高齢者ドライバー

2016年11月13日 | 健康・病気

また高齢ドライバーの事故 82歳の車に61歳女性はねられ死亡 東京・小金井

ここのところ80代の人の事故が増えている。
私は、いくつまで車を運転すればいいか考えてしまう。
2010年7月に、私は軽井沢のツルヤの駐車場で事故にあった。
82歳のおじいちゃんが運転する、バックしてきた軽自動車にぶつけられたのです。
「うしろを見ないでバックしてしまった」とその人は、やってきた警官に話していた。
そのことは、2010年7月29日の九想話「事故のこと」に書いた。
高齢者ドライバーのことは真剣に考えたほうがいいといいと思う。

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このひとも64歳

2016年11月12日 | 健康・病気

中島みゆき NHK「SONGS」で歌姫の軌跡を特集、満島ひかりがナレーション

永遠の嘘をついてくれ 吉田拓郎70歳 中島みゆき64歳  つま恋2006年9月23日土曜日秋分の日

昨日の「SONGS」は、中島みゆき でした。
すばらしい歌手ですね。
歌の作り手としてもすごい。
彼女の歌の中で一番好きなのが「永遠の嘘をついてくれ」です。
中島みゆきは、拓郎にあこがれていたそうです。
あ、このひとも64歳です。

 

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64歳

2016年11月11日 | 健康・病気

りりィさん死去 64歳 肺がん闘病中だった「私は泣いています」大ヒット

私は、りりィの歌「私は泣いています」が好きでした。
りりィが私と同じ歳ということがショックですね。
彼女が、1952年2月生まれ、私は5月生まれなので、彼女のほうが学年は1つ上です。
64歳の人が亡くなるということがつらい。
ご冥福をお祈りいたします。

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やりたいことは諦めない

2016年11月10日 | 健康・病気

11月9日(水)ラジオ深夜便の4時台の【明日へのことば】は、「再び映画作りに挑む」という題で、
タクシードライバー・ドキュメンタリー映画監督 佐藤隆之という人のインタビューだった。
佐藤隆之さんは、タクシードライバーでドキュメンタリー映画監督です。
1961年山形県生まれ、関西育ち、現在55歳。
高校のとき文化祭で8mm映画を作ったことがきっかけで映画作りに目覚め、
大阪芸術大学映像学科に進み、大学中退後に上京、
フリーの助監督として大林宣彦、堤幸彦などが監督する映画の製作に参加して、
主に劇映画、フィクションの映画を作ってきた。
自分も監督になり映画を撮りたかったが、安定した収入を得られるのは、
ごく一部の人だけという厳しい映画の世界、
映画製作に自信を失い45歳の時に映画の業界から去った。
それから安定を求めてタクシードライバーになった。
タクシーの中は、“人間のショーケース”で、いろんな人間の姿が見られるから、
人間を描く仕事をしている人は、タクシードライバーをやったほうがいい、といっていた。
佐藤さんは、タクシードライバーをしていて、また映画を撮りたくなった。
企画、監督、撮影、編集全てを一人でこなし、5年かけて作り上げたのは、
ドキュメンタリー映画「kapiw(カピウ)とapappo(アパッポ)~アイヌの姉妹の物語~」。
文化庁の映画製作の支援事業、文化芸術振興費の助成も受け、今月から全国各地で公開だそうです。
この映画は、北海道阿寒湖生まれの二人のアイヌの姉妹を追いかけたドキュメンタリー映画で、
カピウとアパッポは姉妹のニックネームだそうです。
姉は東京に15年ぐらい住んでいて、妹は阿寒湖にずーっと住んでいる。
東日本大震災をきっかけにして、姉が子どもを連れて避難してくる。
姉妹が幼いときに、アイヌの民族衣装を着て歌って踊っているのを母親が8ミリフィルムで撮っていた。
その映像をたまたま見てからこの映画を撮りたいと佐藤監督は思った。
いまは2人とも結婚して、それぞれ3人の子どもがいる30代の母親。
ラジオから姉妹の歌が流れてきたが、素朴できれいな歌声で私の胸を打ちました。
「自分がやりたいことがたまたま映画だったが、自分がやりたいことは諦めない、
 ちょっとずつでもいいから、続けてゆく事は大事だなあと今になって思います」
というようなことを佐藤監督がいった。
私は、寝床でラジオを聴きながら、そうだよな~、と心で深くうなずいた。

コメント (3)
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トランプ、アメリカ大統領へ

2016年11月09日 | 健康・病気

トランプ氏、米大統領への当選確実に…CNN


トランプがアメリカ大統領になるようだ。
誰が予想しただろう?
さあ、これからのアメリカはどうなっていくのだろう?

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女房と出会って38年

2016年11月08日 | 健康・病気

今年も11月8日が来ました。
今日は、「いい歯の日」なんてラジオでいっていた。
その他に、こんな日でもあるんですね。
「世界都市計画の日」・「ボイラーデー」・「レントゲンの日」・「いいお肌の日」などです。
このサイトに書いてありました。

私としては、26歳のときに女房と会った日です。
2週間後に私のアパートに女房がきて、結婚式も挙げずに暮らし始めた。
それで今年64歳になったので38年たったことになる。
まあ、なんと長いこと夫婦としてやってきたのだろう!
“奇跡”としかいいようがない。
性格の不一致ということでは、どの夫婦にも負けない。
この7年半は、別居生活だった(それがよかったかな?)。
私は、お酒が大好きだが、女房は、お酒を飲む人間が大嫌いだ(女房は酒が飲めません)。
なんとかここまでやってきたが、これからはわからない。
あの人に捨てられないように、いい亭主で生きて行こうと思います。

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腰痛話

2016年11月07日 | 健康・病気

先週の「ガッテン!」で腰痛のことをやっていた。
私は、27歳から腰痛持ちです。
いろんなことをやってきましたが、現在も腰痛です。
軽井沢に住むようになったときに、ひどい腰痛になった。
仕事で腰を使うことが多かったのです。
そのときに佐久市のある整形外科の医院に行った。
そのとき診察してくれた医師が、「寝るときに、膝の下に枕を置いて下さい」といったので、
しばらくは座布団を2つに折って膝を載せて寝たら腰の具合がいいので、
固めの枕を買って、その上に膝を置いて寝ることにした。
すると腰痛が楽になった。
それから6年間そうして寝てきた。
ところがここ2年ほど腰痛が辛くなってきた。
このときの「ガッテン!」で、
実は、腰痛持ちの人には「寝返りが少ない」という意外な共通点があり、
それを解消すれば腰痛を元から絶てる可能性大!というようなことをいった。
腰痛は寝ている間になることが多い、寝返りをすると筋肉がほぐれるという。
寝る前に4つのストレッチをして、寝返りを沢山するように寝ると腰痛がなくなるという。
私は、寝返りを沢山したほうがいいということに納得した。
膝の下に枕を入れていると寝返りができない。
寝ている間ずーと上を見ている状態なんです。
それで私は6年間続けてきたことをやめることにしました。
膝の下に枕を置くことをやめました。
すると寝ているときに自由なんです。
思いっきり身体を横に向けられる。
これで私は寝返りを自由に何度でもやれます。
なんとか寝る前にストレッチをして、寝ているときに寝返りを沢山できるようにしたい。
そして、腰痛から解放されたいです。
(11月8日(火)午前0時10分から再放送があります)

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羊と鋼の森

2016年11月06日 | 健康・病気

「羊と鋼の森」(宮下奈都 著 文藝春秋)を読んだ。
北海道の山で育った外村(とむら)が高校生のときに、
体育館のピアノを調律する調律師の仕事を見て、調律師になりたいと思った。
その板鳥という調律師に勧められて本州の調律養成のための専門学校に入る。
2年間勉強して、板鳥の勤めている江藤楽器に入社した。
この小説は、外村という青年が、調律師として成長していく物語です。
それなりに面白くは読んだが、これが本屋大賞?という気持ちです。
ピアノの音などを表現するたとえの言葉がしっくり私の心に入ってこない。
秋野という先輩調律師の性格が、前半と後半では少しちがうように読めた。
前半では、職場によくいる嫌みな先輩のようだったのが、
最後のほうでは外村を応援するいい人になっていた。
双子の姉妹のエピソードもなんか響いてこない。
本を開く前の期待が大きかったせいか、読み進むうちにさみしくなりました。

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おもいでの岬

2016年11月05日 | 健康・病気

おもいでの岬 ペギー葉山 ラジオ深夜便の歌




10月から12月のラジオ深夜便の歌で、作詞作曲 弦哲也 です。
内藤國雄(将棋棋士)の「おゆき」、石川さゆりの「天城越え」、川中美幸の「ふたり酒」などを作曲した人です。
ここのところラジオ深夜便でこの歌を聴いて、いつも胸を熱くしています。
むかし、夫婦(恋人のときか?)で来た岬に、歳をとって一人で来ている、という歌です。
設定がありきたりでクサイ歌詞なのですが、ペギー葉山の歌唱力のせいか泣かせてくれます。
といいながら、ペギー葉山のうたいかたもちょっとぶりっこかな?とも感じていますが・・・。
(去年の12月に日比谷公会堂で彼女の歌声を聴きました)
でも、やはりいい歌だと思うので、ここで紹介します。




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日本酒伝道師

2016年11月04日 | 健康・病気
今朝、たまたま4時過ぎに目が覚めた。
ラジオをつけるとラジオ深夜便【明日へのことば】が始まったばかりだった。
「我が人生は日本酒とともに 日本酒伝道師 ジョン・ゴントナー」
ネットで今、深夜便の番組表で調べたらこういうふうに書いてあった。
アメリカで普通に育った少年が理工系の大学に入り、技術系の仕事に就職したが2年ほどで辞め、
日本で英語教師の募集があったので応募して採用されたので日本に渡った。
7年ほど教師をして辞めてアメリカに帰ろうとしたときに、花見に誘われた。
そこで日本酒を飲んだ。
過去に、アメリカの日本料理店で熱燗のお酒は飲んだことがあった。
花見のときに日本酒の好きな人が、5種類のお酒を一升瓶で持って来ていた。
初めて飲んだ冷たい日本酒がとても美味しかった。
そしてお酒を持ってきた人が、日本酒の飲み方、味わい方を教えてくれた。
それがきっかけで日本酒を飲むようになった。
あるとき英字新聞の記者から日本酒についての記事を依頼された。
苦労して書いたその文章が気に入られて日本酒のコラムを書くことになり、現在の仕事にたどり着いた。
番組ではそのような話だった。
お酒を飲むと、詳細なメモを英語と簡単な日本語で書いていて、
そのメモがものすごい数になっているという。
日本全国の酒造会社にはかなり行っているらしい。
お酒の試飲会などでは味見はするが飲まないで吐いてしまう。
身体のことを考えて、週2日休肝日はつくるようにしているが仕事柄難しいらしい。
外国に日本酒を広めたい、というのが彼の今の夢だといっていた。
日本酒伝道師の仕事は、それなりにきつい仕事だと想像するが、うらやましいと思った。
「この仕事はやろうと思ってできる仕事ではない。仕事のほうから選ばれたんですね」と彼がいっていた。
理工系の大学を出るころに、まさか日本で日本酒伝道師になるなんて考えなかったと思う。
(夜明けの寝ぼけた状態でラジオを聴いていたので、ちがっていることがあるかも知れません)
彼の話を聴いていて、夜明けの眠たい頭で自分の半生を思った。
私は、頭がわるく世間知らずなこともあったので、零細企業や中小企業を20弱渡り歩いてきた。
別に沢山仕事をかえる気はなかったのですが、会社が景気悪くなったり、消滅したりした。
私のこれまで仕事をしてきた中で、なんの自慢することも、誇りに思う業績もありません。
ただ家族の生活を守るために働いてきました。
つまらない半生を歩いてきたと、今となっては思う。
息子たちを育てたことは、それなりに充実していましたが・・・。
私も日本酒が大好きですが、現在はほとんど飲んでいません。
身体のことを考えて飲んでいない。
友人と会って日本酒を飲むときには飲むが、家では飲まないようにしている。
できるなら毎日、日本酒が飲みたい。
自分の忸怩たる半生をさかなに、お酒が飲みたいです。
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