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イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

コンサバをたずねて新しきを知る

2006-12-19 00:17:07 | テレビ番組

90年代中盤ぐらいでしょうか。『愛という名のもとに』の最終回が、脚本家のたっての要望とかで拡大枠になった辺りが突破口だったような気が、何となく思い込みでしているのですが、ゴールデンタイムのドラマの初回や最終回が時間拡大されて“特別感”“豪華感”を出そうとしたり、最終回前の週末などに“最終回展望”的な番宣番組を放送して、そこまでのあらすじや名場面を散りばめて視聴者におさらいさせたり、出演者やスタッフの思わせぶりなコメントを挟んであおったりが当たり前になってきていました。

01年初頭、『杏子』がきっかけで、ゴールデンのドラマより昼ドラのほうにシンパシーを持つようになったのは、そういう“付録”や“化粧”がなく、よほどの大ニュースか、祝日に当たった日のスポーツイベでも無い限り淡々と月~金、決まったペースで三ヶ月きっちり放送されるフォーマットに、一種の“揺るぎなさ”“いさぎよさ”を感じたこともあります。

枠だけではなく、内容も昼ドラ独特の世界、空気感があります。ゴールデンのドラマのように、いままさにベストセラー上位を賑わしている小説やコミックが原作であることはないし、旬真っ盛りでTV誌の表紙を飾っているような女優や男の子アイドルも出演しません。トレンド雑誌で話題のお店やアイテムもまず登場せず、舞台背景や置き道具に至るまで、時代設定は現代でも“ちょっと前感”がただよっている。昼ドラに使われたことがきっかけで或るメーカーの或る品番のバッグやTシャツが全国ブームになる、なんてことはまずないでしょう。しかし古臭いとかダサいとかではなく、たとえば「タレントの愛車と言えば」「小劇場の稽古場と言えば」「隠れ家風レストランと言えば」「女優お気にの男性ヘアメイクと言えば」などの“お約束”“社会通念”に忠実な絵づくりとでも言いましょうか。あまりにリアルではなく、最先端のモダンでもないがゆえに、1話26分で局面が毎日変わる超展開の、ちょうどいい背景となり、土台になる。言わば、“ファンタジーなコンサバ”ですね。

『杏子』で垣間見たこの世界、方向感覚や歩き方がもう少しつかめてくるためには、同じ01年、10月クールの『レッド』が必要でした。

(つづく)

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