少し、春

2013年03月15日 | 健康・病気

朝目覚めると窓にあたる光が明るかった。
春だな、と思った。
通勤途中の女房からメールが来た。
> 今日は、晴れです。
東京はもっと春のようだ。
キツツキが木を叩く音がかわいい。
キジの鳴く声も聴こえる。
久しぶりにウォーキングに行こうと思った。
これは、離山です。
ここから私のウォーキングは始まります。



  

湯川ふるさと公園に入ります。
遊歩道が続く。
新幹線と平行している道路に出て左折するとあさまおおはしがあります。
今日はそこにこんな看板があった。
イタリアンレストランが初夏にオープンするようです。

  

  

湯川の流れがキレイです。
しばらく歩いていくと、新しく別荘を建てていた。
私は、湯川のほとりを歩いていきます。

  



  

18号バイパスのメルヘン橋を渡ってツルヤの前に出る。
ツルヤにはよらずに歩く。
もっと春になると子どもたちでいっぱいになる遊具です。
浅間山が向こうに見えます。



新幹線の線路をくぐるとこんな浅間山が見られます。
ちょっといいでしょ。

 

少し写真がずれてしまいましたが、4月ぐらいから遊歩道の左右に花が咲きます。
それが楽しみです。





コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女房のテレビ

2013年03月15日 | 健康・病気

女房はテレビはなくてもいい、という。
朝、仕事に行くときに時間を見るのにつけているだけだ、なんていう。
東京の女房の家のテレビは、14インチのブラウン管テレビだった。
このテレビは息子が高校に入学したときに買ってあげたものだ。
家を出て行くときに置いていったのです。
息子は31歳になるから、もう15年は見ていることになる。
2年ぐらい前から、画面が乱れたり、音声が途切れたり、まともな状態ではなくなっていた。
地デジ化になったときに私は買え替えたかった。
ところが団地ではブラウン管のテレビが観られるので、現在まで女房の家に存在してきた。

ところが先月、私が女房の家に行ったときに、「テレビ買え替えようかな」と女房が一言いった。
「どうしたんだ? なにがあったんだ?」
女房にエイリアンでも入り込んでしまったのか?
あの日は午前中に、女房の通っているスポーツジムに私もつきあって行ったときだった。
あるエクササイズに女房と参加した。
女性が30人ほどで、男は私1人だった。
恥ずかしかった。
みっともなかった。
鏡の前でポールを前にして激しい体操をした。
筑波山のガマの気持ちが痛いほど理解出来た。
そのあといろんな器具を使ってトレーニングをし、プールでも泳いだ。
その帰りに、浦所バイパス沿いのケーズデンキとヤマダ電機に行った。

ケーズデンキでシャープの19インチのテレビが18,900円で売っていた。
ヤマダ電機に行くと、それが18,400円だった。
安くなったもんです。
外付けのハードディスクに録画出来るタイプだ。
ハードディスクは500GBで6,800円だった。
それに決めようと思った。
そのときヤマダの店員が、「お客さまのインターネットはどうしていますか?」と聞いてきた。
もし、光ファイバーの申し込みをするなら2万とか3万円値引きする、という。
私はそこで考えた。
じつは、女房の家のインターネットを3月から光にしようと考えていた。
それは、こういうことです。
現在女房の家のネットは、WiMAXでつないでいる。
1年半ほど前に、ケーブルテレビのネットを解約したときに、工事が必要ないということでWiMAXにした。
しかし、WiMAXは遅いし、ときどき接続しなかったりといろいろ使いづらかった。
それで3月で解約して光にしようと計画していた。

ヤマダで光を見積もると、3,769円/月だという。
プロバイダーはOCNだ。
もう店員はどんどん勧めてくる。
光テレビなんかオプションで契約すると30,000円以上割引するという。
テレビとハードディスクで2万ちょっとなのにどうやって割り引くんだろう?
だがしかし、私は、ちょっとまてよ、と思った。
私は、軽井沢でASAHIネットに入っているんだが、ASAHIネットはもっと安かったんじゃないかと思った。
それで家に帰ってネットで調べてみようと思い、
「3月の休みの日が分からないと工事日を決められないから、いったん家に帰って調べます」
といって、女房の家に帰った。
女房の家に戻ってASAHIネットに電話して価格を聞いた。
すると集合住宅の場合、2,667円で1年後には20,000円のキャッシュバックがあるという。
3年後からは2,800円弱ぐらいだといわれた。
私はその電話で、WiMAXを3月で解約し、光の申し込みをした。
そして私はすぐヤマダ電機に行き、ネットの契約はしないでテレビとハードディスクを買ってきた。

翌日、ブラウン管のテレビを廃棄しようと思った。
女房の住む清瀬市のホームページを見ると、テレビを廃棄してくれる業者が書いてあった。
ひとつの会社は、14インチのテレビの廃棄料金が1,785円でプラス1,000円の運送費がかかるという。
家まで取りに来るという。
別な会社は、廃棄料金が1,785円、それだけだという。
所沢の会社だった。
そこに思い出のたくさんあるテレビを持ち込んだ。
これでテレビのことはすっきりした。
おかげでインターネットのこともすんでしまった。

女房が私にいう。
「こんなに綺麗に映るテレビだと毎日観てしまうね」

 
      思い出多き日立のブラウン管テレビ                   シャープLED液晶テレビ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福島のいま

2013年03月14日 | 健康・病気

NHKスペシャル「3.11 あの日から2年 福島のいまを知っていますか」の再放送を観た。
福島は、悲惨ですね。
現在も15万人の方々が避難しているという。
福島のみなさまに頭が下がります。
放射物質というものは、どうしょうもないですね。
この福島の現状を見たら、原発再稼働なんて考えられない。
なんで原発なんてものを人間は造ってしまったのだろう。
私は、“除染”ということにむなしさを感じてしまいます。
地面を何センチか剥がす。
木の葉を取り除く。
屋根を洗う。
しかし、取り除いた汚染物質をどこかに置いておかなければならない。
その仮仮置き場さえ決まらないので、自分の庭に埋める。
除染がすんだ家でも、道路などが除染されていないので放射線の値が高い。
子どもを外で遊ばせられない。
むなしいな、と思う。
ある地区では、杉の木を切り倒して上の葉から杉の木の下の土の放射線量を測った。
杉の木の上の葉にあった放射物質が下に降りてくるが、
それを根が吸い上げて木のてっぺんまで上げるらしい。
ということは、山の杉の木を全部切り倒さなければ“除染”にならない。
気の遠くなる話だ。
こういうことを東京電力や政府の人はどう考えているのだろう?
去年は、軽井沢でも山のキノコは食べないようにということだった。
私は、放射物質を人間がコントロール出来ない現在は、原発には反対します。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

内科検診

2013年03月13日 | 健康・病気

今日は、月に1度ほどの割合で行く内科検診の日でした。
昨夜は、施設の一大イベントが終了した打ち上げということで飲んだ。
内科検診の前日に飲むというのはアホですね。
でも、私にもいろんなことがありまして飲まなければならない気分だったのです。

今朝は7時半に普通に起きました。
食事をして、昨夜は風呂に入らなかったので、シャワーを浴びた。
まだシャワーは寒かったですね。
しかし、内科検診に行くというのに汚い身体で行きたくはなかった。
K内科に9時半に着いた。
ギリギリセーフでした。
私の予約時間は、9時半だったのです。

待合室で古い文藝春秋を読んでいたら、看護師さんが血圧を測りに来た。
病院に入って5分ほどしかたってない。
案の定、私の血圧は高かった。
上が140と看護師さんがいう。
ここのところ家で測ると、だいたい上は135ぐらいだった。
病院に入ったということで興奮している。
予約時間に間に合ったということでも緊張していた。
それですぐ血圧測定では、正常な値は測れないと思う。
看護師さんの都合もあるとは思うけど、もっと患者に配慮して測定して欲しい。

別室に案内されて、体重を量った。
76キロだった。
それを看護師さんが検診用紙に記入した。
せめて洋服の重さを引いて書いてほしいな。
そのあと血液を採られた。
看護師さんも人間の身体に注射針を刺すことはイヤだろうな、と思う。
私の腕の血管の状態を注意深く観察して、「少しチクっとします」といった。
ところがすぐに針を刺さなかった。
まだ、私の血管の状態を人差し指で触りながら見ていた。
あまりこの看護師さんは、採血がうまくないな、と思ってしまった。
終わってから私に、針の刺さったところを脱脂綿の上から押さえるようにいう。
しばらくたっても指を外すようにいわない。
ずいぶんたってから指を外すようにいって、針を抜いたところに四角の絆創膏を貼ってくれた。
いつまであんな大量の採血をするのだろう?
皮膚をちょっと傷つけて、少量の血液で調べられないのだろうか?
これだけいろんなことが発達しているのだから、できると思うのだけれど…。

「採尿はまだですよね」
別な看護師さんがいう。
渡されは採尿カップを持って私はトイレに入った。
その体勢でしばらくかまえていたのにオシッコが出なかった。
どうしてだろう?
朝、一度オシッコをしてきた。
それから1時間はたっているのに出ない。
あきらめて、採尿カップをもてあそびながらイスに坐っていた。
無料で飲めるコーヒーを飲んでみた。
しかし、その気にならなかった。

そのうち、名前を呼ばれた。
「まだ採尿してないんですけど…」と私。
「いいですよ、どうぞ来て下さい」と看護師さん。
「おはようございます」と私は挨拶して医師の前のイスに坐る。
「血圧高いですね」
「走って病院に来てすぐ測られたせいだと思います」
なんで私は年下の医師に敬語を使っているんだと忸怩たる思いだった。
この医師は私に、タメ口で話すんです。
おそらく40いくつかの年齢だと思う。
「おや、それどうしたんですか?」
私の左手を診て医師がいう。
「皮膚病なんです。足もひどいんです。もう2年ほど隣の皮膚科に通っています」
「掌蹠膿疱症だよね。どんな治療をしてるの?」
「塗り薬を塗っているだけです。この病気は原因が分からないと皮膚科の医師はいってます」
「足も診せて」
私は足を上げ靴下を脱いで、医師の前に差し出した。
「ステロイドを塗っているんですね?私の範囲ではないんだけど、ビオチンを出しますので飲んでみて」
それで診察は終わった。
今日の内科検診は、皮膚病を診てもらったような感じです。
でも、もしこれからビオチンを飲んで掌蹠膿疱症が治ったら、めっけもんですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浅田次郎の講演

2013年03月12日 | 健康・病気

中軽井沢図書館オープニングイベントとして浅田次郎の講演がある。
4月21日(日)13時からで演題は「自著を語る」です。
講演は無料ですが、入場整理券が必要だ。
入場整理券をもらうには往復ハガキで応募しなければならない。
私は昨日、郵便局に往復ハガキを買いに行き、そこで書いて出した。
先週、コンビニに往復ハガキを買いに行ったら扱ってないといわれてしまった。
さあ、私は講演を聴きにいけるのだろうか?

浅田次郎は好きな作家です。
まだ無名の頃、「天切り松 闇がたりシリーズ」を読んで好きになった。
蒼穹の昴」を読んで、このひとは素晴らしい、と思った。
去年「終わらざる夏」を読んだ。
この小説の中で、学童疎開から逃亡した小学生2人が軽井沢を通る。
その頃の軽井沢の描写が丁寧だった。
講演ではそんなことを話すのかな?
ぜひ聞きたいと思います。
応募者が多くて、抽選になって行けなくなったら困るな…。
あ、九想話にこんなことを書かないほうがよかったかな。
応募者が増えたりして…。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東日本大震災から2年

2013年03月11日 | 健康・病気

今日、私は仕事が休みでした。
昨日までの1週間、私の施設で1年間のまとめとして大きなイベントがありました。
私は身体も心も疲労困憊の状態でした。
朝、9時過ぎに起きてテレビを観ていた。
東日本大震災のことをやっていた。
重い気持ちでずーっと観ていた。
復興は進んでいませんね。
政府主催の追悼式が、天皇、皇后両陛下をお迎えして、東京都千代田区の国立劇場で行われた。
追悼式が始まるときに国歌斉唱があった。
天皇は国歌を歌わなかった。
あ…、天皇は国歌を歌わないんだ、と初めて知りました。
午後2時46分、私も黙祷をしました。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キツツキ

2013年03月10日 | 健康・病気

今朝、キツツキが木を叩く音を聴いた。
今日が今年初めてです。
この音を聴くと私は、あ…、軽井沢にも春が来たな、と思います。

私の持っている歳時記(合本 俳句歳時記 新版 角川書店編)では、

啄木鳥 きつつき けらつつき
秋、山林を歩いていると、タララララ、タララララという音が聞こえてくることがある。
それは樹木をよじ上ったきつつきが嘴で幹に穴をうがち、中の虫を補食している音である。(略)

ということで秋の季語に入っている。
私は、秋に軽井沢でキツツキが穴をうがつ音を聞いたことがない。
春の初めから聞き始める。
なのでキツツキを俳句に詠みたいのですが、秋の季語なので作れません。
よその土地では秋にキツツキの音が聞こえるのでしょうか?
なんか不思議な気持ちです。
キツツキが秋の季語ということには違和感があります。

  きつつきがカララカララと春知らせ  九想

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

WBC決勝ラウンド進出

2013年03月10日 | 健康・病気

侍、決勝ラウンド進出…オランダにコールド勝ち(読売新聞) - goo ニュース

今日のニッポンはどうしちゃったのだろう?
でも、観ていて楽しかったです。

> 一回表、日本は先頭の鳥谷(阪神)が2球目をたたき、右翼に先制本塁打。

鳥谷が今日もやってくれました。
プロ野球のシーズンに入ってもがんばってもらいたいです。

これで気持ちよく決勝ラウンド(米サンフランシスコ)に行けますね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつやるの?

2013年03月10日 | 健康・病気

 「いつやるの?いまでしょ!」どきっ冴返る  旗坊

この句は、私の俳句の師匠の詠んだものです。
ほとんど私のことを思っての句です。

【冴返る】という季語は、
そろそろ暖かくなりかけたと思うと、また寒さが戻ってくるのをいう。
寒さがぶりかえすと、ゆるんだ心持が再び引きしまり、万象が冴返る感じを持つ。
そこに別な情趣があろう。(合本 俳句歳時記 新版 角川書店編)

2月21日、池袋の「蔵元居酒屋 清瀧酒蔵」で旗坊さんと飲んだ。
いつも、お互いの近況を報告し、これからどう生きていくかということを語り合う。
いろいろたくさん話したことをここに書きたいが、個人情報なので控えます。
(ああ…、書きたいな)
その話の中で、私の生き方のことになり、この句が出てきた。
私は、やらなくてはいけない肝心なことを、ずるずる先延ばしにして生きている。
そのことを“するどく”指摘した句です。
私はその日から、この句を胸に生きています。
(まだ、やってません!!)

今日の「新・増殖する俳句歳時記」にこういう句を見つけた。

   いつか死ぬ必ず春が来るように  池田澄子

私は、こういうなんでもない言葉で、深いことを詠んだ句が大好きです。
この句にしびれました。
私にも、春が必ず来るように、死はやってくる。
もうのんびりしていられません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「かげろう」という女

2013年03月09日 | 健康・病気

私は20歳の頃、本郷三丁目にあった会社から駒込のアパートに帰ると、毎日のように「のみたや」に通った。
行く時間はいろいろです。
食事をしてからのこともあるし、銭湯に行ってからという日もあった。
ただ、「のみたや」に行くと、たいがい朝までいることが多かった。
その店は朝まで営業しているのです。
「のみたや」で私が飲む酒はおもに焼酎だった。
その焼酎は、I さんが店とは関係なく私のためにボトルを置いてくれた。
「のみたや」に私が行くと、最初はビールを飲むが、あとは裏ボトルの焼酎を飲んでいた。
ほとんどお金を使わないですんだ。
だから毎日のように私は「のみたや」に行けたのです。

「のみたや」に I さんが勤めるようになって客が増えた。
それまでの「のみたや」の常連も来ていたが、I さんのアパートに来ていた友人も来たのです。
関西に行っていた龍彦も東京に帰ってきて、I さんが「のみたや」に勤めたことを喜んだ。
また龍彦も東京の会社に就職して「のみたや」に通うようになった。
龍彦はギターを持ってやってくる。
そうすると「のみたや」で龍彦のライブ、そしてみんなの大合唱になった。
しかし、龍彦はふらっと再び関西に行ってしまう。

私の高校の同級生のKが、板橋の会社を辞めて駒込に来た。
彼は建築設計事務所にいて夜間の建築の専門学校を卒業したのだが、
大学に行きたいと駒込の私のアパートに転がり込んできた。
それまでは会社の寮だったので、会社を辞めていられなくなったのです。
すぐアパートは見つけたが仕事がなく、「のみたや」に勤めることになった。
I さんとKの2人が「のみたや」にいるようになった。
もう毎晩、ドンチャン騒ぎのようだった。
いや、毎晩ということはないですね。
たまたま人がたくさん集まったときだけです。
いつもは静かな「のみたや」でした。
その頃、ミッシェル・ポルナレフの「愛の休日」が流行っていた。
「のみたや」のジュークボックスにもその曲が入っていた。

ミッシェル?ポルナレフ 愛の休日 Michel Polnareff Holidays



「のみたや」に週に3・4日来る女の子がいた。
本名は、知らない。
「のみたや」でみんなが呼ぶニックネームはあった。
「かげろう」とみんなから呼ばれていた。
どこかの女子大の学生らしかった。
背は高くなく、綺麗というより可愛い顔をしていた。
黒い長い髪が魅力的だった。
いつも黒い服を着ていた。
そういうことから「かげろう」というあだながついたのかも知れない。
そのコが来ると必ずジュークボックスの「愛の休日」をかけた。

「かげろう」には好きな男がいた。
駒込駅前にあるレモンというスナックのバイトのバーテンだった。
はじめの頃は、そいつとよく「のみたや」に来ていた。
「かげろう」が1人で来ていて、仕事を終えた男があとから来るということもよくあった。
しかし、そのうち男が来なくなった。
「かげろう」1人だけになった。
その頃から、彼女の酒を飲む量が多くなった。
おれともよく話すようになった。
素敵なひとだったが、おれは恋はしなかった。
2人でいても会話は弾まなかったし、なんといっても性格が暗かった。
そのおれとは相性のよくない「かげろう」がある日、おれのアパートに泊まることになった。
どうしてそんなことになったのか今のおれは覚えていない。
でも、「かげろう」はおれの部屋に泊まっただけだった。
そりゃおれも男です。スケベゴコロはありました。
だけど、なんのこともなかった。
おれが布団に寝て、彼女は横で朝まで起きていた(と思う)。
朝、おれが起きたときにはいなかった。
置きメモがあった。
「泊めてくれてありがとう。挨拶しないで帰ります。」
そのようなメモだったと思う。
そのあとの「かげろう」のことは覚えていない。
いつしか「のみたや」に来なくなった。
そのあと彼女のことで知ったことは、
「かげろう」のお父さんは千葉のほうの高校の校長をしているらしい、ということだった。
「のみたや」に一度その父親が訪ねて来て、I さんと話していた。
行方不明の娘を父親が捜しているようだった。

「のみたや」でのエピソードも山ほどあります。
いつか小説に書きたいです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする