この7月で紀勢本線全線開通50周年になると、今日の新聞の記事。
鉄ちゃんでならしていた、高3の時は10周年の記念があった。当時は学校からの早めの帰宅(3時前)にのる列車は名古屋発天王寺行きの各駅だった。C57の引く各停だが、天王寺には潮岬を廻って朝5時ごろ着いたと思う。
今は全線走る列車は無い。
紀勢本線が最後まで繋がらなかったのは、尾鷲三木里と木本(熊野)間である。紀勢東線、西線と称していた。こちら(北勢)に住んでいる人は尾鷲と熊野は同じようなものだと思っているかもしれないが、話す言葉、風土全く異なる。電力会社も熊野は関電だ。婚姻関係もほとんどなく、交流はあまりなかった。船でいくか、矢の川峠をバスで通うかしか無かったのである。
今は熊野尾鷲道路が建設中など境目がわからなくなってきているが、もっと違いを誇張した方が特色がでる、と思う。(写真は亀山機関区)
鉄ちゃんでならしていた、高3の時は10周年の記念があった。当時は学校からの早めの帰宅(3時前)にのる列車は名古屋発天王寺行きの各駅だった。C57の引く各停だが、天王寺には潮岬を廻って朝5時ごろ着いたと思う。
今は全線走る列車は無い。
紀勢本線が最後まで繋がらなかったのは、尾鷲三木里と木本(熊野)間である。紀勢東線、西線と称していた。こちら(北勢)に住んでいる人は尾鷲と熊野は同じようなものだと思っているかもしれないが、話す言葉、風土全く異なる。電力会社も熊野は関電だ。婚姻関係もほとんどなく、交流はあまりなかった。船でいくか、矢の川峠をバスで通うかしか無かったのである。
今は熊野尾鷲道路が建設中など境目がわからなくなってきているが、もっと違いを誇張した方が特色がでる、と思う。(写真は亀山機関区)