プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

近藤芳久

2024-01-07 09:45:58 | 日記
1989年 
平成のプロ1号、広島・近藤芳久投手(23)=右投げ右打ち、180㌢、80㌔、東芝出身=の入団発表が十四日、広島球場で行われた。近藤は東芝で控え投手だったが、制球力がよくカーブ、スライダー、フォークを武器に、公式戦では25勝12敗をマークしている。それだけに本人も「開幕一軍を目指します」とキッパリ言う。夢は中日・落合と対戦することだ。秋田・能代商出身ということで、故郷と会社の大先輩でもあるセ・リーグのスターと戦うことを今から心待ちにしている。「ボクは変化球で打ちとるタイプ。落合さんとやれたらどんなに素晴らしいことでしょう」席上、松田オーナーから「松林が平成1号の結婚式を挙げ、近藤君は1号の入団。お祝いごと続きだから頑張ってほしい」と激励を受けた近藤。その顔はやる気にあふれていた。

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富永章敬

2024-01-07 09:39:08 | 日記
1991年
ルーキー富永がブルペンに立つと、決まって首脳陣が駆け寄ってくる。183㌢、78㌔の身体を躍動させる。「速い。与田より速いかもしれない。腕の振りがいい。バランスがいいからこの速い球が投げられる」首脳陣がつぶやく姿も恒例である。富永章敬、19歳。無名といってもいい蟹江高のエースだった。その素質に惚れ込んだ現一軍バッテリーコーチの新宅スカウトの主張で入団したが、我流で投げたスライダーが悪かった。「投げ方が悪くて4月末にヒジを痛め、以来、半年間ボールを握らせずにきた」と稲葉二軍投手コーチが振り返る。そのため、三軍扱いの中で毎日走るしかなかった。そのために下半身が出来、水谷コーチがピッチングを一から指導。腕を、真上から振りおろす本格派右腕が誕生した。「確かにこの投げ方の方がピッタリきます。高校の時より球が速くなった感じがします」ただ課題も多く「けん制、フィールディング、コントロールも正確なものにしないと」水谷コーチは「何よりの魅力は速さと大きなフォーム。期待度という点では、若手で一番なんだ」富永は課題を克服し、来季は高木中日の秘密兵器となるかもしれない。

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金子歩・小池貴志

2024-01-07 09:23:11 | 日記
1988年
中日は二十四日、テスト生の金子歩(あゆみ)投手(19)=176㌢、75㌔、左投げ左打ち、東海大甲府高出=と小池貴志投手(18)=184㌢、74㌔、右投げ右打ち、愛知・星城高=の二人の採用を決め、名古屋市中区栄の中日球団事務所でそれぞれ練習生として入団契約をした。両選手とも先月十三日、ナゴヤ球場で行われた「新人テスト」を受け、基礎体力テストなどの一次試験に合格したあと、中日の浜松秋季キャンプに合流、そこでの二次試験をパスし、採用にこぎつけた。昨年、同テストを受けて入団した北村に続き、中日は二年連続でテスト生を採用。「あこがれのプロ野球選手になれてうれしい」東海大甲府高を卒業後、社会人野球の練習生として野球を続けていた金子は晴れてプロに合格した喜びにあふれていた。浜松キャンプでは初めてプロの練習に参加。「これなら十分ついていける」と自信満々。テストを受験した中で群を抜いて速かったストレートが武器だという。小池は高三の六月に右ひじを痛めて甲子園を断念。「始まってからもう一度自分の実力を試したかった」と念願かなっての合格に感激も新たな口調。「郭源治さんのようなピッチャーになりたい」と意気込みを語った。背番号は金子が「97」、小池が「94」と決まった。


1989年


昨年の北村に続き、今年も2人のテスト生が入団した。金子歩(あゆみ)投手と小池貴志投手(18歳)である。両投手とも昨年11月中旬のナゴヤ球場での新人テスト、浜松秋季キャンプで合格してのプロ入団。金子の武器は140キロを超す速球。小池は「痛めた右ひじが治った。一度自分の力を試したい」との抱負。

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服部力

2024-01-07 09:08:32 | 日記
1950年
法大では関根の前の投手だったが、球があまりすなおすぎてよく打たれた。しかしコントロールがよくカーブもきき、リリーフ投手として活躍するだろう。打力も確実で外野もよく守れる。

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松元繁

2024-01-06 21:45:06 | 日記
1995年
内臓疾患で一時は選手生命も危ぶまれたが、見事に回復し、一軍のマウンドにも上がった松元繁投手。キレのいい真っすぐと鋭いシュートで打者を攻めたてる投球は、見る者に快感すら与える。一軍定着まであと一歩に迫った右腕の今後に注目だ。

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香川秀光

2024-01-06 21:41:02 | 日記
1950年
一昨年の甲子園大会に丸亀高から出場した少年投手。投球フォームもととのい、コントロールもあるが、なんとなく球に力がたりない。体質的にも少年期なので、これからの努力がたいせつ。

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香川秀光

2024-01-06 21:25:31 | 日記
1948年
陣容に移動がないのが強味、ホープ香川は依然健在であり優勝候補の随一と称される主戦投手香川は大きく割れるアウドロと打者の近くでホップする速球を武器とし、最近ますますその「さえ」をみせた。強肩強打の新居捕手のよきリードと相まって県下随一のバッテリーを形成している。


丸高の香川投手はアウドロとスピードボールに一高の打撃を封じ攻めては香川を中心とした打陣で着実に点をかせぎ出し、そのまま逃げ込む作戦に出ようし、一高はただ一途に香川攻略に突進し戦法に出ると予想、全般的にみてチーム力にややまとまりを見せる一高がわずかながら有力に見えるが、全く予断を許さない。


香川、新居の県下髄一のバッテリーを中心にガッチリまとまった同チームは打撃力の向上いかんでは県予選の優勝校高高に雪辱して甲子園に出場する可能性が非常に多い、投手香川の速球、アウドロはますますそのさえをみせ調子がよければほとんど手がつけられず調子が悪くてもまず愛媛二チームには三点以上はあたえそうもなく、とくに昨年十一月以来愛媛勢をほとんどなできりにしているので試合を有利にすすめることができ、結局打撃力とくに下位打者のあたりと香川投手の調子いかんでは愛媛二チームはもちろん高松高にも雪辱して甲子園に初出場する可能性が十分ある。


至宝香川投手の大きく割れるアウドロとコントロールのよい打者の近くでホップする速球は定評があり全国においても小倉の福島、四京の北本、またすでに惜敗はしたが高知高の前田などについで優秀な部類に入る投手。第二次予選の二試合に敵にあたえた四球わずか四つ、敵からうばった三振十五がよくこの辺を証明しており、さらに他校投手によくみられるくずれがほとんどないのが弱味、これに関する強肩強打の新居捕手と好バッテリーは全国でも敵打者に相当の脅威をあたえよう。

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大津一洋

2024-01-04 14:56:16 | 日記
1980年
エースは右本格派の大津。熊本大会では全五試合に登板、三試合を完封した。身長180㌢、体重70㌔と大柄。内外角を突く速球で押し、切れる、落ちるの二種類のカーブで勝負に出る。


大津は180㌢の長身。豪快な上手投げの速球で押しまくり、決め球は変化の大きいカーブとシュート。

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小早川幸二

2024-01-03 15:15:17 | 日記
1991年
投げるときに体が前かがみとなる、ちょっぴり変則なところが打ちづらい投球フォーム。緩急をつけたピッチングは将来性にあふれている。「中日は小さいころ、ユニホームが好きでした」ダイエーからトレードで移籍した時の入団発表で、中日入りを喜んでいた。プロ入り3年目だが、マウンドを踏んだのは、1年目ウ・リーグ2試合だけ。昨年は左肩痛に泣いた。心機一転で出直しだ。


1992年


「去年は暗い1年だった。今年は明るくいきたいですね」とは、抱負の声。ダイエーから移籍した昨年は、支配下選手にも登録されなかったのだから無理もない。しかし、左腕のスリークォーターからのクセ球は、首脳陣も「面白い存在」と注目するところ。「新監督の今年は、スタートラインが一緒だと思っている。チャンスを生かしたい」と、一軍の座をにらんでいる。

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富永章敬

2024-01-03 15:13:26 | 日記
1994年
昨年の春季キャンプでは、若手の成長株の一人。一軍のオープン戦にも登板し、期待の大きさをうかがわせていた。だが、その年に右肩、ひじ痛に襲われ、昨年はファームで4試合に登板しただけ。泣かず飛ばずに終わってしまったのは、何とも寂しい。「肩とひじを故障したことで、去年は投げていても怖さがつきまとっていた。でも、ことしはもう大丈夫。腕も思いきり振れるようになりました」と富永。速球は145㌔を超す速さを持っている。ことしは全力投球の年だ。

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大久保学

2024-01-03 15:07:54 | 日記
1984年
昨季新人投手の中で、ただ1人だけ勝ち星を記録した。幸運にも恵まれたとはいえ、2勝1敗という成績は大したもの。仲の良い畠山にもピッチングでは負けたくないとファイトを燃やす。表面にあらわれるガッツと大きなカーブ、コースにきまる速球、そして連投に耐えられるタフネスさが身上。静岡出身の山内(和)につづいて、今年は先発投手として1本立ちしたいと夢は大きい。

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中嶋治彦

2024-01-03 15:06:20 | 日記
1990年
昨季、ドラフト4位で入団した2年生。社会人では通算30勝10敗の実績を残す。開幕して間もなく、早々と一軍ベンチ入りしたのをみれば分るだろう。初登板したのは東京ドームの巨人5回戦(4月29日)。3番手としてマウンドに上がり敗戦処理を引き受けた。結局、1年目は7試合に登板しただけに終わったが、さし当たって中継ぎが彼の仕事だ。制球力がいいから、安心して使えるのがなんといっても強味。元来がカーブを武器としている投手だが、一軍での飛躍を望むためには、もう一つ速球のスピードを増すこと。パワーをつけて力で勝負を眺めるピッチャーにぜひ、成長してほしいものだ。渡米して好投した成果が楽しみ。先輩の米村と同じく子連れ新人で入団した。それだけに、プロとしての意欲は十分だろう。

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小池貴志

2024-01-03 15:04:26 | 日記
1989年
新人テストで、金子とともに晴れて合格した練習生。地元星城高では投手だったが、昨年の6月に右ヒジを痛めて、一時は野球を断念した。ところが、右ヒジが回復するにつれて「もう一度、自分の力を試してみたい」とテストを受け、念願の入団がかなった。故障を完治して「将来は郭さんのようなピッチャーになりたい」というのが夢。


1992年


昨秋の「黒潮リーグ」が飛躍のきっかけとなった。「これが最後だと思ってガムシャラに投げた」結果が、相手打者をバタバタとなで切る好投。「あれできっかけをつかめたんです」と、その後の秋季キャンプでもブルペンで見違えるようなピッチングを見せた。持ち味は何といっても馬力だ。1日200球くらい投げてもびくともしないタフさは、細かいコントロールやプレーさえ身につけば一軍でも通じる。今年を飛躍の年にしたい。

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金子歩

2024-01-03 15:01:43 | 日記
1989年


出身…東京・世田谷
花園小ー市川市立第七中ー東海大甲府高
新人テストで合格した練習生。東海大甲府高を卒業後、社会人野球にあって練習生として野球をつづけた。それだけに「あこがれのプロ野球選手になれるなんて…」と、その喜びもひとしお大きい。テスト受験者の中では、その速球が群を抜いて速かった。大柄のサウスポー投手として将来性が楽しみ。


1990年


昨年の新人テストに合格。1シーズンを練習生で過ごした。ウエスタンの試合目には、チームメートと一緒に練習しても、いざ練習が始まれば、ネット裏でスコアブックをつけて勉強する日々に明け暮れた。メモを取りながら、心の中ではどれほど悩んだことか。だが、金子はいつも明るい表情は崩さなかった。「あこがれのプロ野球に入れたのだ」という喜びが、彼の大きな支えになっていたのはいうまでもないだろう。そんな練習生時代に経験した苦労は、いつか必ず報われる日がやってくる。そのときに、どれだけ大きなプラスとなってはね返ってくることか。昨秋、米教育リーグ参加のメンバーに選ばれて、初めて実戦のマウンドに上がった。左腕から繰り出す速球には、十分スピードが載っていた。あとは制球力をつけていく。これが先決条件だろう。変化球に走らず、速球でグイグイと押しまくってほしい。

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1982年プロ野球引退選手

2024-01-01 14:54:48 | 日記
1983年


星野仙一 中日 投手 評論家としてNHKと契約
戸田善紀 中日 投手 焼き肉屋経営のため見習い修行中
木俣達彦 中日 捕手 名古屋地区中心に評論活動
富田勝  中日 内野手 テレビ東京と評論家契約を結ぶ
柳田俊郎 巨人 外野手 未定、歌手デビューか
若菜嘉晴 阪神 捕手 米球界入りを模索中
渡辺秀武 広島 投手 東京駐在スカウト
金田留広 広島 投手 スポーツ用品メーカーに入社
田中由郎 大洋 投手 「会社員になります」(夫人談)
中塚正幸 大洋 外野手 大洋球団職員、スカウトに?
原田末記 ヤクルト 投手 とりあえず家業(農業)手伝い
成田文男 日本ハム 投手 兄とスポーツ用品店を経営
村上雅則 日本ハム 投手 大リーグへ野球留学する予定
白石静生 阪急 投手 「しばらく休養します」(本人談)
高井保弘 阪急 外野手 ゴルフなどをして充電中
奥江英幸 ロッテ 投手 2月よりアートネイチャー勤務
三井雅晴 ロッテ 投手 地元のスーパー「丸藤」に就職
村上之宏 南海 投手 テスト生で広島キャンプに参加中
山下律夫 南海 投手 球界関係の仕事につく可能性あり

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