プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

永野吉成

2023-08-23 14:50:30 | 日記
1989年
ストレートにカーブ、シュートだけの投球で昨年は試運転も、抑えとなると単調な投球は致命傷だ。抑え転向、一本立ちの武器として目下、「パームボール」をマスター中だ。「なかなか、うまくいかなくて…」そう簡単には宝刀は手に入らないが、グラウンドはもとより宿舎に戻っても握りの感覚をつかむために、とボールは決して手放さない。「まさか、こんな大役が回ってくるなんて予想もしなかった。牛島さんのそのままの成績ってのは無理だけど、一歩でも近づけるように、必死でガンバリます」と24時間野球漬け、を誓った。


1993年


一軍定着を期待されながらも伸び悩んでいた永野。92シーズンは10勝7敗、防御率2.93と安定感のある投球で、イースタン最多勝を獲得するという堂々の変身をとげた。2年前に覚えたスライダーの影響で、ストレートがナチュラルにスライドするというムービングファスト・ボールとシュートによる横の揺さぶりが打者を仕留めるのに有効だったが、本人は「監督が信頼して使ってくれたことが一番大きかった」と飛躍の要因を分析する。

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稲垣秀次

2023-08-23 11:07:53 | 日記
1982年
巨人は、三日、ドラフト外で田中土質基礎研究所勤務の稲垣秀次投手(18)=1㍍89、83㌔、右投右打、調布三中出身=を獲得した。稲垣は、中学時代、リトルリーグの調布チームに属し、この日ヤクルト入りを断った早実・荒木、中日がドラフト六位で指名した日大三・宮下とエース・トリオを形成していた。中学卒業後、都内の定時制高校に進学したが、一年でやめ、調布市にある田中研究所に勤めながら、同社の軟式チームで投手兼三塁手でプレーしていた。その合間にはリトルリーグの関東連盟会長である林和男・林建設社長、林貞夫専務の経営するバッティング・センターに顔を出していたが、あまりのパンチ力に驚いた林氏が、友人である巨人・岩本スカウト担当補佐に紹介。尾オールスター前に国松二軍監督ら立ち会いのもとにテストを受け、国松二軍監督らも「おもしろい素材」と採用を決めていた。

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林茂

2023-08-23 10:41:59 | 日記
1950年
杵島炭鉱チームの主戦投手として知られていた。せいが六尺もあり、その長身から投げおろす直球はのびがあって威力がある。これでカーブがもっとするどくなれば、今シーズンはかなりの活躍をする。

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堀田徹

2023-08-23 10:28:48 | 日記
1982年
京都商の堀田は高校を四年間通った。一年のときヒジを痛め、蓄のうの手術をしたため出席日数が足りず留年、三年生の今年はコーチとして練習に参加した。しかし、二年の昨夏、甲子園大会で三番打者として暴れ回ったことは記憶に新しい。

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寺島公

2023-08-23 09:55:53 | 日記
1950年
大連高商を出てから、大洋漁業の主力となり、都市対抗の古顔。きびきびした選手で、速球とコントロールのよいカーブは、今西たち第一線投手が十分にはたらいたあとを助けるりっぱなリリーフ投手。

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林直明

2023-08-23 09:53:43 | 日記
1950年
シンカーのような直球と独特のカーブで、一試合七十三個の最少投球記録をもっている。こがらだが完投投手で、昨年は太陽第二軍にいたが、ことしは今西・片山とともに大洋投手陣の第一線だ。

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藪田政則

2023-08-23 09:45:40 | 日記
1950年
西南学院から門鉄にはいり、ねばり強いピッチングを見せた。がっちりした左投手で武器はするどいイン・ドロ。西日本の若手投手中ではもっとも期待されるが、旧球団相手に完投するには努力が必要。

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初岡栄治

2023-08-23 09:32:28 | 日記
1950年
一昨年北関東球界で下妻中の投手として聞え、昨年東鉄で都市対抗に健投。こがらながら曲球、ドロップともよく、コントロールもあるが、慾は上背がほしいところ。若いので主戦投手はまだむりだ。

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成田啓二

2023-08-23 09:29:50 | 日記
1950年
慶大の初陣に早慶戦の勝利投手として一躍有名になった。これというきめ球はないがコントロールのよい頭脳的投球を生かせばリリーフとして使える。シュート、カーブ混用の緩急投法が興味深い点。

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中沢春雄

2023-08-23 09:19:06 | 日記
1964年


石下中学校出身、主将
中沢、倉持、増田のクリーンアップトリオがチームの得点源。中沢はシャープなバッティングをみせている。遊撃手で主将の中沢を中心に、内外野とも比較的まとまっている。中沢、倉持、増田らが堅実なプレーをみせ、足も早い。

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山蔭徳法

2023-08-23 09:05:10 | 日記
1984年
山蔭投手は「(巨人の)槙原、江川のようなストレートで勝負する投手になりたい。」と抱負を語った。丸尾スカウトは「足が速く手首が軟らかい。三年ぐらい仕込めば(一軍で)投げられると思う」と山蔭投手の素質を高く評価した。背番号は入団発表までに決められる。山蔭投手は見前小学校時代から野球を始め見前中を経て盛岡商に入学。恵まれた体を生かしてストレート主体のピッチングで二年生からエースになった。今夏の県大会は準々決勝で大船渡の金野投手と投げ合い3-4で敗れはしたが、堂々とわたり合い、ファンを満足させた。


盛岡商の山蔭徳法投手は二十一日午後三時半すぎから盛岡市本宮の同校校長室で会見「4位指名は信じられない。うれしい限りだ。全力でプロの世界で頑張ってみたい」と早くもプロの成果へ大乗り気なところをみせた。山蔭のプロ入り打診は、九月に入ってから日本ハム、ロッテの二球団からあったという。山蔭は身長182㌢、体重71㌔、紫波郡都南村津志田19-24-16で運送業を営む弘一さん(52)の長男。見前小学校時代から野球を始め見前中を経て同校入学。二年の夏からエースとして活躍した。右上手投げの本格派投手で、球種はストレート、カーブ、シュート、スライダー。今夏の県大会ベスト8が最高だが、手首の柔らかさ、足腰のバネの強さが注目されていた。山蔭のプロ入りに当っては、家族の反対もなく、入団交渉はスムーズに運ぶものとみられる。


山蔭投手の話 プロ入りは夢だった。早く一軍で投げられるように努力する。目標は巨人の槙原投手のような速球派だ。

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