レンコンの部屋

日常の感じた事など

お見送り

2014-03-30 14:47:43 | 日記
昨夜の最後の晩餐は、夫が仕事で遅く参加したものの

長女とその子供3人、長男家族3人、次男と私たち夫婦でワイワイ賑やかに食べました。

普段あまりこんでいない焼肉ヤマトなのに、増税前の駆け込み焼肉なのか

ものすごーい人が待っている中を、予約をしていった私たちは堂々と入って行き

なんだか申し訳ないと感じながらも焼肉を満喫してきました。


でも、私はお昼に息子と食べた、石川五右衛門という名前の中華蕎麦屋さんのラーメンが

まだしっかり消化されずに、お腹があまり空いていなかったので、

ビールとサラダばかりをたくさん食べて、お肉はまあ、数口だけだったかな。

次男坊はここぞとばかりに、冷麺を食べた後、別なご飯ものを頼んでいて

さすがに帰ってきてから、長女の盛岡土産のバームクーヘンは食べれなかったようで・・・

でも、そのあと、しっかり友達と逢って、親には入り込めない友達との付き合いで、夜中まで語り合った様です。

小学校からの友達3人が集まってくれて語らったみたいで、宝物ですよね。

そういう力が、息子の背中を押してくれているのかもしれません。

今回は引越しの手伝いも一切せずに、自分一人で段取りして、いつの間にか大人になっていたんだなーって。


最後の日はどうしたいってきいたら、お墓参りしていなかったからって

雨の中二人でお墓参りをしてきました。

お墓の中には夫のお父さんと、長男の第一子が眠っています。

お盆には帰ってくるんだからねと声をかけると、結構帰ってきている方だと思うよと言っていました。

今まではそうでも、これからはどうなるかわからないし(埼玉ってやっぱり遠いから)

4人も子どもがいれば、存在をアピールしてくる子供にはいつも声をかけられるけど

次男の様に黙々と自分の生活をしている子は、気が付くと、そういえば元気かなって感じで

やっぱり存在感が薄くなってしまうんですよね。

頼りのないのが元気な証拠なんて言う人もいるけど

それもやっぱり寂しい話ですものね。


親孝行は、元気で生きていてくれることなんだけど、やっぱり、そんな姿を見せに来てくれることも

立派な親孝行だと思います。

私もそう思って、最近では母のところに足を運ぶ回数を増やしているくらいですからね。

後悔したくないから、私はね。


そんな息子を、先ほど新幹線の駅まで見送ってきました。

本当はホームまで行って、見送りたかったけど

息子がいつもと同じだから、ここでいいと車から降りて行ってしまったので、

私も深追いはせずに元気でしっかりねと声をかけ、涙をこらえながら帰ってきました。

いつもは、車の走り去っていく姿を見て、これからは新幹線の駅に歩いていく後姿を見送るようになるんだなーって

親はやっぱり、いつまでも子どもを手元に置いておきたい、でもしっかり自分の人生歩いてもらいたいって、

我慢して見送り続ける役目があるんでしょうね。それが、社会にお返しするっていうこと。

生きるって、本当に泣いたり笑ったりですね。

もっと遠くへ

2014-03-29 14:49:26 | 日記
末の息子が今度は山形から埼玉へ引っ越ししていきます。

山形での一人暮らしも4年。

初めての就職先で、雪深くてすごく心配したけど、職場の人たちのもかわいがられ

大きなトラブルも無く生活できたようでした。

自分で自動車教習所に通ったり、いろいろなことを自分で決めてやってきたようで

いつの間にかスキーなんかも上手になって、親の知らないことがどんどん増えて行きました。


しかも、今度は埼玉ってほとんど東京じゃないですか。

車も手放して、都会生活をするようになるのだと思いますが、

新幹線で帰ってくるにはお金もかかるようになるし、今までの様にはいかなくなるんだろうなーって


明日の夕方には出発して、最後のあいさつ回りを山形でしたらその足で埼玉へ・・・

今日は最後の晩餐なので焼肉でも食べに行こうかと予約を入れました。

官舎からスーパーまでは遠いということで、

買い物をして、お米とか日用品など箱に詰めて、先ほど送りました。


親らしいことできてるかなーって、いつも思いながら子供たちを見ていますが、

できていてもいなくても、時間は過ぎていくし、もっとこうしてあげればよかったと思うことも

きっと後になってしか気が付かないのかもしれません。

今は大学受験に親がついていく時代ですからね。

私は過保護でもないし、今どきの親でもないのかもしれません。

それでも、自分なりにそして、夫は夫なりに心配して声をかけているのだから、

これでいいと思って、見送ろうと思っています。

今日はすっかり小春日和で、気分はウキウキの筈なのですが

そういうわけでなんだかちょっと、センチメンタルな感じです。


ここにいて、何時も見送り続けるのって、切ないですね。

でも、ここに来ればいつもいてくれる存在があるから、外で頑張れるということもあるので

元気でこの岩手で頑張るしかないんだなーと思っています。

家族旅行2日目

2014-03-25 11:36:27 | 日記
夜泣きで熟睡できなかったけれど、夜泣きに悩まされなかった長女の

「見て見て、すごいよ」の一言で朝6時前には目が覚め

ホテルから三浦の海から出てくる日の出を感動しながら見ました。

天気も良く、反対の窓には富士山が見え、寝不足も忘れるくらいの最高の気分でした。

そのあと子供たちが起きてこないうちに朝ぶろを娘二人と入り、こんなにゆっくりとできるのも当分ないね。でも、また来たいねってと話して

朝食をすませて、帰る前にラゾーナ川崎で買い物したいねと決めていたので、ナビに誘導されながら川崎へ

都会はいつも私が担当しているので、ナビの言うままに車を走らせてほとんど迷わずにラゾーナ川崎に到着。

帰りの時間を考えるとそこで過ごせる時間は買い物だけでおよそ1時間程度、

後は食事に結構時間がかかるので、速足の買い物になり

待ち合わせの時間を決めて、蜘蛛の子を散らすようにそれぞれ別れて買い物へ

私は次女と孫二人と「アーバンリサーチ」に行ったり「GAP」に行ったり、下着を買ったりなどなど時間に追われながら目的を達成し

そういえば夫を忘れていたと思ったら、さすが運命の人なんですね、気が付くと目の前に一人さびしく携帯を眺めていて

私に連絡を取ろうとしていたとか・・・やっぱり33年間の絆は、どんな都会のデパートでもすぐに会えるということなんだなーと感じ

総勢13名で予約もなしに中華料理のお店でお昼を食べ、そのあと「マザー牧場」でデザートを買い

満足したお腹で岩手に向かいました。


もちろん運転は私が先導で東北自動車道までナビを頼りに行ったのですが

ナビが途中で、最短のルートを見つけたのでルート変更しますと勝手に言い始め

気が付くと、首都高という看板をひたすら無視して東京のど真ん中をひたすら一般道を走らされ

きっと後ろからついてきている車はどうして首都高に乗らないのかなーって思っているんだろうと思いながらも

我ながら、東京のど真ん中、意外に走れるじゃんって自負しながら得意になって運転していましたが

さすがに東関道をめざしていることがわかって、これはまずい!

最初の休憩場所は東北道の蓮田って決めていたから、蓮田にたどりつけないと気が付き

そこから、ナビを無視して首都高に乗り、なんとか東北道にのり、まずは第一関門を通過し蓮田で合流しました。


だったら、最初からナビを無視して首都高に乗ればよかったんだと思いながらも、

逆に、無視しても首都高に乗って東北道にたどり着けたことを自分でさすがだなーと褒め

そのあとは、まっすぐ東北道をひたすら北へ

帰りの道路は雪もなく自宅についたのは10時半。

途中に仙台で次女たちをおろして、バイバイするのは切なかったけど、無事に帰れてよかったなーって



翌日7時過ぎに車を返しに行ったのですが、その時にまた急に雪が降り始め

車を返して、自宅に戻るまで雪がすごくて、視界もすごく悪くなり「絶対に事故らないでくださいね」の一言が頭から離れなくて

制限速度40キロでいつもの慣れた道を走ってしまいました。

やっぱり、出かける人には「気を付けて行ってきてね」はいいけれど「ぜったいに事故らないでは」禁句ですね。

でも本当に無事に帰ってこれてよかったです。






家族旅行

2014-03-24 10:09:54 | 日記
本題の家族旅行ですが、20日の20時半出発予定が21時頃になり

2台の車で、運転手は私と夫、長男と長女の夫の4人で交代で行くことになりました。

まずは私と夫が運転で、私だけが泉のインターで次女と孫を乗せるためいったん降りてという予定で出発。

ところが、出発してすぐにうちの孫がしまじろう(ぬいぐるみの)がないと泣きだし

それがないと眠れないというため、何でそんな大事なものを最初から手に持っていないんだと思いながらも

私たちだけ引き返し、気を取り直して高速へと思いきや、なんと雪という悪天候で

それでも南に向かうのだからいつかは雪もなくなると淡い期待をしていたけれど

雪は一関仙台と向かうにしたがって、どんどんひどくなり、道路はシャーベット状態で除雪も間に合わないし

しかも、あちらこちらで事故の車がいて。、いつか高速を下ろされるのではないないかと思いながら

ハラハラドキドキで23時近くに泉のインターに到着!

待ちくたびれた次女の夫はそんな顔は全くせずに少し苦笑いをしながら

すごいことになりましたねと言わんばかりの感じで、気を付けて、お願いしますとあいさつをされ

再び高速へ・・・


でも、あとは道路は普通になり、途中で運転を息子に交代して明け方までに仮眠を取り実家(横須賀)に8時前に到着。

妹を連れて実家の墓参りをした後、ソレイユの丘で昼近くまで遊び

昼食を食べてから母の待つ施設に行き、孫ひ孫と総勢14人が面会に行ったので、施設の日ともさぞやびっくりしたかと思いますが

私は、母の事を思ってくれる孫やひ孫がこんなに居る人なんだということを施設の人もわかってくれたら

ケアの時に話題になっていいかなという思いもあって、皆で押しかけているのかもしれません。

だって、母は今では全く話ができない人になっているから、

自分の物語を話すこと、できないでしょ。

人生の終末には、やはり、自分の人生語りたいじゃないですか。

かたれないから、代わりに家族とか、周りのかかわった人が、その人の事を語って行くということが生きたってことになるような気がするのです。



その日は本当なら江の島に言ったりと考えていましたが、体力の限界と道路がかなり混んでいたので

そのまま三浦にあるマホロバマインズに宿泊予定だったので、15時にチェックイン

ゆっくり温泉に入って、ご飯を食べ、気が付いたら起きているのは息子と私だけ

仕方ないから、息子と二人で神経衰弱やったり、ポーカーやったり

でも、同居していてもゆっくり話すこともなかったから、たくさん話ができてよかったかもしれません。

こうして1日目が終わりましたが、仙台の孫二人が交代に夜泣きで夜も熟睡できないままでしたけどね…


レンタカー借りたけれど…

2014-03-23 12:54:47 | 日記

20日の夜岩手を出発して、我が家の子供や孫たち総勢13名で私の母に会いに行ってきました。

大人7人、子供6人(乳児も入れて)

車は8人乗りのワンボックスカーを2台レンタカーで借りて行ってきたのですが・・・

その車を借りる時にすごーく嫌なことがったのです。

何時ものように説明を受け、帰りの時間が遅くなった場合はどうすればいいかを尋ねたのですが

すぐには返事がなく、「いや、時間には戻ってきてもらわないと」というため

大人数で行くし距離もあるんで、途中何があるかわからないでしょ、だから、遅くなった時は連絡すればいい?

と聞いても。良いですよと言わず、

「とにかく時間で帰ってこれるようにしてください。絶対に事故らないでくださいね。この車人気なんで、予約が入っているから」

って、出発前の雪模様の悪天候で不安に思っている客に向かって、「絶対に事故らないで」って何よね!!

そんなこと言うなら、別な車にしてくれない。誰も事故りたくて事故を起こすわけじゃないでしょ。別な車にして。

といったら、いや、マニュアルに書いてあるから言っただけですからって返してきて

それこそ出発前に喧嘩でもないから我慢して借りたけれど気分はすごーく不吉な感じで、あや着いたような気がして凄く気分悪かった。

しかも雪降って寒い外まで、見送りもせず、車の外観とか普通は一緒に見るのに傷はなかったのでと一人で話してサインだけ求めてきて

本当に気分が悪かったです。

そこの事務の女の人も一緒に聞いていて、こそっと気分悪い対応でごめんなさいねと言ってはくれたけど

そんなものでは治まらず、家族に言っても治まらなかったけど

気持がイライラしてそれこそ事故を起こしてもバカみたいなので気持ちを切り替えて出発し、無事に帰ってきました。


結局時間には帰れずに遅くなってしまうことを電話を入れて今朝早々に帰してきましたが

返しに行く時に突然の大雪。

最後の最後まで、緊張しながら、安全運転で、余計な神経使って返してきたのです。


そこは知り合いの会社なので、と思って車を借りていたのですが

社員1人のために会社のイメージが悪く案ると思うと、社長も苦労するなーと心配になりました。


接遇って本当に大事ですね。

私も改めて、相手に気分の悪い話方していないか考えながらコミュニケーション取らなくてはと思いますす。

絶対に自分はそんことしないなんて、言えないですものね。


それにしても、せっかくの家族旅行が、楽しさ半減する出来事でした。