『侍戦隊シンケンジャー』のメイン脚本を今年つとめる小林靖子さんは、特撮ドラマ、アニメ界ではファンが多く評価も高い脚本家さんのひとりです。2000年の『未来戦隊タイムレンジャー』、03~04年の実写版『美少女戦士セーラームーン』あたりは、ファンと言うより“信者”と言ったほうがいいくらいの熱心な愛好者が、月河の周囲の、おもに大きなお友達にかなり存在します。
『シンケンジャー』は小林さんが久しぶりにメイン参戦するスーパー戦隊ということで放送前から期待が盛り上がっていました。もちろん月河も期待を寄せている大きなお友達のひとりです。06年の『轟轟戦隊ボウケンジャー』でも全49話のうち10話ほどが小林さん脚本でしたが、あくまでチームのサブライターの一人としての参加だったので、小林節(ぶし)全開とはいかなかったですからね。
まぁそれでも信者というほどの熱心なファンではないし、さほどたくさんのタイトルを完視聴しているわけでもないのでおこがましいのですが、小林さんの書くホン・キャラの魅力、無理矢理ひと言で言うなら“痩せ我慢的美意識と義侠心”にあるように思います。
家族や、愛する恋人のためならどんな凡人匹夫でも自分の一命を賭して守りたいと思うはず。しかし、見ず知らずのあかの他人、客観的に守る価値があるのかと疑うような卑しい人間、時には犯罪者や憎い敵のためにでも、進んで己を危険にさらし戦わなければならないのが物語のヒーローであり、そういうヒーローを描くのが特撮の世界です。
小林さんの脚本は、そうした、ヒーローが背負った“割りの合わなさ”“具体性のないもの(倫理、美意識など)への義理立て”、もっと言えば“痛いカッコよさ”を、人物や、お話全体の魅力に変換するのが実にうまい。
今作『シンケン』も殿=丈瑠(松坂桃李さん)のクールでストイックな佇まいに時おり垣間見せる不器用な感情表出や、千明(鈴木勝吾さん)の、義理堅いくせに規則や権威には反骨的で、ラクして楽しいことが大好きなのに自分に厳しく負けず嫌いというアンビヴァレンツなキャラクターに、早くも小林さんの筆になるヒーローものらしさが開花してきています。
ドラマやお芝居の脚本であれ、小説や漫画であれ、フィクション作品創作を生業とする人には、基本的に性差はないと月河は思っています。日本には“女流”という言葉があり、“女性にしか書けない言葉”“女性ならでは描けない世界”なるものを異様に珍重し称揚する一部の男性評論家や男性中心媒体もいまだに存在しますが、それは男性が幻想妄想好きだからです。
虚構を書くとき、人間はつねに同時に男であり、女でもある。大人でもあるし、子供でもある。
取材の段階で、男では入りにくく情報収集しにくい分野があり、その逆もあることは事実だし、世に発表する段階で、著者が男名前では商業的にむずかしい種類の作品もあることは確かです。しかし“女(or男)であること”単体理由で「だからこそ書けた」なんてフィクション作品はこの世に存在しません。『源氏物語』が一千年を経ても高校で習う古典たり得、諸外国にも最古の長編小説としてリスペクトされているのは作者が女性だったからではなく、時空を超える級の才能があったからです。
8日放送の第四幕、シンケンジャーになるため家族や過去を捨てて参集したものの、ここへ来て歌舞伎役者時代が懐かしくなりホームシック気味の流ノ介(相葉弘樹さん)に茉子(高梨臨さん)が「自分がヘコんでるとき逆の行動(=人の悩みを聞き出し世話を焼きたがる)に出るヤツ、居るよねぇ」と看破し、「自分が情けない!思い切り殴ってくれ!」と迫られて「そういう弱ってるヤツ、ダメなのよ…んもう、馬鹿ぁ!助けたくなっちゃうじゃなぁい!」と抱きしめてしまうラブコメチックな場面は、月河としては、“女性脚本家だから”ああなったのではなく、小林靖子さんという優秀な脚本家の、内なる女性の部分が“このときたまたま”表出したから生まれたのだと解釈しています。特に“自分が凹むと人の悩みコンシャスになる”という部分は、TVの前の小さなお友達はキョトーンで、むしろ朝ご飯の支度の傍ら背中で聞いているママさんたちがいちばん「あるある」気分だったのではないかな。
月河はここより、野球少年宅に徹夜で張り込んだ2人が、明け方明らかに茉子持参なピンクの毛布にくるまって、プチ家出のバカップルみたいになってるところがいたく気に入りました。“いかにもラブコメ”“いかにもジュニア小説ワールド”を余裕かまして記号化できる、こちらのほうが小林さんの本領に近い。「(シンケンジャーになるため)夢を捨てたって言っても、あきらめたわけじゃないから」「夢は捨てても、あとでまた拾う」との茉子の台詞もさることながら、大オチ間際のタイミングで流ノ介に「大切なものを捨てるのは、私たちだけで十分だ」と茉子デレ~なお笑いノリで言わせてしまう辺りが、月河が小林脚本を愛する所以です。この台詞をオチ前に使って、笑いにつなげるって、ヒーローもの作家として凡庸な書き手にはまずできませんよ。シリアスで重い、痛いことほど、軽く、ふざけて表現するほうが胸に迫る。もちろん流ノ介を演じる相葉さんの、稀有な表現力あってこそ成立したのですけれど。
このブログで再三書いているように、月河はドラマや映画を見ていて「この俳優さん、いい」「見どころがある」と思うと、速攻「昼ドラか特撮に出てくれないだろうか」と思ってしまう悪いクセがあるのですが、もう何年も前から、小林靖子さんが昼ドラ脚本を書いてくれないだろうかと考えているのです。
男女の恋愛関係のもつれや、血縁因縁にまつわるドロドロ劇は小林さん、まったく興味がないでしょうが、昼ドラの固定ファン、固定ウォッチャーの中に、たとえば06年の『美しい罠』のような、“痩せ我慢萌え”志向は確実に存在する。枠として話数も十分あるし、ゴールデンの実写ドラマほど、こう言ってはなんですが数字のハードルがアホみたくは高くありません。
小林さんの資質が活きる企画、いつか誰か立ててくれないものでしょうか。