023-08-11 21:46:39 | 日記
1984年
ドラフト5位。金足農高といえば相撲では全国優勝したこともある名門だが、野球ではまだ全国大会に出場したことがない。58年夏の県予選では決勝に進出。初出場の期待がかかったが、秋田高に甲子園の道を阻まれている。スピードでは県下№1の折り紙つきだった斉藤もそのプレッシャーがあったようだ。だが素質は十分。遠投113㍍を誇る強肩。真っ向から投げおろす速球にものびがあり、タテにわれるカーブのブレーキも鋭い。下半身をきたえ、体力をつければさらに伸びる要素を秘めている。


1985年


左腕からくり出すストレートには、細い体に似合わない威力がある。そのタマばなれのタイミング、いわゆるリリースがいい。だが、まだまだ高校生のイキから脱し切れていない。体力づくりが先決。一軍でレギュラー陣相手に打撃投手をつとめたが、緊張してストライクが入らないことがあった。なにごともいい経験だ。一歩一歩、着実に歩いていこう。

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茅野秀三

2023-08-06 21:58:14 | 日記
1948年


横濱金港の四番打者でこれも初登場。熊谷レッド・ソックスにあって、昨年夏季の首位打者となった好外野手である。

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森山正義・森山学

2023-08-06 21:49:49 | 日記
1975年
「元々長打力は群を抜いているんだから、もう少し確実性が出れば一軍入りも十分」期待を集めていた3年目の移籍男、ロッテの森山正義外野手(前阪神)が当ってきた。打率こそ低いが、大洋13回戦で高垣から4号ホーマー、首都大学リーグのかつての本塁打王の片リンをのぞかせている。ロッテにはもうひとり、ドラフト外で入団、投手から転向したルーキー森山学外野手(熊谷商)がおり、こちらも後半戦、長打力のあるところを見せているがサテどちらの森山が先に売り出すか。「森山学はまだ荒けずりだが、フォームを変えて段々サマになってきた。森山正の方は実績があるだけに壁を破りさえすれば波に乗れるはず」と田丸コーチ。成長株不在のロッテだけに両森山に寄せる首脳陣の期待はなかなかなものだ。

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中川申也

2023-08-06 21:44:15 | 日記
1990年
対育英戦では初回から4回まで14打者の初球にすべてストライクを投げるなど制球力のよさは相変わらず。スクリューボールもマスターし、投球の幅がさらに広がった。


1992年


どんなに知名度が高くても、人気があったとしても、阪神は高校生ルーキーをまず育生部門で徹底して鍛える。キャンプから上田育成部門コーチのもとで、イチからの出発となった。その上田コーチの当初の中川評は「変化球を投げる技術は持っているが、まだ子供の体」というもの。176㌢70㌔という体格の中川に体重増加指令を出した。初登板は7月12日の広島戦。3番手として1イニングを投げ、ノーヒット・ピッチング。デビュー戦を無難にこなした。二度目は同24日、近鉄戦で登板。3イニングで打者12人に2安打ながら3失点。松久保にプロとして初めてのホームランを浴びた。「ストライクを取りに行った直球。甘ければ打たれるのは当たり前ですね」と冷静に振り返る。少々打たれても気にする問題ではないことは本人が十分承知している。多彩な変化球を持つ中川だが、今は直球にシュート、カーブの3種類だけしか投げていない。「フォーム矯正中なんです。高校時代から、後ろに反って投げるクセがあり、余計なところに力が入っていたので、それを直しています。今、あれこれ変化球を投げているとそっちに気がいって、またフォームが元に戻ってしまうから」だそうだ。抑え込むよりも、まずフォームを確認するための実戦登板と、キチンと理解している。憧れは江夏豊。「性格が好きなんです」と、打者に向って行く投球に心酔している。MAX135㌔の左腕では同じ投球はできないが「自分は直球も変化球も勝負ダマ。状況と相手打者でそれは変わります。だけど、気持ちの持ち方は江夏さんと同じで」と志は高い。秋田県出身だが、夏は甲子園で過ごしたものだ。「暑さにも平気なのは実証済みですよ」とニヤリ。本来のクレバーな投球を見せるのはもう少し後になりそうだが、心身ともにプロのたくましさに染まってきた。

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1987年 プロ野球引退選手

2023-08-06 15:03:35 | 日記
1988年
中島浩人投手(28)。巨人在籍四年。身長187㌢と王監督期待の大型左腕は、去る一月からゴルフ関連の営業マンに。「会員権を売るんですが、言葉がなめらかに出てこない。難しいです」新年収は現役時代の460万円を百万円ほど下回りそう。沖縄の星も輝かないまま、都内の不動産会社の営業マンに転じた。ロッテ・比嘉良智投手(22)。59年のドラフト1位だ。新婚ホヤホヤ。夫人がいう。「現役時代よりはるかに忙しい。朝六時半に出て、夜十一時に帰る毎日です」「わがままがいえるだけ野球界は甘いんですかねえ」といったのは西井哲夫投手(26)ヤクルトからロッテへ、そして中日で十八年間の野球人生に幕。通算63勝ながら、登板回数はエース並の五百四十二を数える。最終年棒は千八十万円。「いやー、この半年で世の中の厳しさを十分味わいましたよ」就職活動が難航している。甲子園優勝投手の二人は、打撃投手として裏方に回った。むろん試合にはもう出られない。阪急・松本正志(29)は、52年の夏の東洋大姫路高のエース。もう一方のヤクルト・黒田真二(29)は、51年春の崇徳高のエースだ。「続けられる限りやる」と黒田。契約は一年ごと。年棒は、四、五百万年というのが打撃投手の相場である。スカウト転身は芦岡俊明外野手(36)強健を売物にロッテ在籍13年。出身地の山口県岩国をベースに中国地方の逸材発掘にあたる。「甲子園のセンバツも見に行きました。年収は現役時の三分の一の五百万円ほどになったけど、まあ、田舎だし何とかね…」巨人時代に左殺しと恐れられた山本雅夫外野手(34)も、近鉄を最後にサラリーマン稼業に。首位打者経験のある阪神・長崎啓二外野手(37)は、就職先をまだ決め兼ねているらしい。「野球しか知らん男だから、店がつぶれるんやないかと心配しとります」と、これは、プロ生活18年、変則の下手投げで鳴らした柳田豊投手(36)自宅のある藤井寺市に、この二日、十五坪のスナックを開店させたー。

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宮崎弘教

2023-08-06 12:57:46 | 日記
1980年
「阪神の岡田、新人王へGO!」スポーツ紙の見出しを見るたびに、宮崎の胸は悔しさで張り裂けんばかりになる。燃え上がった体を鎮めるには、納得いくまでバットを振るしかない。焦りを、これほどまでに感じたことが、かつてあったろうか。一日が、いや一時間がこんなに貴重に思えるなんて…。宮崎の脳裏に4年前の出会いが鮮やかに蘇ってくる。浪商3年のとき、大阪大会の準々決勝で北陽と対戦した。当時、宮崎はエースとして、自分の剛球に大きな自信を抱いていたものだ。その自信をコナゴナに打ち砕いたのが岡田だった。4打数3安打のメッタ打ち。「上には上があると思ったもんです。バットの振りが鋭くて投げていて怖いぐらいだった。とてもボクと同級生とは思えなかった。このとき、決心したんです。いつか、こいつを追い抜く選手になってやると…」岡田は卒業と同時に早大へ進学。大学野球のメッカ・神宮の森へ飛躍の場を求めていった。だが、宮崎はドラフト外で南海に入団、プロの荒波へ一足先に船出した。学生野球にも未練はあった。事実、一度は関西六大学入りを決意した。それを絶ち切ったのは、岡田を早く追い越したいーその執念だったのかもしれない。「彼が4年間、学生野球のぬるま湯につかるなら、オレはプロで本物の実力をつけてやる」季節が巡り五度目の春を迎えたとき、あの岡田が阪神に入団してきた。「岡田には負けたくない。4年間、プロでやったものと大学でやったものと力の差を見せてやる」この時期には不似合いなほど真っ黒に日焼けした顔から闘志がほどばしった。昨年の秋季練習からキャンプまで、宮崎が休日を楽しんだのは元日だけ。それ以外は中モズのグラウンドにへばりついていた。しかし、まだ待望の一軍入りは果たせない。遊撃には定岡、久保寺といった実力者がデンと腰を据えているからだ。守備力では、とうてい定岡にはかなわない。打撃センスでは久保寺が一枚上。だが、宮崎の飽くなきチャレンジは続く。「今までの努力は、いつか実を結ぶはずだと信じている。ボクはへこたれませんよ」キッパリといい切る。「アイツの練習熱心な態度には頭が下がる。2~3年のうちには上の2人を追い越す可能性は十分。次代の名門を背負う選手の1人だ」と穴吹二軍監督。リーグは違っても、いつか岡田を抜きたいー宮崎の鼓動は日増しに激しさを加えていく。

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薬師神繁男

2023-08-06 11:12:59 | 日記
1984年
薬師神繁男(三瓶高ー大洋)-入団1年目ですか?早かったです。終わってみれば春先のロッテ戦で2イニングとシーズンの終わり頃、日本ハム戦で5イニングですか、これだけ。これではまるでキセル登板ですね。内容はもうメチャクチャな中身でした。昨年、いちばんコーチのアドバイスでいわれたのは腕の振りですね。どうもフォロースルーからフィニッシュで手が内側にこないらしいんです。結果は全部シュートして、それも低目ならスクリューボールなんでしょうが、高目ばっかり。左投げですが、右肩も早く開き過ぎるともいわれています。まあ、伊東の秋季キャンプでかなりサマになっていましたが。球種はストレートとカーブ。これだけ。自信があるのはストレートの方ですね。今年は、まあ去年が去年だから、あまり大きなことはいえないですけど、去年以上っててとこですか。体をビシッと作らんことにはどうしようもないので。先発完投型のピッチャーになりたいです。でも目標とする選手なんかはいないですね。

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矢野正之

2023-08-05 20:36:10 | 日記
1994年
矢野はなんと高校5年生だった。練習には毎日参加したが、授業に出席しなかったため2年生を3年間経験。公式戦登板はわずか1試合のみで、ほとんど実績はない。公式戦に出場できない4年目と5年目は黙々とトレーニングを続け、西野監督にその野球への情熱を買われて今年夏、監督まで務めて4回戦まで進出したというユニークさ。西野監督の知り合いだった阪神・菊地スカウトが、その快速球にホレ込んでの指名となった。「うれしいです。とにやく上(プロ)で野球がやりたかった」という矢野。MAX142㌔の異色右腕がベールを脱ぐ日が楽しみだ。


1998年


ピッチャーではチーム最速、150㌔のストレートが武器の矢野正之が注目だ。制球難が欠点だが、ノーコン投手だった石井一久を、「ノーコンでもええから、見せ球を覚えろ」の一言で、セの代表的な速球投手に変身させた野村氏の手腕をもってすれば、大化けの可能性は十分だ。

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斉藤満

2023-08-05 20:16:41 | 日記
1983年


投手陣は左の斉藤満と右の水沢の二本柱で、ともに速球主体の本格派だ。
金足農斉藤満は大量リードを考えて、打者だけに神経を集中してピタリ封じた。二回からは速いテンポで内角へ直球とカーブを決め、五回森田に打たれた1安打に抑え、完封した。


左腕・斉藤満、水沢の両投手は完投能力十分、斉藤満は持ち前の速球にスローカーブを身につけ、投球に幅が出てきた。


決勝戦で投げた122球の全力投球が最後の登板となった斉藤満投手。羽城中時代は控えの一塁手であまり出番も多くなかった選手だ。「あいつの努力には本当に頭が下がる」と嶋崎監督。この大会を前にとうとう背番号1ー、エースの座をつかんだ。「甲子園へ行きたかったから苦しい練習にも耐えてきた」-その斉藤満投手だが決勝戦の重圧に、初回は頭がボーッとしたまま投げていたという。「勝とうという意識が強すぎたんでしょう」。細身の体でよく頑張ってくれたと保坂主将はねぎらった。


金足農の斉藤満投手(18)=南秋田郡昭和町豊川龍毛字細田27=がパ・リーグ・日本ハムファイターズに5位で指名された。斉藤投手は「日本ハム、ロッテの二球団と事前に接触があったが、ドラフトで指名されるとは思っていなかったので5位指名は本当にうれしい」と感想を語った。注目される日本ハム入りに関しては「これから両親や野球部の部長、監督とじっくり話し合ってから決めたい」としながらも「日本ハムはパ・リーグの中では好きな球団、早くプロの水に慣れ、三振のとれるピッチャーを目指したい」とプロ入りに強い意欲を見せている。斉藤投手は左投げ左打ち、181㌢、69㌔とやや体重が少ないものの上半身を利かしたフォームから繰り出す速球、落差のあるカーブと流れるカーブが武器。金足農では一年の夏に外野手から投手に転向。今年は夏の甲子園県予選決勝で秋田高の太田政直投手と投げ合い0-3で惜しくも敗れたが、非凡さを感じさせる投球術で多くの高校野球ファンをうならせた。今年の通算成績は20勝3敗。この日の指名は、六時間目の授業終了直後、学校の事務室に呼ばれて聞かされた。学校側の連絡で駆けつけた斉藤投手の父会社員高雄さん(41)、笑子さん(41)の両親に祝福され、緊張気味の顔も思わずほころんだ。高雄さんは「満は根っからの野球好き。小学生のころからプロ入りを夢見ていた。本人が希望するのであればプロでやらせたい」とプロ入りに賛成。斉藤投手を育てた嶋崎久美同校監督も「腕の振りは先天的なものを感じさせる好投手。体力さえつけばプロでも十分通用するだろう」と語っている。「目標の投手は同じ左腕の金田正一元投手。プロ入りしたならば、一日も早く一軍へ上がり同郷でもあるロッテの落合選手と対戦してみたい」と早くも抱負を語るなど、日本ハムとの正式契約が待ち遠しそう。


1984年


タテの大きく落ちるカーブをより一層磨きをかけて、一日も早くゲームに出場したい!


1985年


ブレーキ鋭く落差のあるカーブが武器だが、これに磨きがかかれば一軍入りも。

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山蔭徳法

2023-08-05 19:34:49 | 日記
1985年
長身から繰り出すストレートはピカ一。カーブの切れもよく、体を作れば伸びる逸材。速球は130キロを超え将来性十分。昨年夏の岩手県大会、代表になった大船渡高に準々決勝で3対4で惜しくも敗れた。


1987年


「3年目、今シーズンこそ、ファームでドンドン投げたいですね」と決意を語るのは山蔭徳法投手だ。ドラフト4位で盛岡商から60年に入団、昨シーズンまで体づくりに重点が置かれていた。が、種茂二軍監督も「そろそろイースタンで投げてもらわなければ困る」と尻を叩いている。カーブしかなかった変化球に秋季キャンプで落ちる新球をマスターした。「今年は一軍昇格への足がかりにしたい。そのためには、ファームでまず1勝ですね」同期の松浦が一軍で1勝をあげているだけに、追い着き追い越せが目標だ。

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山本幸正

2023-08-01 10:18:11 | 日記
1992年


180㌢、82㌔、右投げ右打ち
114イニングで奪三振110。「まっすぐで押してカーブで三振をとるのが基本」と本人がいうように、大・小ふたつのカーブにかなりの自信を持っている。伝家の宝刀の表現がピタリでその威力は東京一の評価。「たくさんの人が見ている甲子園で堂々と楽しんで投げます」

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与座朝勝

2023-08-01 08:41:43 | 日記
1986年
家は、沖縄で二代つづいている琉球舞踏の「劇団・与座」の家元。父・朝庸さんは沖縄俳優協会理事で劇団の座長・母・君子さんはエース女優、与座朝勝は長男だから三代目として跡を継ぐ立場にあった。事実、4歳のときに初舞台を踏み役者としての教育を仕込まれてきた。だが、「演劇より野球」を選んだ。53年の県予選、神里ー石嶺のバッテリーの豊見城には敗れたが、普天間、宜野座を連続完封したピッチングが二重丸で、当時の大洋・別当監督は「ひとつの型をもっている」と目を細めた。145㌔のスピード、大きなカーブ。だが与座もまたコントロールが乱れた。5年間、イースタン1勝の白星がプロの思い出になった。

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