真夜中の五分前 side-B

2015年03月22日 | 健康・病気

「真夜中の五分前 side-B」(本多孝好著 新潮文庫)を昨夜読了した。
「真夜中の五分前 side-A」の九想話を書いたのが2月6日だった。
すぐ「side-B」を読みたかったが、図書館で見つからなかった。
誰かが借りていたのだろう。
3月18日(水)、「ふぞろいの林檎たちⅡ」を返却に行ったときに見つけたので借りてきた。
軽井沢図書館に感謝です。

あれから2年たっている。
“僕”はある男と待ち合わせている。
女性の上司が会社を辞めたあと、“僕”も会社を辞めた。
IT企業で成功した人に誘われて仕事を始めている“僕”。
はやらない店にアドバイスをして儲かる店にする仕事だ。
順調にうまくいっている。
「side-A」でつきあい始めたかすみは半年後、ゆかりとスペインに旅行に行き事故で死んだ。
ゆかりは生き残って夫の尾崎と暮らしている。
待ち合わせの相手は、この尾崎だった。
尾崎は、生き残ったゆかりをどこか疑っていた。
強くは断定できないが、ゆかりではないのではないか、と思っている。
ゆかりが死んで、かすみがゆかりになりすましているのではないかと。
それを確かめたいから、“僕”を家に呼んでゆかりと会ってくれという。
“僕”は、かすみだと尾崎が疑うゆかりに会いに、尾崎の家に行く。
“僕”の心のどこかに、「かすみ」だったらいいと思う気持ちもある。

私は思う。
やはりこの作者は双子というものを考え違いをしている。
いくら双子が似ているといっても、100%間違えるようにまで似ていることはない、と思う。
一卵性双生児を育てた親の立場として思う。
うちの息子たちもかなり似ている双子だ。
息子の友人たちもよく間違えたようだ。
私も間違えたときがあった。
でも、それは、「間違えた」であって、その何分か後にはその「間違い」に気づく。
ずーっと「間違い」続けることなんてありえなかった。
双子姉妹がスペインで事故に遭い、片方が生き残る。
生き残った彼女が、妹になりすまし妹として生きて、好きだった妹の夫と暮らすなんてことには無理がある。
いくら似ていても双子には、どこか違うところがある。
一緒に暮らしていればそれに気づく。
気づかないはずはない。
くどいようだが、“間違える”ことはあっても、“間違い続ける”ことはありえない。
だからこの小説の設定には無理がある。
とはいうものの、作者の文章のうまさで物語に心地よく引きずりまわされた。

この小説が映画になったらしい。
原作とはかなり違うとネットに書いてあった。
テレビで放送されたら観てみたいものです。

 

 

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