レンコンの部屋

日常の感じた事など

異次元空間みたい

2015-02-27 10:35:01 | 日記
昨日深夜明けで、一緒に夜勤をした仲良しの後輩から、病院受診付き合ってもらえますかって

しかも、盛岡まで車で乗せてもらえると助かるって・・・

彼女は股関節が痛くて、以前から受診していて仕事中にまた痛みが出て受診したいということになり

でも、一人で行くには時間もないし、痛いから車の運転も長時間はつらいし・・・

私としては車の運転で気晴らしもできるし、まあ、いろいろ話をしながらそれもいいかなって

二つ返事で、「眠眠打破」を飲んで、テンション上げて高速に乗り一路盛岡へ

午前中の診療受付ギリギリで間に合い、まあ私はそこら辺うろうろすればいいと思って連絡してねーって別れて

盛岡中心街?(肴町)アーケードを散策したのですが

んー、何か微妙な感じ

よくテレビに出てくることろじゃかなったかなーって思いながら

昔乍らのたたずまい

売られているものも、私がエーすごーいって飛びつきたたくなるようなものは一つもなく

いったん戻って車の中で仮眠1時間

そして、MRIもすることになったということで、まだ時間はかかりそうだからと

再び車外へ


今度は喫茶店でも探して、とりあえずトイレに行きたくなったしって・・・

何ともレトロ感覚満載のサイフォンの美味しいコーヒーが飲めるという喫茶店があったので

ドキドキしながら中へ

本当に昔からある喫茶店

サイフォンのコーヒーは確かにおいしかったし、黙っててもお代わり入れてくれて

コーヒーのつけ合わせに食べる小魚が付いてきて

それも、まあ微妙ではあったけど、一番私がびっくりしたのは

普通にお店全体がタバコのにおいがしみついていて

見る人みんな、タバコを吸っていたの

お店のおじさんももちろん、目の前のおばさん三人中二人は私が15分いる間に3本は吸ってかな・・・

これだけ。禁煙とか、分煙とか騒がれている世の中で

ここは愛煙家の集まる所なのかなって(看板にはそんなこと書いてなかったけど)

これ以上いたら喘息の発作が起きそうだったから400円払ってすぐに出て

あとは丁度本屋さんがあったから、ここで暇つぶそうと思って入ったら間もなく終わったコールで病院へ戻り

あとは盛岡の南イオンで彼女のおごりで遅い昼食をとり

帰りながら買い物して帰ったのが夕方5時ごろ

何だか興奮して全く寝るたくならずに、寝たのは夜中の0時過ぎ


そして今日は準夜勤


しかし、本当に初めてのまりを一人で過ごしたあの数時間

唯一印象に残っているのが、お香のお店

アーケードを歩いていると、いいお香の香りがしてくる

それだけはいいなーって思いました

でも高そうだから、お店にははいらなかったけど

彼女が手術して入院となったら、何回かはこの町に来ることになるのかなーって思ったら

1回くらいはそのお香のお店に行ってみようかなって思いました

たまには、知らない街を散策するのって、刺激的でいいかも




人事昇格の時期

2015-02-25 09:07:28 | 日記
年度が変わるこの2~3月は昇格や異動の内示がある時期ですよね

私も昨年1月の下旬に内示を受け、2月に面接。

そして、3月には公示され4月から副主任という役職で1年間まるで馬車馬のように働かされました


管理研修なるものは2回。それ意外にも、病院機能評価の年でもあり本番の7月までは本当に落ち着かない日々

書類を準備し、次々仕事を与えられ、しかも、新しく立ち上げる看護科の倫理委員会の委員長を命ぜられ

なんだかよくわからないものはみんな丸投げで、本当にこんなのでいいのと思いながら必死に業務をこなしてきました

まわりからも、少しずつ認めてもらい、いろいろとスタッフからも信頼を得、多分私でなければこなせないと思うくらいの仕事をこなしてきたつもりですが・・・


12月に師長が総師長に、主任が師長にとダブル昇格で、主任不在のこの2か月間

主任の担当していた業務のほとんどを新米の副主任である私がこなしてきました

なぜなら、病棟開設して初めに副主任になった人が、緩和の認定看護師を取るために約1年間学校に行っていたので、その分お仕事がほぼ全部私に回って来たからなのです

多分その人が、学校にさえ行ってなければ、その段階で主任に昇格して、トリプル昇格だったと思うのですが・・・

でも実際は1年間ほとんど委員会の仕事もしなかったので、本当に昇格するのかなーと思っていたら

やっぱり、この春主任に昇格することになったと昨日本人から聞いて、やっぱりなーって


私が今年度、かなり頑張って仕事をこなし、病棟がバラバラになりそうな時もムードメーカーとして盛り立ててきたのですが

昇格するのは先に上がって行った人だよなーって、どんなに1年頑張っても、1年で昇格するわけないもんなーって

でも、若い子からは、前代未聞の1年で主任にってこともあるんじゃないかと踊らされ、少しでもその気になった自分が恥ずかしいし

それにもまして、一体何のために。人の倍も仕事をさせられ、これって一体なにになるのかなーって

もともと委員会も代役も含めて5つ掛け持ちの上に、12月からは2つプラスされ、

しかも日々の業務分担も結局は認定の試験が終わるまで(5月まで)お願いしたいと師長からは頼まれ

えーって思いながら・・・


確かに私は年齢的にもあと4年で定年の人なわけで、この年になって、駄々をこねることもできないじゃないですか

ここは少し大人のふりして、わかりましたと聞き分けのいい人になるわけですよ

しかも、その主任になる彼女からは、「本当は断ろうと思ったんだけど、○○さんが副主任で助けてくれるから、大丈夫かなって」

「薬局長からも、○○さんが病棟にいる間に、たくさん教えてもらった方がいいよって言われて、そうだなって」・・・

どれだけ人の事を頼れば気が済むんだろうか、確かに年上だけど・・・

でも、頼られると、断れないという本当に悲しい性格で、本能的に頼られると頑張っちゃうし、またこれができちゃうんだよね

かなり無理してもやっちゃうタイプ。ホントバカみたい。

あーあ、そんなわけで、きっとこれからも必要以上に仕事を見つけては、「あ、それやりますよ!」なんて言っちゃうんだろうな

性格って簡単に治らないしね、困ったものです。こういうの、骨折り損のくたびれもうけっていうのかな





もうすぐ春?

2015-02-21 14:41:36 | 日記
今日は、まるで春のような天候です

夜勤で家を出る時は窓が凍っていたのに、日中はまるで春の暖かさ

三寒四温とはよく言ったものです

また、寒い日があり、暖かい日が来て、気が付くと春

なんだか、今年の冬がとても短かったような気がします

雪が少なかったからですかね

それとも、一番寒いあたりに横須賀にいたからですかね・・・

夫も、今年は数えるくらいしか雪かきをしなかったと言っていました

勿論、私は1回だけでした


雪がないから、畑に植えていた玉ねぎや長葱が見えて、多分これから新芽を成長させて行くと思うのですが

すごーく楽しみです


もしかしたら、これからの人生、すごーく早く感じるかもしれないので

一つ一つを大切に生きて行った方がいいかなと思う様になりました

生き急ぐのではなく、感じながら・・・

今までもそのつもりではいたけど、何かに突き動かされているかの様に、がむしゃらだった気がするのです

母が向こうの世界に行ったということは、次は年の順からすれば私が次になるので

大事に、穏やかに、後悔の少ない日々を送りたいなーって


できるだけイライラせず、イライラした時は、ちょっと深呼吸して

言葉を選び、それでも、自分の気持ちを上手に伝えて・・・できるかな(苦笑)


敢えて、これからいい人になろうとは思っていません

でも、不快な人間になりたいとも思っていません

買い物した時、何かほかの人と接したとき、やってもらった時、ありがとう、どうもと会釈する

ちょっとしたしぐさですが、黙ってお金を受け取ったり立ち去るよりは、気分がいいですよね


自分がいることで、空気が重苦しくならないように、できれば明るく居心地のいい空間であってほしい

そんな人になりたい私はなりたいと思っています


これから始まる春に向けて、生まれ変わってそんな風に過ごせたらと願っています

次学期に向けて

2015-02-19 10:06:36 | 日記
母の事があって、今回の放送大学の試験はほとんど集中できず

しかも、1教科は試験を受けないという初めての経験をしました

「睡眠と健康」という教科は、寝つきが悪い私が一番興味があって勉強したのに

結果、間違えてしまい、もしかして初めての赤点になるのではと心配しましたが、今回もA判定でした

自分が間違えた以外は正解だったということですかね・・・

本当に結果を見るまでは気が気ではありませんでした


ということで、次学期は試験を受けなかったものを含めて4教科の試験を受けることになるので

気合を入れて勉強しようと思っています

それで放送大学は本当に卒業するつもりでいます


最後の学期のテーマは家庭です

幼児虐待、家庭崩壊、ひきこもり・・・

社会の中の最小単位である家庭が、今危ないと思うから・・・

私は今看護師をしていますが、かつて子育ての頃、本当に悩むことが多かったから

将来はそんな子育てや、家庭の事で悩んでいる人の相談に乗ったりする仕事ができたらと思ってはいるのですが

きっと、それは難しいとは思います

でも、関心はあるから、勉強はしたいし、きっと縁があればそういう機会もあるかと思いつつ

まずは、知識だけでも養っておこうと思っています

私も、子供が登校拒否になったり、まさに、虐待と言われかねないほどの厳しいしつけもしてきました

よく子供がグレないでまっすぐに育ってくれたと思っています

反面教師ですかね・・・

だって、たばこは吸う、飲み会に行けば午前様・・・

そんな生活を子供が高校生になるまでやっていたのですからね

勿論、仕事はきちっとしていたし、家の事も学校の事もまあ、一人で頑張っていましたけどね

メリハリが激しくて、子供ながらに圧倒されて強くも言えなかったんだと思います

なんだか、勉強の話から、今までの反省会になってしまいましたね


なんだかんだで、私も年を取り、タバコもやめ、飲み会も数えるくらいの回数で

真面目になったものです

人生終わりよければすべてよしって言いますからね

若気の至りで許してもらって、残りの人生どのくらいあるかわかりませんが

精一杯勉強したり、少し周りの人に何か恩返しができればいいな…って思っているのですけどね

無理して参加しなければよかった、新年会

2015-02-15 15:56:21 | 日記
母が亡くなってまだ、日が浅かったけど

幹事から、どうしても参加してほしいと言われ、亡くなったお母さんに献杯の気持ちでとまで言われたから

すごく迷いながら参加した新年会

やっぱり行かなければよかった・・・

結局、多職種を交えての飲み会だったので、個人的なことなんて関係なしだし

昇格おめでとう、認定の学校卒業おめでとうの話ばかりで

別に私がいなくても、その会は成立したわけで

私はただ、空気を沈めないようにそれなりに頑張って盛り上げて

でもいつも以上にはいかず、それでもカラオケまで付き合って

帰りは旦那や息子に遠慮して自力で帰ると言って、タクシー代を3000円も出して帰ってきました


56歳。もう、無理して飲み会なんて出なくていいよね!?

なんか、すごく疲れた

親を亡くしたばかりで、そんなに平気な顔していられるわけないよね

でも、私が沈んでいては仕事上周りに迷惑かけるから

職場では普通にしているけど、ポッカリあいた穴はそんな簡単には埋められないよね

大丈夫と思っても、次の日になると、いや次の瞬間やっぱり悲しくなって、ボーっとしてしまう

ちゃんとしようと気丈にふるまっているけど、かえって心ここに非ずの状態になっている

一体いつまで続くんだろう


父の時はまだ母がいたし、子供も小さかったから子育てでそんな感傷にふけっている暇はなかったけど

今はまたその時とはずいぶん違うから

仙台の孫が、母の葬儀の時の私の事を絵に描いているって

笑っているけど、泣いている私の絵を描いているって・・・

3,4歳の子供でも眠っているひいおばあちゃんが死んでいるって話していた

どうして死んだのとか、なんで泣いてるのとか聞いていた


そういう場面って子供にとってはショックかもしれないけど、

人は死んだらもう生き返らないとか大事なことだからちゃんと見せておいた方がいいと思ってはいたけどね


孫の前で泣くことはもうないとは思う

でも、まだまだ時間がかかりそう


もう無理はしないで、少し自分と向き合って、静かに生活しよう・・・

それじゃなくても、年度末で仕事はそのものは忙しくなるからね、せめてそれ以外では静かにしていようと思っています