私が若い頃、NHKの「思い出のメロディー」というと
ナツメロが歌われる番組だった。
その頃のナツメロというと、
戦時中か戦後の流行った歌だった。
戦争の色濃く反映した歌が多く、
私は好きではなかった。
(といっても何曲かはどうしても心に残っていて、
忘れられない歌はある)
だからあまりこの番組を全部観たことがなかった。
今夜、女房は居酒屋のバイトに行っていない。
女房はこの手のものが嫌いだ。
(私たち夫婦の場合、好みの不一致が多い。
いつでも離婚出来る状態です)
テレビをつけると、
グループサウンズメドレーが始まった。
元ジャガーズ 君に会いたい
元タイガーズ 花の首飾り
元モップス たどりついたらいつも雨降り
元ブルーコメッツ ブルーシャトー
ああ…、私の青春の時代がぶり返す。
私の中学から高校時代に流行った歌たちです。
私の好きだった女性(ヒト)は、
ゴールデンカップスが好きだった。
(それがどうした)
しかし、こういうときに出る面々は、
なんか品がない顔をしている人が多い。
それなりの歳をとっているのなら、
それなりの年輪を感じさせて欲しい。
あまりいい生き方をしていたように思えない。
「こういう番組に出て欲しい」
といわれたら、ほいほいと出ている感じだ。
全部がそういう人ではないと思うが…。
その点、沢田研二がこういう番組に出ないのがいい。
いろいろどうでもいいのがあって、
私にとって憧れの人が登場した。
それは、小沢昭一です。
もう、小沢さんを見ているだけで、
私は涙が出てきてしまいそうです。
そうなんです。
今日は、この人を観るために、
この番組にチャンネルを合わせているんです。
高嶋礼子と話しているときに、
ハーモニカの超絶技巧を披露した。
ああ、あれは、
ハーモニカを教えてくれた人と
同じように持って吹いたので
左右を逆にして吹いているんだな、と
思ってしまった。
私のケーナもどうなんだろう?
私はほんとうの正しい吹き方を知らない。
そんなことはどうでもいいか。
最後になんと、
「サルビアの花」を歌うというので、
早川義夫が出てきた。
正直いって、「なんでおまえが出るんだよ」
という想いだった。
こんな晴れがましいステージでは、
早川義夫を聴きたくない。
所沢のちっちゃなところが相応しい。
それに、協演がバイオリンの女性だった。
梅津さんはどうした?という想いです。
あのサックスが聴きたい。
NHKだからといって、かっこつけんな、といいたい。
いや、梅津さんの都合がわるかったのかな。
今、必死に九想話に何を書くか考えています。
いや、“必死”というのは適切ではない。
それほど“必死”な状態ではありません。
パソコンの左側に棚があるんですが、
そこには「生搾り」がジョッキに入ってる。
さっき開けたばかりです。
それまで2時間ほど
野菜ジュースやオレンジジュースを飲んでいた。
当然、晩飯のときはビーシュは飲み、
焼酎のウーロン茶割りも飲みました。
この暑さでは、
アルコールも面倒くさいという感じです。
九想話のネタに困ったときのことは、
私としても考えてある。
しかし、そのことに燃えないと書けません。
今は燃えないのです。
明日からしばらく会社に行かなくてもいい、
という状態が、
今の私の心を萎えさせているのか?
なんだか分かりませんが、だめです。
そういうわけで、今日は寝ます。
今週、ラジオ深夜便の1時10分頃から
オーディオドラマの再放送をやっている。
なかにし礼原作、松坂慶子主演、「赤い月」
これが面白い。
今週女房は、昼のパートの夏休みだった。
といっても日、火、水は居酒屋のバイトでしたが。
月曜日の夜はイベントの練習、
火、水、木の昼間、1人でスタジオを借りて
フラメンコの練習をして大満足という。
今日の夜はカンテ(歌)、明日は踊りの教室がある。
もう、フラメンコ三昧の夏休みだ。
22日と25日にライブがある。
先生と作ったフラメンコ舞踊団エル・フェエベス
としての営業だ。
ギャラももらえる。
22日があさひ銀行納涼祭で、
25日が埼玉交通安全協会のイベントらしい。
私の夏休みは10日から18日までです。
滋賀県の友人のところに行って、
それから淡路島の友人のところに2人で行って、
ついでに京都の友人とのオフもしたいと、
今週のはじめまでは計画していたが、
滋賀県の友人のお母さんが、
12日に手術をすることになり、
白紙になってしまった。
家にずーっといようと思う。
茨城の母には会いに行くけど、
それ以外は家にいよう。
小説を真面目に真剣に書こう。
九想庵のメンテナンスもしたい。
模様替えもいいな。
女房のかかりつけの美容師さんは、
売れない演歌歌手をやっている。
その人に歌ってもらえる演歌を作りたいと考えている。
25日には、エモリーズのライブがある。
ケーナの練習もしなくてはいけない。
2ヶ月続けて、句会に投句していない。
夏休み中に俳句を作ろう。
忙しい夏休みになりそうです。
今日は、私が暮らす街シントコの
いろんな情報満載のホームページを紹介します。
「新所沢Deeps」
ここを見ると、新所沢のことがよく分かります。
そんなところは知りたくない、
といわれればそれまでですが、
九想が生息しているところを
ちょこっと“研究”してみたいと思う方は
(いるわけない)覗いて見て下さい。
このHPを作っているにしさんとは、
楽家で知り合いになりました。
今日も整形外科に行くときに会った。
ここの掲示板で、昨日息子の書き込みを見た。
びっくりしました。
わが家では、
互いのインターネット生活のことは話しません。
なんかへんな気持ちです。
NHKスペシャル
「原爆の絵・市民が残すヒロシマの記録」
母への鎮魂▽初めて知った娘の最期▽涙で別れた少年
という番組を観た。
今日、8月6日は、広島に原爆が落とされた日ですね。
被爆者が自らの記憶をもとに
原爆投下直後の状況を描いた「原爆の絵」を、
広島市とNHK広島では、
二十八年前に続いて再度募集を始めた。
今回は1000枚集まったという。
はっきりいって私は、
原爆とか戦争の話は苦手です。
避ける傾向にあります。
そのくせ今日も朝から、
(今日は広島に原爆が落ちた日だ)
と思っていた。
そんなこといやなのになんで思っているんだ。
会社で原爆ことを話せる人は誰もいない。
私だって、
休憩時間にそんな話題を振られたら逃げるだろう。
しかし、8月6日は広島に原爆が落ちた日だ。
無視しては暮らせない。
テレビには、
自分の母親と妹が倒れているのを見たが、
確認しないでそこを立ち去った。
次の日そこに行ったらもう何もなかった。
あの親子を確認していればよかったと、
今でも後悔している人が、
そのときの絵を描いた。
その場所の同じ親子と思われる絵が何枚かあった。
小学校が潰れ、沢山の子どもがその下敷きになった。
腕を倒れた柱に挟まれた女の子。
材木の下で動けない男の子。
そんな子を助けられず
今もそのことを悔やんでいる人も絵を描いた。
みんな絵はへただが、心がある。
この人たちは、心に重い何かを持ち続けて生きてきた。
息子のKが高校1年の夏休み、ふたりで広島に行った。
原爆ドームを見て、平和記念館にも行った。
あの日も暑かった。
住基ネットが今日からはじまった。
新聞、ラジオ、テレビで大騒ぎだ。
ほんの最近まで、
こんなことまったく私は知らなかった。
これは恥ずかしいことか、
でも、今頃こんなにマスコミ
が騒いでいるところをみるとそんなに
恥ずかしいことでもないようだ。
ヤッパリ、ハズカシイコトカナ…?
住基ネット導入は、
99年8月に成立した
改正住民基本台帳法で決まったらしい。
改正住民基本台帳法というのはかすかに覚えているが、
これが住基ネットになるとは考えもしなかった。
私の理解力が悪いのか。そうだろうな。
個人情報保護が守られるかどうか心配で、
6自治体がこの日の参加を見送り、
約411万人の不参加でスタートしたらしい。
私もやめてもらいたい。
今のままで何の不便も感じてない。
国や自治体が便利になるなら、
職員の削減とか減税するとかいって欲しい。
それがないままにこれが導入され、
私の記録をコードナンバーで管理されたくない。
暇そうな市役所の職員を、
よりいっそう退屈にさせるだけではないか。
市役所に勤めてる方がこれを読んでいたらすみません。
私のような零細企業にいる人間から見ると、
どうしても暇そうに見えてしかたありません。
住民票なんて必要なときには、
市役所の分館に行きます。
何の不便もありません。
個人的に拒否したいけど出来るのかな。
所沢市は何の問題意識もないみたいだ。
こうなったら、もうやるしかない。
8時前、蒲団の上で目が覚めてそう思った。
昨日楽家から帰ってきて、シャワーを浴びたとき、
体重を計ると75キロだった。
私は、唖然とした。
そりゃ、ここのところ太ってきたなとは考えていた。
それにしても…。
人生は皮肉だ。
肉体労働がイヤでイヤでしかたなかったとき、
体は痩せていてスマートで快適だった。
煙草をやめたことがいけなかったか。
いや、今さら煙草を吸うわけにはいかない。
それで、ウォーキングをやることにした。
なんてことはない。ただの散歩です。
起きてきた女房にいうと、鼻で嗤った。
私はTシャツに半ズボンという姿で家を出た。
サンダルにしたかったが、きちんとスニーカーをはいた。
ティッシュとケータイを取りに一度家に戻った。
私は鼻炎で、いつでも鼻をかむ状態になる。
家を出て駅前の交差点を渡って、
ディニーズのある方向に歩いた。
居酒屋「天狗」の角を曲がって緑町四丁目に向かう。
以前暮らした公団住宅のあたりを見たかった。
むかし馴染みになっていた
居酒屋の「すずき」の前を歩く。
そこからと、むかし借りていた駐車場から推し量って、
以前の住まいのあったところを推測した。
そこは建物と建物の間の駐車場になっていた。
あのあたりで、おれたち家族4人は、
ささやかだが精一杯に暮らしていた。
公団の建て替えのために、
引っ越したのは息子たちが中3だった。
いろんな場面を思い出し胸が熱くなった。
こんなことを女房にいうと、
「あんたはまったく、くさいんだから」
とバカにされてしまう。
30分ぐらいたった頃、ケータイが鳴った。
女房からだった。
「今どこ?」
「行政道路のマクドナルドの近くだ」
「私、中央公園でフラメンコの練習したいから来て」
「なんで、おれはこれから
スーパーオザムのほうに行こうと思ってたんだ」
「ひとりじゃ踊ってるの恥ずかしいの。来て」
中央公園は私の住んでる公団住宅の隣にある。
マクドナルドから駅に向かう途中の右側だ。
10分もかからないで着いた。
公園を歩いていると、ゴミを拾っているおじさんがいた。
公園には、昨日した花火の残りとか煙草の吸い殻、
ペットボトルとかいろいろゴミがあった。
なかなか女房が見つからないのでケータイをかけた。
話しはじめたら「ここよ、目の前よ」といわれ
手を振ってる女房に気がついた。
女房がスタジオ練習で録音したテープをかけて踊る。
私は休んではいけないので、その廻りを歩く。
なんというへんな組み合わせだ。
そのうちさっきのゴミを拾っていたおじさんが来た。
私が女房の踊りの批評をしていると、
「これはなんという踊りですか。
スペインのほうの踊りですよね」
「そうです。フラメンコっていいます」
女房が答える。
「もう一度踊って見せて下さい」
そうおじさんがいった。
女房は真面目な顔をして踊り始めた。
終わると、
「ありがとうございました。
いいもの見せていただきました」
とおじさんは頭を下げ歩いていった。
そして、落ちてるゴミを拾っていた。
私にああいうこと出来るかな、と考えた。
女房も私も汗びっしょりだ。
最近出来た「湯楽の里」というスーパー銭湯に行った。
まだまだ暑い日が続く。
会社ではあれほどテキパキ動くおれも、
休日で家にいるとダラダラしている。
女房が、
「今欲しいものがあるんだ」
午後、横になって本を読んでいるうちに
寝てしまったおれにいう。
「なに?」
「フラメンコに関係あるんだ」
「ビデオカメラ?」
「よく分かったわね」
女房は練習しているのを
古いビデオカメラで撮って研究している。
そのカメラがもう壊れてしまった。
「オークションに参加してみたら」
そういうと女房の目が輝いた。
新品のビデオカメラだと
20万円ぐらいする、そんな金はうちにはない。
おれもパソコンの前に行き、
ヤフーオークションを見てみた。
こんなのがいいなと思っているのが、
2万円になっていた。
「これにしようかな」
「入札してみれば」
おれはまた横になって本を読んだ。
そのうち女房が怒り始めた。
おれのところに来て、
ほっぺたを膨らませて怒っている。
「どうした」
「だって、入札出来ないんだもん」
女房は、これまでもフラメンコの衣装とか小物を
ヤフーオークションで買おうとして、
銀行にそれようの口座を作っていた。
しかし、これまでも入札に参加出来ないでいたらしい。
「本人確認」が出来ないのだ。
「何回やっても出来ないんだもん」
おれも画面を見たが、眠いこともあるが、
女房のことなので真剣になれず、よく分からなかった。
ID と パスワードを入れても「本人確認」が出来ず、
名前とか住所とかを入力する画面になり、
それを何回も何回も繰り返しているらしい。
「もう、パソコンって嫌い。インターネットがなによ」
女房が怒ってる。
むかし、おれたちが若かった頃、
よく女房はいろんなことに怒っていた。
息子たちにも、思うようにいかないと怒っていた。
あんなに怒る女房を久しぶりに見た。
おれとしては面白かった。
7/30 の深夜、NHKスペシャル
「桂米朝 最後の大舞台」の再放送があった。
正月に、大阪のサンケイホールで
毎年独り会をやっている。
そのときに七番弟子の桂歌之助が死んだ。
枕にそのことを話そうかよそうか迷っていた。
正月のめでたいときに
人が死んだ噺はよくないのでは…。
噺が始まったら、歌之助のことを話していた。
独り会が終わってそのことを訊かれたとき、
「われわれは、自分のことも話すのが芸、
不自然さを感じさせたら客は離れる」
といった。
前座が15分の噺を
客に受けていたので20分やってしまった。
それを桂ざこばが若い前座に怒っていた。
むかしは、米朝が怒ったらしい。
「師匠は、甘なってきてる」
とざこばは尖っていっていた。
米朝は、歌舞伎座で独演会を最後にするという。
一番弟子の桂枝雀をなくして三年。
自分の体調が悪かったら、
枝雀に代わりをやってもらえると思っていた。
それを亡くし、独り会をやめることにしたらしい。
最近は、めまいがあり、夜ねむれない。
眠るために焼酎の助けを借りるそうだ。
私と同じだ。
「百年目」を演(ヤ)る。
途中、あるところを飛ばしてしまう。
弟子の吉朝がそれに気づく。
客に分からないように米朝は巧みに噺を戻す。
これが“芸”だな、と感じた。
しかし、米朝はすごい。
自分の失敗を取材されて、
それを放送することを許している。
隠そうと思えば隠せる。
なにしろ人間国宝なのだ。
55年も噺家をやっている。
えらいな。
しかし、米朝がヘビースモーカーとは知らなかった。
インタビューを受けていたとき、
ほとんど煙草を吸っていた。
苦しそうに吸っていた。
あれは吸いたくて吸っている感じがしなかった。
やむにやまれず煙を吸っていた。
私も煙草を吸っていたとき、
そういうときがほとんどだった。
あの煙草を吸う姿を見ていて、
米朝がよけい好きになった。
ちょっと見には大学の教授のようで、
近寄りがたかったが、
あの苦しそうに煙草を吸っていた米朝が好きだ。
1ヶ月ほど前かな、
永六輔が土曜ワイドラジオ東京で、
高石友也とナターシャセブンの京都でやった
「よいよいやまコンサート」のことを話していた。
そのとき桂米朝が来ていて、
「歌で、客席と掛け合うのがあるが、
私もああいうのをやってみたい」
そういって、
「向こうの丘に囲いが出来たってね~」
と米朝が大声でいうと、
「へエー」
と3000人の客が応えてくれたそうだ。
また米朝が、
「向こうの丘に、塀が出来たそうだ~」
というと、
「カッコイイ」
と客席から返ってきた。
それが絶妙なタイミングで永は感動したという。
そういうところに私もいたかった。
米朝の落語、機会があったら聴きたい。
私が生まれた茨城県が、
今日の「にんげんドキュメント」(NHK 21:15)
の舞台だった。
毎週末、
「サイエンス・キッズ」と名付けた自然科学教室を
筑波大学教授を退官した
生物学者の芳賀和夫さん(68)がやっている。
芳賀さんは、子どもたちを筑波の野山に連れ出し、
植物や昆虫を直接触れさせて
自然のいろんなことを教えていた。
戦時中に父親を失い、山形に移り住んだ芳賀さんは、
地元の言葉がしゃべれず、
子どもたちの輪から取り残された。
それを救ってくれたのは
森の中で出会うさまざまな虫たちだった。
大学を出た芳賀さんは、高校の教師になった。
40歳で大学に戻り、研究者になった。
アザミウマという昆虫が、
芳賀さんの研究する対象物だ。
なんの変哲もない昆虫だ。
それまで誰もアザミウマを研究している人はいない。
サナギになっても活動し、
何度か変態するアザミウマは、
昆虫というものを知るのに興味深いものらしい。
「サイエンス・キッズ」に
翼クンという素晴らしい生徒がいた。
8、9歳だったかな。
家にいろんな昆虫を飼っていて、
分からないことを芳賀さんに訊く。
去年、サナギから蝶にならなかったことを質問して、
今年は蝶になって欲しいと願う翼クン。
翼クンの熱意はすごい。
観ていて嬉しくなってしまった。
無事、アゲハチョウになったことに、
テレビを観ていた私も“拍手”してしまった。
翼クンは、協和町に住んでいる。
それにしても茨城訛りが少ない。
このぶんでは、
そのうち茨城弁も絶滅してしまうな。
茨城弁保存会ヒラ委員