いくばくかのギャラは発生しているだろうものの、タレントさんではないシロウトさんのことを、いつぞやに続いて二度までここで採り上げるのは若干ためらわれるのですが、言いたくてしかたがないのでさっさとラクになってしまおう。
“皇潤”CMの84歳棒高ジャンパーのおっちゃんは、アレ絶対バーを跳び越すより、棒持って走るのが気持ちよくてやってるね。自分でも「いい気分ですヨー」って言ってるし。越すのが目的だったら、何も棒使わなくても、ゴム跳びの女跳びで越せる高さだもの。
だからあれですよ、極端な話、バーは必要ないんだよ。棒持ってどこまでも走ってられれば。府中競馬場の直線とか。昔、ダービー後の最初の故障から翌年の大阪杯で復帰したトウカイテイオーに、初めて調教騎乗した岡部幸雄騎手(当時)が「いくら追ってもいっぱいにならない、地の果てまで走る感じ」と絶賛していましたが、あの84歳も地の果てまで行けるね。棒持ってればね。
カラ手で走るのはバカバカしいけど、棒でもなんでも一定のフォームで持つと、なんか張り合いが出て気分良く走れる、ってのはなんとなくわかる。「わかる」って言われても迷惑かな。迷惑だろうな。
ところで、走り高跳びはハイジャンプ、走り幅跳びがロングジャンプだから、棒高跳びはスティックジャンプかと思ったら全然違ってポール・ヴォールト(pole vault)って言うんですね。棒=ポールを手で持って、身体を支えて飛び越すという動作は、jumpとは概念がまったく別のところにあるらしい。従ってあの84歳さんも、ジャンパーではなく正確にはヴォールターと呼ぶべきなんですね。末永くお元気で(どんなフォローだ)。
さて先日、5日は19:00~『キングオブコント2008』を録画しながら、台所仕事の傍らラジオで音声だけ先取りしましたが、AリーグトップバッターのTKOがいきなりキモイタい奴ネタでちょっと引いてしまいました。芸能人の誰か→ガッキー→楽器→トロンボーンのくだりだけはちょっと笑ったけど。
ザ・ギース、バナナマン、チョコレートプラネットも『爆笑オンエアバトル』で既出のネタのマイナーチェンジだったし、優勝したバッファロー吾郎にしても、優勝自体には特に異論はありませんが、笑いどころが“市毛良枝”“東ちづる”“竹下景子”“高倉健”など固有名詞の意外性とイメージ喚起力に寄っかかった率が高く、あまりコントとして上質とは言えなかったように思います。これなら彼らのTVブロス“よしもと煮こみ”連載コラムのほうが、ピリッと短い分ずっと面白い。
バナナマンの最終決戦ネタにも同様のことが言え、どうして皆、安易に有名人名、アニメ・映画タイトルなど“ありモノ”が連れて来る可笑しさに頼るのだろうと思う。人名を使うなら先週の『オンバト』でのアルコ&ピース“クマカワ”ぐらいの珍奇さと、発せられた瞬間のみ「え?」と思わせるスマッシュ性がないと。客が知ってそうな、興味ありそうな時事ネタでくすぐる漫才と違い、コントの面白さって一にも二にも状況とストーリー性でしょうに。
いまは無き『笑いの金メダル』以後、ネタをフルで見る機会がしばらくなかったせいか、むしろロバートが全組中いちばん笑えたな。徹底的に意味がないのがよかった。管楽器のチューニングみたいな♪トゥットゥットゥットゥッ~のあのメロディ、かなり無限ループしました。
そんなこんなであまり期待しないで、早送りでいいつもりで深夜録画のほうをチェックしたら、セミファイナリスト芸人100人が決勝ジャッジとしてお揃いの“C”ロゴ入りポロ着て雛段に並んでて、MCダウンタウンにときどきトーク振ってもらったりしてて、これはこれで『オールスター大感謝祭』的な、アタマカズ揃えたことによる豪華さはありました。
ファイナル8組にはそれぞれ“ファイナル進出までの苦節道程と抱負”をまとめたVと「全国区5度目の正直・TKO」といったワンフレーズキャッチが冠せられるなど、かなり漫才におけるM‐1を意識した構成。親分ダウンタウンがMCをつとめていることひとつ取っても、どうしても“吉本主導”臭が拭えませんが、まずは“コントだからできる、コントでなければできない笑い”の何たるかを見せてくれないと。
まだジャッジする審査員も、この組その組とネタを次々見ながら「あぁこんな手もあるか」「こんな方向性もあるか」と気づかされている段階じゃないかな。ほとんど小劇場喜劇に近い、きっちり作り込んだものから、ナンセンス、ギャグ連打ものまで“コント”って本当に幅が広い。優れたコント、いいコント芸人を輩出する虎の穴になるためには、まず5年10年、途中でハズレとか偏向とか叩かれてもいいから、とにかくこの番組が続いて行くことでしょう。