日本酒伝道師

2016年11月04日 | 健康・病気
今朝、たまたま4時過ぎに目が覚めた。
ラジオをつけるとラジオ深夜便【明日へのことば】が始まったばかりだった。
「我が人生は日本酒とともに 日本酒伝道師 ジョン・ゴントナー」
ネットで今、深夜便の番組表で調べたらこういうふうに書いてあった。
アメリカで普通に育った少年が理工系の大学に入り、技術系の仕事に就職したが2年ほどで辞め、
日本で英語教師の募集があったので応募して採用されたので日本に渡った。
7年ほど教師をして辞めてアメリカに帰ろうとしたときに、花見に誘われた。
そこで日本酒を飲んだ。
過去に、アメリカの日本料理店で熱燗のお酒は飲んだことがあった。
花見のときに日本酒の好きな人が、5種類のお酒を一升瓶で持って来ていた。
初めて飲んだ冷たい日本酒がとても美味しかった。
そしてお酒を持ってきた人が、日本酒の飲み方、味わい方を教えてくれた。
それがきっかけで日本酒を飲むようになった。
あるとき英字新聞の記者から日本酒についての記事を依頼された。
苦労して書いたその文章が気に入られて日本酒のコラムを書くことになり、現在の仕事にたどり着いた。
番組ではそのような話だった。
お酒を飲むと、詳細なメモを英語と簡単な日本語で書いていて、
そのメモがものすごい数になっているという。
日本全国の酒造会社にはかなり行っているらしい。
お酒の試飲会などでは味見はするが飲まないで吐いてしまう。
身体のことを考えて、週2日休肝日はつくるようにしているが仕事柄難しいらしい。
外国に日本酒を広めたい、というのが彼の今の夢だといっていた。
日本酒伝道師の仕事は、それなりにきつい仕事だと想像するが、うらやましいと思った。
「この仕事はやろうと思ってできる仕事ではない。仕事のほうから選ばれたんですね」と彼がいっていた。
理工系の大学を出るころに、まさか日本で日本酒伝道師になるなんて考えなかったと思う。
(夜明けの寝ぼけた状態でラジオを聴いていたので、ちがっていることがあるかも知れません)
彼の話を聴いていて、夜明けの眠たい頭で自分の半生を思った。
私は、頭がわるく世間知らずなこともあったので、零細企業や中小企業を20弱渡り歩いてきた。
別に沢山仕事をかえる気はなかったのですが、会社が景気悪くなったり、消滅したりした。
私のこれまで仕事をしてきた中で、なんの自慢することも、誇りに思う業績もありません。
ただ家族の生活を守るために働いてきました。
つまらない半生を歩いてきたと、今となっては思う。
息子たちを育てたことは、それなりに充実していましたが・・・。
私も日本酒が大好きですが、現在はほとんど飲んでいません。
身体のことを考えて飲んでいない。
友人と会って日本酒を飲むときには飲むが、家では飲まないようにしている。
できるなら毎日、日本酒が飲みたい。
自分の忸怩たる半生をさかなに、お酒が飲みたいです。
コメント
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