先週土曜(14日)の夜、帰宅後の後片付けをしながら背中で聞いていた高齢家族視聴中の居間のTVから、♪わらぁてぃ ゆるしてぃぃ~ と和田アキ子さんの『笑って許して』が聞こえてきて、和田さんの唱法だけど声がなんか違う、ものまね番組?と思って画面を見たら、NHK『のど自慢チャンピオン大会』でした。
チラ見ながら見基調の視聴だったけど、いやぁ、当節の“のど自慢”、なんだか大変なことになっているんですね。歌のうまさ自慢と言うより、“温かく愛情溢れる家族自慢”“楽しく明るいご近所自慢”“前向きフレンドリーな職場自慢”の様相。各出場者の地元・ご自宅までロケに行って、BGMまで乗せて紹介VTR作って、要するに“人間関係力自慢”大会なんですな。うぁー気持ち悪い。地方在住の名もなき華もなきシロウトが、歌だけクロウトはだしにうまくても、それだけじゃTVの番組にはならないらしいです。
テレビ小説『だんだん』で音楽事務所スカウト時代の石橋くん(山口翔悟さん)が、プロ歌手にと誘われて渋るめぐみ(三倉…えーと、またわかんなくなってきた、だからその、ほら…茉奈さん)を口説くのに「キミは歌の力を信じてないね」と言っていましたが、当節、オリンピックやW杯といった観戦コンテンツとしてのスポーツ同様、“萌え”も“美談”も“おもしろ”も含まない“歌単体”じゃ如何ともしがたいのだよということを、当のNHKがゲロっちゃった、の図でした。
それもむべなるかな。『のど自慢』という体裁の修飾をほどこしつつ、訴えたいことは別にあるのですから。
マスメディア、特にNHKのTVやラジオといった“公共性”を標榜する媒体が、“家族”と“地域社会”(←“ふるさと”と読み換え、書き換えられることが多い)を強調し賛美するようなコンテンツソフトを流し始めたらとにかく要注意です。
どんな時代のどんな国にも、統治する側と、される側とが存在する。現代は封建主義の時代ではありませんから、統治する側も、される側の意思(=選挙での投票)に拠らないと、統治する立場に居続けることはできないことになっていますが、だからこそいっそう統治の方法論として最もベーシックかつ強力に援用されるのが“家族”と“地域社会”、つまりは“地縁血縁”による足枷です。
人間が、現行統治体制に反抗背反する行動をしないように縛る拘束具もしくは方向指示具、矯正管理ツールとして、“家族”と“地域社会”ぐらい手っ取り早く効率の良いものはありません。「お上の言うことを聞き、社会規範を踏み外さないように」一生を送らせる、何より納税をスムーズかつ遅滞なく履行させるために、「反社会的な行動をしたら、顔向けがならない」存在を、統治する側は是が非でも恒久的に、かつ安上がりに確保し、社会のいたるところに草の根的に張りめぐらせておきたい。
統治される人間が、個人の欲求や志向願望のおもむくままに、就学したりしなかったり、就職したりしなかったり、結婚したりしなかったりを自由気ままに選択し謳歌することを、統治する側は何よりも嫌います。「自分ひとり糊口をしのぎ雨露しのげて、好きなところで好きなことをやって人生を全うできればいい」と思い、その通りに生きる人ばかりになったら、次世代に社会性を仕込む教育も、引退世代の介護もタダで引き受けてくれる“家族”や、これまたタダで防犯自警機能を請け負ってくれる“ご近所さん”という、タダのセーフティネットが衰退するので、社会保障費や警察司法にべらぼうな財政支出が必要になってくるばかりでなく、何より怖ろしいことに、おお、税収が激減するのです。統治者が最も憎み恐怖するのはこれなのです。
統治者は被統治者に、何が何でも“家族”を持ち、“家族”の幸福のために定職に就いてこつこつ働き、安定継続的に税金・年金を天引かれもしくは申告納税してもらわなければならない。なおかつできれば“ご近所”“地元”に執着して、地場産業を盛り立て地元選出の議員に公共事業を振り分けられて有難がり、親代々の近隣住民同士、ニート予備軍の不登校息子や、子供を産まないパラサイトお引きずり娘を出さないようニコニコ微笑んで挨拶交わしながら目を光らせていてもらいたい。
TV番組を使った「家族がいるって幸せだね」「ふるさとっていいね」という称揚はそのための格好の間接的ピンポイントメッセージなのです。
TVから“家族万歳”“ふるさと最高”が匂い始めたら、マユにツバをいくらつけて観てもつけ過ぎということはない。少子高齢化で政府がいやが上にも税収の先行きにナーバスになっているいまだからこそ、マスメディアを使った統治者側からのソフト洗脳は先鋭化の度を研ぎ澄ましてきているはずです。
家族、ふるさと、ともに、あればあったでとてもいいものです。家族の幸せを一に願い、家族の笑顔を心の糧に日々の仕事に励む人生、故郷を愛し故郷の繁栄に尽くし、あるいは離れた故郷へ“錦を飾る”誉れを夢みて勉学や出世競争にいそしむ人生も、それはとても結構なことではありますが、個人レベルでは“そうでなければならない”“そうでないと惨め”“そうでないと恥ずかしい”ものではまったくありません。
「そうでなければならない」とハラにチカラ入れてリキんでいるのは、統治する側、社会を運営し管理する側の論理です。
公共を自称し受信料を徴収して恥じない放送局が製作放送する『のど自慢』、視聴率は20パーセントを超えたそうです。
くわばらくわばら。いつの時代も、用心していないと統治する側の論理にまるめ込まれて、彼らが勧奨し押し付けてくる生き方を「幸せ」と思い込まされて一生終わるはめになります。