レンコンの部屋

日常の感じた事など

春近し

2012-03-25 09:04:10 | 日記
胃瘻造設のために入院していた母も週末に退院し

週明けにはまたデイサービスに通います。

電話で声を聴かせたのですが

「長女のレイコだよ」と声をかけたら

「あー」と感嘆の声を出していました。

多分わかったようです。



岩手の春はもうそこまで来ています。

といいながら、雪が降ったりしていますが

白鳥が旅立ちの準備を始めていますし

渡り鳥が次々旅立っていきます。


きれいに隊列を組んで飛んでいくさまは

とても凛々しく

いつも、がんばれーと心の中で叫んでしまいます。


そして、その姿に

私もがんばろーと励まされます。


去年、東日本大震災の時も

数は少なかったのですが

やはり白鳥が北へ旅立っていく姿を見て

随分励まされたのを覚えています。


3月は別れ・旅立ちの時期ですよね

今はもう学生の子供もいませんし

卒業式には縁がなくなってしまいましたが

別れは悲しいけれど

新しい出会いのための別れだし

自分にとっては経験や出会いが増えるって

この年になると思えるようになりました。



今思うと、卒業式で号泣したのは

小学校の卒業式が最初で最後かも

最後の下駄箱で卒業したくなーいって

ものすごく泣いたのを、まるで昨日のようにリアルに覚えています。


子供たちの卒業式でも少しは泣いたけど

感動より、周りの動きが気になったりして

携帯をいじっている父兄とかいたいりして

だんだん時代が変わって

大人が子供みたいになってきているのかもって

感じたことがありました。


今度は孫ですか?

まあ、私はそういうところには参加しないで

あまりでしゃばらない祖母になるつもりです。

少なくとも今はそう思っています。


早く、春来ないかなー

待ち遠しいです~

母の入院パート2

2012-03-05 15:26:12 | 日記
入院して1週間後、いよいよ胃瘻造設の日に

再び実家に向かいました。

駅に降りて直接病院へ

待っていたのは、ナースステイションの中で、ストレッチャーに乗せられて

硬ーい手袋をさせられていた母。

その時は、私のことが分かったかのように

手袋を外した瞬間に、私の手をぎゅーっと握りしめて

点滴をするとこんなに力が入るのかと思うくらい痛かったです。

そして、胃瘻造設手術の時間になり

内視鏡室の前で妹と二人で待とうとしたら

妹だけが中に呼ばれ

何故かというと看護師が勝手に

その病院の職員だから、そばについていたほうがいいと思ったらしく

成り行きで、立ち会うことになった妹も

内心は、見たくなかったようですが、結果私は一人で待つこと40分。

途中で、廊下の電気は消され

真っ暗な中、たった一人

ものすごーくAWAYな感じで(スペルあってるかな?)

絶対、意見箱に書いてやる!!と憤慨しながら

しかも、その部屋からは母の苦しそうな声が漏れてくるし・・・

セデーションかけてやってるの?

なんで、こんなに苦しがっているのよ!!

と、一人で待つ身は想像するわけで


そんなこんなで、とりあえず無事に終了し

暗い中一人で待っていた私の事も

大変失礼なことをしたと問題になり

その日は痛み止めで、なんとか寝てもらい

翌日、面会に行って手袋を外した手が臭かったので

ビニール袋を1枚もらって

手と足を洗い

部屋中いい匂いにし

その都度、「ありがとうございます」という母に

わたしのことわかる?と聞くと

「隣のお姉さん」との返事

結局、その次の日に帰る時も

「斉藤さん」と言われ、最後まで私とわからずに岩手に戻ってきました。


いつも入院するとせん妄になり

環境の変化に弱いことくらいわかっていたけど


この短期間に2回も休みを取って行くのって

結構大変なことだったのに

なんだか、胃瘻を作ることを説得した手前

きちんと話したかった私の思いは

ただ、空回りで

妹家族とはゆっくり話せたけど・・・

ものすごーくむなしくて、切なくて・・・

そのまま家に帰りたくなくて、

いつも行っている美容室に寄って

髪を切ってもらいながらその話をしたら

「自分も母親のいつもそばにいないから、自分の事はわからなくなっても

いつも世話をしてくれる、義理の姉さんの事だけは忘れないでいてほしいって思っていたよ」って言われ

あー、確かにそうだなって

でも、私は、そんな大きな気もちになかなかなれずに

未だにひきずっています。

私の心の狭さなんでしょうね・・・

ただ、母は、順調に元気になっているようで

それだけが救いですし

今では、妹家族のことはわかるようです。