日経朝刊の『私の履歴書』、今月はコマツの坂根さんです。
今日は、1991年から坂根さんが米国企業と折半出資でつくった小松ドレッサー社のCOOとしてシカゴに赴任した時の話。
初仕事が工場のリストラで、6工場のうち、ドレッサー社から引き継いだ2工場を閉鎖した一方、1つだけコマツが立ち上げたチャタヌガ工場だけはリストラも日本流で進めたとのこと。
これってホント真理だよなあ、と思う。
坂根さんはジレンマって言ってるけど、これだけ不可逆的にグローバル化が進んでしまうと、日本的経営を捨てて流動性の高い社会に変わるしか道がないのは明白だと思う。
ただ難しいのは、一気に全部が流動性の高い社会に変わればいいけど、どうしてもタイムラグが出てしまうということ。
そうすると、どうしても一旦職を失ってしまうと次の職が簡単には見つからない、という事象がたくさん発生してしまう。
過渡期の問題だとは思うけどね。
今日は、1991年から坂根さんが米国企業と折半出資でつくった小松ドレッサー社のCOOとしてシカゴに赴任した時の話。
初仕事が工場のリストラで、6工場のうち、ドレッサー社から引き継いだ2工場を閉鎖した一方、1つだけコマツが立ち上げたチャタヌガ工場だけはリストラも日本流で進めたとのこと。
つまり他工場のような閉鎖や一時解雇はせず、給料を3割カットしながらも、全員の雇用は維持したのだ。生産調整で仕事のなくなった社員は敷地内の草むしりや保守整備をしたり、近くの小学校のペンキ塗りなどを請け負ってしのいだ。それから半年ほどで景気が戻り、工場は再開。地元社会からは「コマツの経営は素晴らしい」と称賛され、私も鼻高々だった。
だが、その後がいけない。米国市場が立ち直り、増産投資が必要になると、他の工場は投資して、雇用も増やしたが、「リストラしない工場」を掲げたチャタヌガでは踏ん切りがつかない。「規模を大きくして、次の不況がきたら対応できない」という心配が先に立つのだ。結局10年たってみると、他の工場が大きく伸びたのに対し、チャタヌガは取り残された。
考えてみれば、こうしたチャタヌガの状況は、日本経済の姿とも一部重なり合う。「社員を大切にする」。この精神は日本企業が将来とも守るべき大事なことだが、あまりに労働市場の流動性が低いと、会社も個人も身動きが取れなくなり、成長機会を取り逃す。このジレンマをどう解消するかは、日本全体の課題である。
だが、その後がいけない。米国市場が立ち直り、増産投資が必要になると、他の工場は投資して、雇用も増やしたが、「リストラしない工場」を掲げたチャタヌガでは踏ん切りがつかない。「規模を大きくして、次の不況がきたら対応できない」という心配が先に立つのだ。結局10年たってみると、他の工場が大きく伸びたのに対し、チャタヌガは取り残された。
考えてみれば、こうしたチャタヌガの状況は、日本経済の姿とも一部重なり合う。「社員を大切にする」。この精神は日本企業が将来とも守るべき大事なことだが、あまりに労働市場の流動性が低いと、会社も個人も身動きが取れなくなり、成長機会を取り逃す。このジレンマをどう解消するかは、日本全体の課題である。
これってホント真理だよなあ、と思う。
坂根さんはジレンマって言ってるけど、これだけ不可逆的にグローバル化が進んでしまうと、日本的経営を捨てて流動性の高い社会に変わるしか道がないのは明白だと思う。
ただ難しいのは、一気に全部が流動性の高い社会に変わればいいけど、どうしてもタイムラグが出てしまうということ。
そうすると、どうしても一旦職を失ってしまうと次の職が簡単には見つからない、という事象がたくさん発生してしまう。
過渡期の問題だとは思うけどね。