レンコンの部屋

日常の感じた事など

メールアドレス変更って・・・

2015-06-25 10:39:50 | 日記
我が家のパソコンは買った時から私がずっと責任者なのです

だから、インターネットの接続に関しても、プロバイダーなどもとにかく

パソコンに関することは一切私が自分で決めて契約したり変更したりしてきました

そして、そのたびに電話で聞きながら接続も汗かきながらやってきました

そして2年前にauひかりに変えたりした時も結構工事などもして大変だったけど

今回NTTがまた安いということで、戻し

インターネットもbiglobeからToppaに戻りメルアドだけはそのままにしていたけど

今回OCNに変更し、勇気をもってメルアドも変更することにしたのです

昨日からメルアド変更の手続きを、1日かかって登録内容変更の作業をしていたのですが

なんと、その際のパスワードなど記録していたはずなのですが、意外と書いてなかったりして

苦労して大方終わりました


このブログはgooアドレスなので、関係ないと思うのですが、接続できなかった時はまた同じ名前で登録し直すことになるのかもしれませんね

インターネットの開く速度はとっても早くなり、今の所トラブルはないのですが・・・

少しでも同じ通信費をかけるなら効率のよいほうがいいと思って勧められるがままに変更したりしましたが

そろそろこれで定着したいものですね

もともとパソコンに関しては素人で学校で勉強などしたことのない世代ですし

パソコン教室に通うこともしませんでしたが、意外とワード、エクセル、パワーポイントくらいは何とか使うことができるので

中年のおばさんの割にはできる方かなとは思うのですが、その割に、このブログに写真が乗せられないのは、まだまだっていうことですよね

どこか、苦手意識があってね・・・


10月に社員旅行に京都に行くので、その時の写真くらいは添付したいと思っていますが・・・


参加した全国レベルの大会

2015-06-24 08:45:40 | 日記
6月18~20日にかけて、パシフィコ横浜で第20回日本緩和医療学術学会が行われ、ポスター演題が採択されたので参加してきました

今まで東北緩和医療研究会で発表は3回ほどしてきましたが、全国レベルの大会は初めて

しかも、自分が発表でなく、サポートするという縁の下の力持ち的存在も久しぶり

自分が発表したほうがよほど気が楽でしたね

それでも、ポスターの作成から印刷まではしっかり担当して

発表原稿もチェックを入れ、準備万端で行きました

前泊して、19日の朝ポスターを貼り、シンポジウムを1日中聞いて

夜は院長先生にごちそうになり、20回の節目に自分の病院がポスター演題で参加できたことが本当にうれしかったと熱弁していただき

加えて自分たちのしたことが、本当にすごく素晴らしいことだったんだと改めて思い

スタッフとの温度差を感じ、どうすればみんなこういう気持になれるのか

皆1度でも参加すれば、きっと刺激になってその気になると思いつつ

まずは自分たちが感じたことを伝えることからしか始まらないなーと感じ

結局は横浜観光は全然しないで、真面目にずっとシンポジウムに参加し、最後にポスター発表してから帰ってきました


私はそのあと実家に行き、1泊してから日曜に帰ってきたのですが、なかなかのスケジュールで体はヘトヘト

でも、気持は満足感でいっぱいでした


しかし、ポスターって、以前言われたのが、いかに見やすく作るかが大事って・・・

でも、実際に今回1000題以上演題がありましたが、字が小さいとか

手書きがあったりとか、全く印刷に力が入っていないポスターが結構あって

私の作ったポスターは手前味噌になりますが、ポスターを写真撮っている人がいたりして

院長はその写真を撮っている人を後ろから撮ったりして

いかに評判が良かったかをアピールして喜んでくれていました

何だか、親横行できた感じがして良かったです


ちなみに、発表の内容はデスカンファレンスに関することでした(優秀演題ではありませんが・・・)

来年は京都

また、何かまとめて参加したいなーって思いました








同居生活

2015-06-18 10:37:43 | 日記
息子夫婦と同居してもう6年くらい経つのかな・・・

同居のきっかけは初めての子供を出産するにあたり

子育てに不安があるからということだったのですが


未だに、同居して何かいいことあるのかなーって思ってしまう自分がいます

世の中の親世代からすると、贅沢な悩みと思うかもしれませんが

中には同居は絶対嫌という人もいますよね


私たち夫婦にとって長男はあまり気の合わない方で、昔から喧嘩が多かったんですよね

それ以外の3人とは喧嘩してもそんなに尾を引くこともなく、別に大したこともないんだけど

どうして気の合わない長男と同居しなければならないのか

これもこの世の修行とでも受けとめればいいのか


最近特に2番目の孫が生まれてから余計にイライラしてそんな自分が本当に嫌になります

よく、別れる時の理由に、こんな自分が嫌だしもっと嫌な人間になりそうだから一緒にいるのやめようっていうのありますよね

まさに自分がそんな感じですね・・・


何が嫌かって、自分たちが家の事でも子供の扱い方でも、出来ていないのにほぼ反省がない

かなり私たち夫婦が家事など賄っている

しかも、夫に対する長男夫婦の対応が冷たい

夫は家事能力もあるしちゃんとできる人なのに、信頼していない

それは自分の子供を預けようとしないから

娘は父親である夫をちゃんと評価してお父さんなら大丈夫って言ってくれるのに

そういうところからして、私はすごく嫌だなーって思うんですよね

それを言うと、だって、一人で見たことないでしょってかえってくる

当たり前じゃない、預けないのだから・・・


そんな風に信頼できない家族が一緒に生活するのはどうかなって思う

夫は、それを言うと、そんなこと言っても、しょうがないと私の様にはいわずに、もうあきらめている感じ


だからと言って本人を前にして出て行ってなんて言えないし

2年くらい前にこの話をしたことがあったんだけど、結局もう二度とこの話はしないと言って私も腹をくくったつもりだったんだけどね


月日が経つとダメですね

また蒸し返したくなる

だれか、同居って大変だけど、一緒にいればいいこともあるなんてアドバイスありませんかね

ちなみに、私は夫の母親とは5年しか同居せず、3番目を産んで21日目に義理姉の家に行ってしまったから

仕事もできない状態で、8年専業主婦で子育てに専念しました

極貧生活でしたが、それでも悔いはありません


これから自分がどうして行ったらいいのかわからなくなってきました

あと3年で定年という微妙な年齢だからかな

いつまでも迷ってばかりで不甲斐ないです

学歴社会って

2015-06-10 14:32:48 | 日記
先週末、放送大学の面接授業に参加してきました。

生涯学習に関する内容だったのですが、人はどのようにして育っていくのか

生まれたばかりの赤ん坊がどのようにして人間として成長していくかをとても分かりやすく学んできましたが

とても納得できないことがありました

それは、学歴の高い高収入の家庭に育った子供は、学歴の低い低所得の家庭の育ったこどもがたくさん勉強しても平均点が劣るというデータがあったのです

しかも、確かに想像はつきますよね、お金があって、学歴も高ければ、目指すは優秀な大学や高収入が望める会社への就職ですよね


私の両親は尋常小学校しか出ていなかったから、女は大学なんか行かなくてもいい

女が大学に行って何様になるきしているんだと父に怒鳴られ、大学進学をあきらめました(反対を押し切ってまで行く勇気がなかったんですけどね)

高校は地元でも有名な進学校に入ったのに、だから同級生の親は公務員だったり銀行員だったり、学校の先生や1級建築士などなど

とても恥ずかしくて、自分の親の職業なんて言えなかった・・・


今はもう亡くなってしまった両親ですが、本当に言えなかった・・・


思春期の私はどうしてこんな貧乏な家に生まれてしまったの?と神様を恨んだことが何回もありました

よく芸人の貧乏話をテレビ番組やっていますが、あれはほどでもなかったけど、でも家は借家だったし、やっぱり貧乏な家の子供でしたね


それでも、そこそこ勉強はできたので、このまま就職は嫌だと思い、当時学費がかからない国立の看護学校に入って、3年間勉強して看護師になったのです


まあ、それも3年生の時に今の旦那と知り合って結局は卒業して1年後に結婚して岩手に来てしまったんです。

そんな私だから、やる気のある人にはとことんお金を使っても、やる気のない人には1円も出さないって勢いでの子育てでした


それは後悔していません。皆立派に成長してくれたから!!


でも、どうも高学歴、高収入が一番もてはやされているので、そこに人の幸せがあるのではと信じている人も多いのではないでしょうか


絶対違うと強く否定することはできませんが、それが本当に大事なことなのかなーって、思います


学力も大事だけど、社会の中で生活していける協調性や思いやりの心を育てることもすごく大事だと思っています

命の尊さ、自分を大事にできない人は他人を大切になって思えないはずだから・・・

それでも学齢社会なんですかね・・・




おばあちゃん子

2015-06-04 08:54:04 | 日記
私はおばあちゃんと一緒に生活しなかったし、

私が子育てするときも姑は5年しか同居しなかったから、私の子供はどの子もお母さんべったりの子供たちでした

だから、おばあちゃん子っていなかったのですが


たぶん、仙台の娘の子供はもしかしたらおばあちゃん子なのかも知れないなーって

一緒に暮らしてはいないけど、たまに行くと私にべったりで、普段はパパが大好きみたいなのですが

バイバイする時は、娘がいても私から離れず、それでも無理やり離すと大泣きするんですよね

娘が、私が親なんだけど…というくらい


私もそこまでなついてくれると大好きだし、だからこそ、離れる時がつらいし、その余波が何日も心に残ってすごく寂しくなるんです

勿論、長男家族と同居しているのだから、娘たちと一緒に暮らせるわけでもなく、きっとそのうち、泣かないでバイバイってなるとは思いつつ

娘も仕事と家庭の両立で、きっと気持ちに余裕がないから、私が行くと少し息抜きができるのかなーって

そんな感じが心地いいのかもしれないし、たまに行くからいいのであって

これが日常になればまた違う問題もあるような・・・

だから、私がいなくても元気に家族で生活しているのは十分わかっているんだけど


この前も、娘は出勤し、私が歩いて20分くらいかな歌を歌いながら孫2人と一緒に保育園まで送って行き

保母さんにお願いする時に私にしがみついて離れず、泣きそうになりながら離れてきて、アパートに戻る時は泣いていました

勿論そのあとは切なくて、私の中にある母性が騒ぐんですかね・・・


自分の子育ての時はものすごく怖い、厳しい、そのくせ、楽しいこと騒ぐことは大好きで

とにかくにぎやかな家庭だったのですが(今でもですけど)

自分に責任がなくなった、おばちゃんの立場になると、随分ものの見方感じ方って変わるんですよね、当たり前だけど。


こんな気持ちももしかしたら大事な思い出なのかな・・・今はそんな風には思えないくらい、切ないけどね。