震災のため、ラスト2週12話分の地上波放送が一週延びた『てっぱん』も本日をもって完。昨日富司純子さんの『あさイチ』プレミアムトークゲストインでVTR紹介されていたように、撮影自体は2月18日に無事クランクアップ・打ち上げ解散していたので、3月21日の再開時に、ドラマ本編前に放送された、キャストから被災地への激励VTRメッセージ収録のために再度集合することになった以外は、震災によるイレギュラーも支障もなく完パケできた模様です。
長丁場多話数の連続帯ドラのつねで、全篇を通して高完成度とはお世辞にも言えず、途中何度も弛んだり、どうでもいいところに話が低回したりはしましたが、一貫して“元気系”を通し、家族愛・隣人愛を軸に人と人とのつながり、良きお節介焼きぶりをとことん称揚し抜いて明朗快活にまとめた、NHK朝ドラのスタンダードとして褒めてあげていい好作だったと思います。
配役面でも、“この人が出てくると台無し”みたいなお荷物キャストもなく、達者なベテランさんはベテランなり、演技歴の浅い、初々しい人は初々しいなりに、劇中での輝きはありました。大阪放送局製作の朝ドラによく見られる、舞台人、喜劇人系の、アクの強過ぎる人が起用されなかったのもプラスだった。
何より、突慳貪で強情なベッチャーばあちゃんを演じていてもどこかおっとり品があって、観る者をギスギスすさんだ気分にさせない富司純子さんの輝きは全篇を照らしました。孫娘役ヒロインが決まる前に「とにかく何をさておいても富司さんに祖母役を」「孫とダブルヒロイン物語で」との企画だっただけのことはある。意外と早めにあかり(瀧本美織さん)と歩み寄り、普通に孫思いのお祖母ちゃんになってしまったのは少々拍子抜けしましたが、ひとり娘・千春(木南晴夏さん)との衝突→家出から心を閉ざし人と打ち解けることなく肩肘張って生きてきた初音さんが、あかりちゃんの素直な熱っつさに触れて、徐々に柔らかくなり、もともと持っていた情の深さや良い意味での義理堅さ、軽妙な機転や人を思いやる優しさが開花していく過程は、富司さんの表現力なればこそだと思う。
もちろんその熱源・光源たるあかり役の瀧本さんの、オーディション勝ち抜き新人さんにありがちな、見ていて疲れる生硬さや、未熟ゆえのこねくり回したクセがまったく無い、直球で健康さあふれる演技も褒めねばなりますまいぞ。一歩間違えれば「こんな暑くるしい、元気押し売りみたいなのヤだ、毎朝見たくない」と、特に月河みたいなヒネた視聴者にはネガキャンになりかねないキャラをよくぞもたせた。“素直”はすべてを圧倒する、とでも言いましょうか。瀧本さん現在19歳、今年あかりちゃんと一緒の満20歳。おかしな言い方だけど、このまま、あんまり、無駄に演技力向上したりしないでほしいくらいですね。いや、いろんな作品のいろんな役でご活躍してほしいことはほしいけれど。
ドラマとしては、あかりと初音お祖母ちゃんとの出会いと葛藤、衝突と理解を通じての互いの成長が一段落してからはテンションも一段落どころか十段落ぐらいしてしまったことは否めない。特に駅伝くん=滝沢さん(長田成哉さん)とのほのかな恋愛は、まぁ登場人物の中でいちばん年齢が近くともに発展途上人同士、可愛い子ちゃんとイケメンの取り合わせということでお似合いでなくもなかったけれど、あかりが滝沢をとれば普通の、スポーツ選手の糠味噌世話女房にならざるを得ず、トランペットとお好み焼き店、いままで夢を抱き努力してきたことがすべて“嫁入りまでの腰掛け”化してしまうのが視聴者にもわかるので、「がんばれ」「くっつけ」「幸せになれ」と応援する気はしませんでした。
途中からいきなり浜勝かつお武士社長(趙珉和さん)があかりラブモードに入って滝沢を仮想敵視し出したのも無理筋なら、まだしも“音楽と食”という接点はあったこちらを「駅伝に負けるな」「攻めろ、押せ」と応援したくなる流れにもならず、とにかくひと言で言えば“恋愛偏差値むちゃくちゃ低いドラマ”でした。若い世代の現在進行形、親世代の回想話を問わず、叙述が色恋に触れるたびにスベってましたから。これも、清潔を旨とするNHK朝ドラとしてはスタンダードか。
終盤にかなり唐突に割り込んだ小早川のぞみさん(京野ことみさん)のキャラ立てや扱いもいまいち、いま2、いま200ぐらいでした。初音&あかりと周りの人々、尾道のあかり養い親一家に、“もうひと組の千春&あかり”=父のない子を身ごもったシングルマザーを投入することで、命・親子愛・家族愛、人の人への情という一貫テーマを、別角度から照らし出す狙いだったのでしょうけれど、母子家庭育ち、男社会競争社会の業界で、初音さんとも、千春さんとも、もちろんあかりちゃんとも違う、リキんだ生き方で突っ張ってきた、よくいる都会のキャリア女性のぞみさん、あそこまでトゲトゲ可愛げない挙措に描かなくてもね。鰹節職人神田さん(赤井英和さん)が実の娘同様に思っているという設定も、都合よく出てきたり後退したりし過ぎ。“必要以上にかわいそがられるキャラにしない”という演出上、京野さんの役づくり上の工夫だったのかもしれませんが、ご都合とは言え2人の男性から言い寄られるのだから、もうちょっと女として愛嬌があってもよかった。
最終盤、いちばん盛り上げたいところにきて震災→放送中断という洒落にならないハザードが挟まったのが最大の危機と言えば危機でしたが、ここで先の記事でも書いた様に“連続ドラマを連続して視聴できる人生”の幸せを、期せずして気づかせてくれた節目の朝ドラともなりました。
災厄を乗り越え、今日より確実に明るい明日を、来週を、数ヵ月後を希望してやまぬ日本人の精神の強靭さも“鉄板”でありますように………うん、このブログも今日は珍しくきれいにまとまりました。