今回は出雲大社に行ってみたいと思っていた。出雲の単純往復もつまらないな、と思い、いつか行ってみたいと思っていた萩と組み合わせることにした。母が『お母さんも一緒に行きたいわぁ』というので、一緒に行った。当初は父も一緒に行くと思っていたけれど、
国内旅行で2泊3日以上は嫌
と言い出したので、一人家に残していくのは心配だったけれど、母だけ一緒に行った。出雲単純往復ならまだしも、萩と出雲を組み合わせて2泊3日はない。
萩へは、新山口まで新幹線、新山口から萩はバス(スーパーはぎ号)を使った。同じバスに日本人の添乗員(またはガイド)と外国人旅行者のグループが乗った。15人くらいのグループだったけれど、バスをチャーターせず、乗り合いで行くのか。
ホテルは、萩の観光地内と東萩で迷ったけれど、萩から次の場所に向かう際に電車でもバスでも便利そうな東萩にした。萩には2泊した。萩観光には循環バス2つが出ていて便利だった。
初日はホテルに荷物を預かってもらった後、午後3時前くらいから観光を始めた。まずは松陰神社へ。
松下村塾は外から見学できるようになっている。講義室(写真)は8畳で、それほど広くなかった。ここで学んだ人の名前を見ると、歴史に疎い私でも知っている明治の偉人が並んでいて、吉田松陰の残したものの大きさがよく分かる。
続いて吉田松陰幽囚ノ旧宅へ。吉田松陰が29歳で処刑されたと、ここで学び、再度驚く。そんなに若かったのか、と。そして、自分の29歳時を振り返ってみた。知識も経験もまだまだ浅くて、誰かに何かを教えることはできなかった(今もできない)。
本殿でお参り後、歩いて数分のところにある伊藤博文旧宅(工事中)を外から見て萩城跡指月公園へ。萩城は、1604年、毛利輝元により築城、1874年に明治政府の命令により解体され、今は石垣と堀が残っている。写真で見ると、とても立派なお城だったので、解体されたのが残念。
天守閣跡や花江茶亭(お茶室)、志都岐山神社をぐるっと歩いて観光終了。萩城跡指月公園の入園料にすぐ近くの旧厚狭毛利家萩屋敷長屋の入館料も含まれていたので、こちらの長屋も見学した。萩に現存する長屋で最大(長さ50メートル以上)らしい。
初日の観光はここまで。
萩には夏みかんが多く、街のシンボルになっているようで、マンホールのふたにも夏みかんが描かれていた。明治政府樹立後の士族の給禄奉還などにより士族が困窮したので、夏みかんを植えることを奨励したらしい。園地は、主に
空き地となった武家屋敷
だそうで、その結果、街並みが保たれることになり、現在の観光地にもつながっている。