イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

文春ラリアット

2008-10-12 15:29:56 | テレビ番組

本放送・再放送ともに、昼の帯ドラマが先週10日(金)でひと区切りついたので、ここでもひとまとめしようと思っていたら、思いもかけないニュースが飛び込んできました。

三浦和義元社長、移送先のLAで自殺。61歳になっていたんですね。

ヘンな表現ですが、「昭和がまたひとつ終わった」感です。

日本での無罪判決の後は特に“元祖・劇場型”なんて茶化し気味(=一敗地にまみれたマスコミの自嘲気味)に言われていましたが、実際犯した行為、犯したんではないかと疑われる行為自体ではなく、それについてマスコミ媒体・世の中が遠巻きにああだこうだ騒いでいる状況をひっくるめて“事件”“話題”として消費される…という流れを決定付けたのはやはりこの人だったと思う。

三浦逮捕後、平成に年号が替わってから、90年代以降の数々の凶悪犯罪・猟奇異常犯罪は、まあ95年のオウム事件以降TVワイドショーが若干腰引け気味になったけれど、概ね“三浦式”の取り扱い方が定着し、容疑者当人もそう扱われることを意識して動くのが当たり前になった。報道に接する一般視聴者・新聞雑誌読者も、「腹立たしい」につけ「いけ好かない」につけ「イッちゃってるわ」につけ、“三浦に対したように”媒体上を眺めてチェックして所感を持つというのが通例に。

それがいいとか悪いとか、進んでるとか遅れてるとか、低俗だとか愚かだとか言っていてももう始まらない。

いまやTVなど放送媒体、週刊誌一般紙スポーツ紙などの紙媒体を飛び越えて、ネットという化け物が急成長、媒体の動きすら完全に“客体”化しました。三浦元社長が週刊誌やTVを手玉に取って転がして、注目を集めてさぞかし絶好調だったろう時期は確かにありましたが、平成20年の現在は既存媒体の転がされっぷり、“三浦の末裔”気取りの卑しい愉快犯たちの転がしっぷりがネットでさらに弄ばれ、そのネットをさらに既存媒体が「ネットでこんなに話題ですよ」と追いかけ持て囃すという、何やら自分の尻尾を食ってノド詰まりしてる蛇、みたいなことになっています。

そんな中、三浦元社長はみずからの生を絶ちました。

例によって弁護士使ってのらくら5年も6年も言い抜ける手もあったでしょうが何だかんだで61歳、転がし転がされ、弄び弄ばれることに疲れたのか、空しくなったのか。かの地の警察発表によれば、身柄拘束後も特段の変調はなく自殺の予兆もなかったそうですが、これまでの数々の大芝居小芝居、誇張演技とセルフ演出で塗り固めた61年の人生は長ーい“躁状態”で、人生初の“鬱期”に昨日突入、「何やってるんだオレ」と高速落下した瞬間が、たまたま看守巡回の谷間だったのかもしれない。

LA警察が予定していた立件もたぶん被疑者死亡で処理されてしまうとなると、被害者・一美さんのご遺族にとってはなんとも無念なことでしょうが、ある意味、人間社会のある部分の一時代を画し、その落日と終焉を見た一生だと言ってもいい。

死んじゃった人のことをあんまり言うのもなんだけど、防犯カメラに歴然と万引き撮られてても「やってない」で押し通した人ですからね。あちらで逸見政孝さんらかつてのキャスターたちに会ったら、「やあやあその節はどうも、今度こそ本当のことをお話ししますよ」とまた身振り手振りに泣き入れて、あること無いこと喋り倒してそうだな。

媒体越しには、この人にまつわる記憶はずいぶんいろいろある。何年の何月頃、逮捕に先立つことどの程度前だったかは忘れましたが、『笑っていいとも』テレフォンショッキングでは松任谷由実さんが「こないだ(某所で)三浦和義さん、いたんですよー」とハイテンションで報告、サッカーの三浦カズも同姓同音のよしみで「一度会いたいと思ってるんですけどね」と言っていました。もちろんJリーグなどまだ影もカタチもない頃。

タモリさんなど「TVに出して“一美さん殺してたら黒いスイッチ、殺してなかったら白いスイッチ、ハイ押して!”ってやったら、意外と本当のこと言うかもしれない…言うか!」と自分でツッコんでたこともあった。

『オレたちひょうきん族』のひょうきんプロレスで“フルハム三浦”に扮した景山民夫さんはその後直木賞作家になりましたが自宅で謎の出火事故死。“ジミー江古田”の島田紳助さんは暴行事件で一時“島田司会者”に。実況席の“ミヤタ・テルアビブ”こと古館伊知郎さんは報ステで毎日気障なジャケット着て「ワタシたち庶民の暮らしは…」言ってるし、解説のジャマモト・コテツことビートたけしさんはいまや芸大教授、世界のキタノ監督。

トミー・リー・ジョーンズの缶コーヒーCMじゃありませんが、“このろくでもない”“すばらしくもない”世界、とつい呟いてしまいます。訃報に接してここで幾許の記憶を辿らせていただいた有名知名人のかたには必ず「どうぞ天国で安らかに」的な言葉を一応添えるのですが、この元社長ばっかりは、「お好きなとこ行ってお好きなように」としか送り出せませんな。とりあえず嘘偽り・演技の壁塗り上塗りと、常に人に見られ興味持たれてないと落ち着かなげな“自意識の桎梏”からは自由になった、それだけは良かったねと申し上げておきましょう。

コメント (2)
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