プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

田島克彦

2024-01-12 09:41:13 | 日記
1982年
「パワーもあるし、ウチでは貴重な右の外野手だから、大事に育てる」と、二軍首脳陣から将来を背負っていけるだけの好素材と高い評価を受けているのがルーキー田島外野手。今のところ本塁打は1と少ないが、打撃練習でみせるパワーは目を見張らせるものがる。序盤戦、ついていけなかった変化球も、スピードに慣れ対応できるようになってきた。現状、蓑田以外にこれといった強力な右の外野手がいない。吉沢、山森、同じルーキーの南牟礼などと、層の薄い右の外野の一角を目指し、闘志を燃やしている。

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及川美喜男

2024-01-12 09:33:52 | 日記
1983年
及川の売り物はシュアーなバッティング。さらに一発長打の魅力も合せ持つ。ファンの期待は浩二二世一軍の活躍だ。ウエスタンでの打率は・275。本塁打6本。昨シーズンの自信を糧に一軍定着を果して欲しい選手だ。


1986年


「バッティングに余裕がでてきたました」自分で力の配分がわかったような気がするんですよ」と及川選手。昨シーズンは17本のホームランを放ち、米村選手(急)とともにウエスタンリーグの本塁打王に輝いた。今年はいよいよ一軍で、かれ独特のパワーあふれるバッティングを披露してくれるかもしれない。「いつも春先はいいんだけど、ケガに泣かされて…。昨年フルに働けたことと、タイトルを取れたことで自信がつきました。まじめな性格でコツコツ練習をするタイプ。勝負強さと安定したバッティングで身につくと、必ずや一軍での活躍は期待できる。「今年は絶対に一軍に上がって、チームに貢献します!」と誓う及川選手に注目したい。

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伊藤寿文

2024-01-12 08:44:07 | 日記
1983年
馬力のある東芝の大型捕手で鉄砲肩が看板。実戦のキャリアは少ないため送球モーションが大きいなど課題も少なくない。「レギュラーではないが打てる捕手だけに鍛えれば」(木庭スカウト)と指名した。182㌢、82㌔。


伊藤捕手の話…肩にはいささか自信がある。打撃はカウントからの早打ちで、調子の悪いときは難しい投球にバットが出てしまう。課題は多いが、川端と一緒なのは心強い。いまのプロ野球にいないタイプの捕手を目指して頑張る。


1984年


「根性だけは誰にも負けない。昔の妻のような耐える女房役になりたい」入団発表の席でこう抱負を語った、伊藤寿文捕手。川端と同じ、ノンプロ東芝からの入団である。「肩の強さと長打力が何よりも魅力」スカウト陣の言葉を裏づける、遠投120m以上の鉄砲肩は、それだけでもセールスポイントになりうる。送球モーションが大きいことやピッチャーのリード面に若干の課題を残すが、これは実戦のキャリア不足からくるもの。経験を重ねていけばおもしろい存在になりそうである。一方、パワーにものをいわせての長打力にも見るべきものがある。昨年の公式戦では、71打数26安打で6本のホームラン。長距離打者としての素質を感じさせる数字である。「人一倍の努力によって、レギュラーポジションを獲得して欲しい」カープ待望の、長打の打てる捕手誕生となるかどうか。パワーと根性をもった大型捕手には、かかる期待も大きい。


1986年


正体不明の眼病でファンをやきもきさせた伊藤選手だが、原因も「眼の裏側に脂肪の塊が出来て、眼球を圧迫していた」と解明。無事、全快して昨年暮れに退院。キャンプでは「これからも野球ができる」と、もとどおりの明るさが戻っていた。「一年通じてケガさえしなければ、やっていける自信はあります。病気も治り、今シーズンはすっきりした気持ちで野球に打ち込めますよ」と晴れ晴れした表情だ。「右の代打が求められるシーズンになると思っています。与えられたチャンスをものにし、いい場面で使ってもらえるよう精一杯頑張ります」そして日南の青空のもと「ホームラン10本を目指します」と、伊藤選手は力強く宣言してくれた。


1989年


広島から新天地ダイエーに移り、心機一転して頑張っている。プロ入り6年目、一軍での活躍はまだまだだったが、今季は「自分のバッティングを生かし、ポジションを取る」と気合い十分。ロングヒッターとしてダイエー打線の一角にはいることが期待される。

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石本龍臣

2024-01-12 08:11:00 | 日記
1983年
鳥取県の倉吉北高から入団したのは、石本竜臣投手。ドラフト指名から5日目のスピード契約であった。そこには、一日でも早くプロとしての実戦をつかみたいという、若者らしい気持ちをくみとることができる。生まれつきの恵まれた体格。柔軟性の良さ。しかも、100mを11秒台で走る素晴らしい脚力。一流投手としての資質をすべてかね備えた、将来の有望株である。下半身のバネをきかせての140kmを超すストレートは、南海に1位指名された僚友・加藤に少しも見劣りしない。「変化球は全然ダメ。でも、真っすぐだったら誰にも負けません。長身を生かしたストレートを武器に、一日でも早く一軍入りできるよう頑張りたい」将来の右の大型本格派投手として首脳陣が期待するルーキーは、夢も大きい。「二千万ぐらい稼げるピッチャーになってみせます」3年後には、その成長を一軍のマウンドで見せて欲しい。

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富永章敬

2024-01-12 08:00:54 | 日記
1990年
目が印象的だ。まだ高校生だというのに、緊張するはずの入団発表の席上でもまゆをつり上げ、ものおじしない勝ち気な一面をうかがわせる。そんな富永が、落胆の表情を浮かべたのは、二十四日のドラフト会議だった。「指名があるかもという気持ちで待っていましたがー」いつまでも挙がらない自分の名前。既に愛工大に推薦入学が決まっている事情もあったが、それでも残念だった。しかし、気持ちの切り替えは早かった。「仕方がないじゃないか、ドラフト外にはこだわらない」父・弘さんが同じ島根県出身の同郷ということで懇意にしている新宅スカウトのかねてからのラブコールに、富永の心も決まった。大学進学を断念し、中日への入団を自分で選んだのだ。「実績がない僕を見込んでくれた中日への感謝と、プロでやれるというれしさでいっぱいです」弘さんも同席したこの日の入団発表の席で、富永は開口一番に晴れ晴れとした表情でこういった。ことしの夏の愛知県大会では、3回戦で一宮工に1-2で惜敗した。その前の春季県大会ではベスト8まで進出する原動力になったものの、準々決勝で東邦に当って12失点と打ち込まれている。それでも新宅スカウトは「強豪校ではないし、全体の守備とか考えたら、点を取られた取られないは関係ない。何といっても、腕の振りが素晴らしいんだから」と、好投手の最大条件といえる天性の腕の振りに素質を見いだしたのだ。本格的に投手を始めたのは高校に入ってから。それも、蟹江高が野球校ではないこともあって「自分で道を切り開け」と言われ、本格的なコーチを受けないままここまできた。そんな経歴を考えれば、最高スピードが「140㌔ぐらい」(富永)も出るということ自体が脅威。まさに「未完の大器」なのだ。チームの先輩となる西本もドラフト外だったことを聞かされると「エッ、本当ですか。全然知りませんでした」と思わず表情を緩めた富永。「下半身を鍛え、腕の振りがいい今中さんを目標に」と話す顔に、将来のエースを狙うドラフト外の雑草の意地がのぞいた。

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小浜裕一

2024-01-11 21:19:39 | 日記
1985年


小浜は181㌢、73㌔の大型。スピード自慢だけに、緩いカーブも効果的。春先、調子を崩したが、復調の兆しは見えている。
1986年


「切れのいい直球で勝負できる投手が目標です」-昭和43年2月19日生まれの18歳、身長182cm、体重79㌔、右投げの本格派投手、背番号73。昭和63年1月阪急ブレーブスにドラフト外入団、神戸市立葺合高校出身ーこれが小浜裕一のプロフィールだ。「高校を卒業をしたら大学へ行って野球を続けようと思っていました。プロになれるとは思いもしなかったんだけど、試しに受けたプロテストに受かってしまったんです」とテレ臭そうに笑う。甲子園には縁がなかった。


人工芝で野球がやりたくてテストを受け、120人の難関を突破し見事入団。投手経験は浅いが常時140㌔をマークする球威の持ち主。


1988年


練習漬けですっかり逞しくなった。テスト入団の意地を見せよう。


1989年


基礎体力もつき、スピード、制球力、コンビネーションなど投球内容に安定度が増した。力はある。ファームのゲームでどんどん投げぬき、自信を深めたい。強気でゆこう。気持ちさえ逃げなければ活路は開ける。飛躍の年。


1991年


ウエスタンリーグで8勝。そしてファームのエースは10月4日、対ロッテ戦(川崎)で初セーブをあげた。「あんなに真面目に練習する選手はいない」と仲間はいう。「今年はとにかくどこまでできるか挑戦してみる」中継ぎでも抑えでも、やっぱり一軍の味はこたえられないよね。


1992年


一軍での活躍が期待されていた昨年は、不運にも故障に泣かされた。しかし、チーム一番の真面目な男は、腐ることなく黙々と下半身強化に努めた。今季は再びマウンドに姿を見せ、相手打者を得意のミラクル変化球でキリキリ舞いさせてくれるだろう。


1993年


故障から立ち直り、昨年は久々に一軍のマウンドに立つことができた。わずか2試合の登板だったが、復活へ確かな手応えをつかんだ。バットの芯を微妙に外す頭脳的ピッチングが帰ってきた。


1994年


クレバーなピッチングとは彼のような事を言うのだろう。丁寧にコーナーをつく投球が微妙に変化し、相手打者は首をひねるばかり。今季こそ一運に定着し、プロ入り初白星を掴んでくれそうだ。

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松林和雄

2024-01-11 20:51:04 | 日記
1980年
松林は足と肩をそなえた強打者。特にパンチ力に広島は早くから注目していた。通算成績は打率3割6分、18本塁打。二、三年後、外野陣の一角に食い込める素質を持つ選手として期待をかけている。180㌢、75㌔、右投げ右打ち。


四、五年のうちに一軍に上がれるようにがんばりたい。山本浩さんのように三拍子そろった外野手を目指す。バッティングは右一本で、長打力にみがきをかけたい。


無名ではあるが中国地方の高校球界では傑出している。他球団からも話はあったが「広島以外は入団しない」と広島一本に絞っていた。スケールが大きく、1試合に2本塁打も珍しくない強打者。守備もうまい。中学時代に陸上ランナーとして鳴らし、足腰が強いのも魅力。180㌢、75㌔、右投げ右打ち。


広島の3位指名を受けた柳井商高の松林和雄外野手(18)=三年=は「4位指名か、はずれるかと思っていたが、3位指名という高い評価を受け、とてもうれしい。機動力があり、明るいムードの広島カープにあこがれていた」と興奮気味。グラウンドで、後輩選手に胴上げされ「先輩がんばれ」と激励されていた。高校時代は一年生からレギュラー。通算打率3割6分、本塁打18本の強打者。「山本浩二選手を目標にがんばる」とプロ入りの決意を固めていた。


1982年


ルーキーだった昨年、持ち前の快足を生かしてスイッチヒッターに転向した松林和雄選手。「将来は、一、二番を打てる打者に育てたい」(阿南二軍監督)まだ入団して2年目、ましてスイッチして一年となれば「小細工がきかない」のも仕方ないところ。


1990年


入団してまず思ったことは、溶け込みやすい明るいチームだということだ。福岡という街も、食べ物が安くて新鮮で、住みやすい。印象どおりの街で気にいっている。トレードの話を聞いたとき、最初は悔しい思いもしたが、やる気を奮い起こした。スイッチヒッターなのにパンチ力のある右打席にしか立てなかった広島時代よりも、ホークスの方が自分の良い面が出せるのではないかと考えている。そしてホークスなら、数多くチャンスが回って来るだろう。1年でも長く野球をやりたいし、与えられたチャンスは決して逃さずに、ひとつひとつのプレーに責任をもってのぞみたい。出塁率をあげて塁に出れば足を見せたいと思っている。

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別所真三・西野叡治・福島孟男

2024-01-11 20:35:52 | 日記
1957年
「最初から二軍に入れられしぼられたものはシンがある」と話しているのは根本コーチ。今年二年目になる別所=浪華商、西野=南部高、福島=八戸高(いずれも投手)らは、その意味からいって来年から一軍に登録される可能性がある。この三人はともに六尺近い恵まれた体格で、とくに真向から投げ下す球は、スピードがあり、ドロップを決め球にもっているので期待される。一軍の試合が始まる前に打撃練習が行われるが、彼らはそのバッティング・ピッチャーに起用され、ベテラン相手にビュンビュン投げている状態だ。

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木村勉

2024-01-11 19:47:34 | 日記
1956年
近鉄の木村勉外野手は現在チームの中で最高の打率・292をあげ、ベストテン七位に顔を並べている。負傷でしばらく欠場していたが八月十一日の大映戦から元気な姿をグラウンドにあらわした。五割の線をマークしたいと芥田監督が意気込む近鉄にあって後半戦の活躍が大いに期待されている。


八月七日の阪急戦(西宮)で左肩にデッドボールをくらって約半月休んでしまった。ちょうど当りのでていたときなのでまったく残念だった。八試合連続安打していたし千本安打にあと十本というので張切っていた。連続安打はどのみち、そう続くもんではないから大して気にはしていないがバッティングに調子がのってきていたときなので欠場したくなかった。内出血で腕のつけ根のところがすごくはれ上がって一時はもと通りになるのかなと心配した。まだ完全になおっていないので無理がきかない。投げるときは利腕でないからこたえないがバッティングのとき力がはいらず引っぱれない。それにインコースにシュートがくると無意識のうちに身体をうしろへ引いてしまう。若いもんと違ってわれわれは年をくっているからいったん調子にのると容易にくずれないが、調子が狂うと、もとへもどるのにヒマがかかる。傷が完全になおるまでもう少し休みたかったが自分勝手なことばかりいっておれない。武智修君も足の負傷がなおっていないのに頑張っているしボクものらりくらりと休んでいるわけにはいかん。それに今シーズン中にぜひとも念願の千本安打をやりとげたいと思っている。あとわずかだし故障がないかぎり大丈夫だと思うがあまりあせらずのんびりやりますよ。そりゃ胸のうちではほかにいろんな希望や目標をもっているがボクなどはこれからの選手ではないし、もう峠にきているんだから大きなことはあまりのぞまず、ともかく千本安打を目標に、それができればまたあらたな目標を持ちたいと思っている。

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中島治彦

2024-01-11 19:30:59 | 日記
1988年
強気を売り物にするこのルーキーは、入団交渉で最も大切な金銭交渉でも、あっさりしたものだった。交渉が始まって、わずか十五分。それでもう入団が決まっていた。推定契約金三千七百万円、年棒六百万円。「ボクが思っていたより高い評価をされ、満足しています」その中島、自分の売り物は?と聞かれて、間髪入れずに答えたのが、これ。「攻めるピッチングです」同席した北海道担当の谷木スカウトもうなずいた。「速球は140㌔。まだ速くなる。とにかく、インコースにグイグイと投げるシュートがすごいんだよ」どうやら、マウンド度胸がいい投手らしい。そういえば経歴も一風変わっている。南国・宮崎の日南学園から、北国・苫小牧へ。「野球をやらないつもりで、地元・日南の王子製紙に入ろうとしたらこうなって」「高校で野球をやめるつもりが、いまやプロへ」というんだから、なるほどユニークな話だ。まだ二十三歳ながら、奥さん(百合子夫人)だけでなく、生まれて二ヶ月の長女の桃子ちゃんもいる。「とにかく、巨人に入る吉田君より多く投げたい。自信はあります」苫小牧工場出身としてはロッテの高沢秀昭外野手以来、二人目。「ぜひ、二人の対決ができるような選手に」と村瀬工場長代理や樋口監督にハッパをかけられて「頑張ります」と連発する中島だった。

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中島治彦

2024-01-11 19:28:19 | 日記
1988年
強気を売り物にするこのルーキーは、入団交渉で最も大切な金銭交渉でも、あっさりしたものだった。交渉が始まって、わずか十五分。それでもう入団が決まっていた。推定契約金三千七百万円、年棒六百万円。「ボクが思っていたより高い評価をされ、満足しています」その中島、自分の売り物は?と聞かれて、間髪入れずに答えたのが、これ。「攻めるピッチングです」同席した北海道担当の谷木スカウトもうなずいた。「速球は140㌔。まだ速くなる。とにかく、インコースにグイグイと投げるシュートがすごいんだよ」どうやら、マウンド度胸がいい投手らしい。そういえば経歴も一風変わっている。南国・宮崎の日南学園から、北国・苫小牧へ。「野球をやらないつもりで、地元・日南の王子製紙に入ろうとしたらこうなって」「高校で野球をやめるつもりが、いまやプロへ」というんだから、なるほどユニークな話だ。まだ二十三歳ながら、奥さん(百合子夫人)だけでなく、生まれて二ヶ月の長女の桃子ちゃんもいる。「とにかく、巨人に入る吉田君より多く投げたい。自信はあります」苫小牧工場出身としてはロッテの高沢秀昭外野手以来、二人目。「ぜひ、二人の対決ができるような選手に」と村瀬工場長代理や樋口監督にハッパをかけられて「頑張ります」と連発する中島だった。

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小川祥志

2024-01-07 11:27:27 | 日記
1988年
ドラフト外で、千葉・印旛高の小川祥志投手=179㌢、78㌔、右投げ右打ち=の獲得を発表した。小川は中日の入団第一号。小川は一年生からエースとして活躍してきた右の本格派。速球に加え、威力のあるカーブ、スライダーは、早くからスカウトの注目を集めていた。五月、大宮東との練習試合では、今ドラフトで中日が3位に指名した山口を8打数無安打に抑え込んでいる。また、投手としての素質もさることながら、パンチ力も兼ね備えた抜群の打撃センスも魅力。高校通算48本塁打、4割6分の高打率を残し、担当の三宅スカウトは「打てる内野手として育てていきたい」と話している。契約金は千五百万円、年棒三百六十万円(いずれも推定)


家族・父芳徳さん(60)=自営業、母・みどりさん(55)・妹・三穂さん(17)

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加賀元

2024-01-07 10:18:58 | 日記
1991年
ルーキーの加賀が、上位を小川、大内ら一軍クラスで組んだ日本ハム打線に立ち向かった。何せ初対決、予備知識が全くないなかで序盤は様子を見ながらの投球。二回、小川に右翼越えに本塁打。三回は二死一、三塁から住吉に右翼線テキサス二塁打を打たれ、計3点を失った。だが、四回以降3イニングでは1安打されただけ。小川はあとの2打席を左飛に打ちとり、住吉は遊ゴロ併殺打。「(2つの併殺は)いずれもフォークです。このボールを教育リーグ、秋季キャンプを通じて完ぺきにしたい」打たれはしたものの一人に2安打しかされず、キッチリお返しもしただけに新球フォークの手ごたえは十分。

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前田勝宏

2024-01-07 10:08:01 | 日記
1993年
ノーワインドからちぎっては投げる剛速球。その威力ときたらまさに、ロケット弾だ。フリー打撃の垣内、中村の両打者がバットに当てるのがやっと。ほとんどボールを前に飛ばすこともできなかった。ブルペンに帰ってからがまた、すごい。実戦形式にカウントを取りながらの投球で、前田は速球、SFF、カーブ、スライダーを交えての投球。いずれもコースぎりぎりに決まり、課題の制球の心配もなし。三人の仮想打者をすべて三振に打ち取ったのだ。「キャンプで最高の出来でしたね。恐らく148㌔は出ていたと思います。SFFも140㌔はマークしていたはずです」と前田は胸を張った。キャンプ当初はフォームが小さいと、杉下投手コーチに注意されたが「もうフォームは完全に自分のものにしました。肩も完ぺき。150㌔の投球ももう少しで披露できるはずです。きょうの投球でプロでもやっていける自信がわきました」MAX157㌔をマークしたことがある日本最速男は、自信満々に言い放った。高倉健、菅原文太が大好きで「義理と人情」の世界にあこがれるパンチ前田。「マウンドに汚れていればいるほど燃える」と火消し役を望む。森投手コーチも「アイツには三人抑えてもらうだけで十分」と、ストッパー専門に育てる予定だ。サイドスローから切れで勝負する鹿取、潮崎に、真っ向勝負の剛腕前田が加入した西武。難攻不落のトリプルストッパーの完成だ。

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鈴木健

2024-01-07 09:55:49 | 日記
1993年
ゾッコンほれ込んだ。紅白戦初登板のルーキー鈴木健。山本監督は、その場で二十一日のオープン戦開幕(近鉄戦・都城)の先発予告をしてしまったのである。「予定どおりにいけばそうするよ。思ったとおりの投手や」当初の予定は三月七日(西武戦・福山)デビューだった。その計画を大幅修正しなければならないほど、魅力にあふれていたようだ。一軍ベストオーダーを相手に2イニングを無失点。被安打2、四球1、奪三振2。MAX143㌔の速球が低めに決まり、シュート、スライダー、カーブもキレた。「全然ですよ。満足いったのは3、4球です。真っすぐのコントロールもさっぱりだし、スピードもまだまだ」と鈴木は言う。日本石油時代はMAX147㌔を記録した男。ここ数日、やっと変化球の練習に取りかかったばかり。本人は納得しないが周囲は称賛の声を送る。「低めに集められて、最後に落差のあるフォークを落とされたらついていけん」(三振した西山)「低いと思って見逃したのにストライク。ベルトの球がないし」(同じく、原)阪神の007、小笠原スコアラーも「ものが違うねえ。どんなカウントでも、いろいろなボールが投げられるし、注意せにゃいかん」と赤マルをつけたほどだ。

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