『霧に棲む悪魔』放送開始前、いちばん注目していた羽岡佳さんの音楽、いままでのところ着物の半襟のように出過ぎず引き過ぎず、いいバランスで来ているように思います。あくまで着物=ドラマ本編より目立ってがちゃがちゃ邪魔せず、さりとてあるのかないのかわからないほど影が薄くなることもなく、先週=放送第3週ぐらいから、軽快なコミカル含みの、あるいはホームドラマ的にゆったりと暖色なアレンジヴァージョンも増えてきました。
ただ欲を言えば、もう少し、いい意味での新奇さがあってもいい気がする。ときどき、このドラマと同スタッフの同枠ドラマで、ほぼ毎年、連続5作担当してきた岩本正樹さんの音楽と、色合いが混じることがあるのです。
帯ドラマ、特に昼の帯の音楽って、そんなに斬新でおサレである必要はない。基本的にはオールドファッションドで「どっかで昔にも聴いたような」感じでいいと思う。そのほうが安心して、物語の連綿たる流れに連綿と流されることができる。アクセントとしていままでと違うアレンジや、違う挿入・かぶせ方のタイミングがたまーに使われるのは、物語に起伏をつける上で好ましいのですが、昨日なかった、一昨日もなかった、先週も先々週もなかった、“いま生まれて初めて聴く”突飛な感覚が毎度毎度飛び込んでくると、もう帯ドラマではなくなってしまうのです。
それにしても、今作は、あえて同スタッフで“いままでになかった新しい昼ドラを”との前宣伝で始まったのだから、もうちょっと大胆な“羽岡カラー”を出してもいいような。監督からの「こんな人物像、こんなシチュ、場面に合う、こんな曲想を」とのオーダーも多少なりともあるのでしょうが、2月のNHKドラマスペシャル『風をあつめて』の羽岡さんの“昼帯への解釈”が、意外とマルチでなくモノなのかもしれない。結構、幅があるし、いろんなことができる、いろんな味がしていいジャンルなんですけどね、昼帯ドラマ音楽。
今月25日にサウンドトラックCDリリース予定ですが、是が非でも買わずにいられない展開を今後に期待です。
ドラマ本体のほうは、“何か起きそう、起きそう”の水面下テンションを続けながら、実際、現在時制で起こったのはチーズ異物混入事件と圭以(入山法子さん)御田園(戸次重幸さん)の挙式程度。“地の文”は過去に起きたこと、起きたことのウラ、誰がどんなハラでいるか等をちらつかせてはまた隠すのみ。
ただ、何かわかる、何かが水面から顔を出すたび、結果的には御田園の利に、思惑通りになっているのは注目すべき。白い女(入山さん二役)からフルネーム名指しで“悪魔”と書かれた圭以宛ての手紙、その白い女の正体判明によって圭以も晴香(京野ことみさん)も御田園への懸念を晴らし、異物混入事件にしても、マスコミやネットの攻撃から守ってくれた彼を、圭以が「立派な人」と結婚の意志を固める動機になっています。
圭以の父が生前御田園と取り交わしたという結婚の条件に関する覚書に代理人影山弁護士(大沢樹生さん)が異議を提示、御田園みずからが「ボクはそんなことにはこだわらないよ」「代理人同士の行き違いにすぎない」と異議を却下する顛末も、結局は圭以が「ちょっとでもアナタを疑った自分が恥ずかしい」と『走れメロス』みたいになって着地しています。
いまのところ、御田園が白い女の名指しの通り“悪魔”であるかないかは別にして、彼の望んだ方向にほぼ状況は進んでいます。
ただそれにしては、御田園の表情がいつもいまひとつ得心が行かなげで、満面の笑みでいい場面でも何か演技の笑顔っぽく、溜飲が下がってないというか、ぶっちゃけ何かにひそかに怯えてそうなのが気になるところ。御田園の利になるように、影山とそのパトロンでもあるレストランオーナー依子(中田喜子さん)が糸を引いていて、それも御田園本人と打ち合わせてやっていることとそうでないこととがある様子。当面は御田園を台風の目にして物語は回っていくでしょう。
圭以が結婚の意志を固め自分を遠ざけたと悟っていったん退場した弓月(姜暢雄さん)はヒロインの相手役としてのみならず、語り手、目撃者としてもまだほとんど機能していませんが、彼を挫折した元・バレエダンサーに設定したことの意味はこの先どこかで出てくるのかどうか。圭以の亡母・稀世がハープ奏者で、御田園が挫折したチェリスト志願者だったこと等と、何か接点はできるのか。人物の前身、前キャリア、特技などの設定って、物語に非常に重きをなす場合と、設定だけで放置され忘れ去られる場合とありますがね。
ひとつ言えると思うのは、放送前、媒体で“主役デビュー公演で負傷しダンサー生命を断たれた北川弓月”という設定を読んだとき、高所からの転落とか、緞帳に挟まれるとか、ライト等天井の吊るし物が落ちてきて的な、舞台につきもののアクシデントでの負傷かと思ったら、見せ場のジャンプで着地も決まって、次の動作へというとき「うッ!」と足首の異常に気づくという、言わば疲労骨折の描写だったのは少し意外でした。開幕直前も共演者ともクチをきかずストレッチに励むなど、弓月のキャラには“黙々と、ためてためて”という粘着気質が垣間見られる。ダンサーを目指すについて、大学進学と就職を勧める両親と口論し絶縁に至る場面もちょっとあったし、バレエダンサーって普通は幼稚園かそこらから習い始めて、身体が決まってくる思春期前後に、プロの道で通用するかどうかも決まるものなのに、弓月はかなり遅い入門で、同僚の何倍も何十倍も稽古して稽古してやっと這い上がった主役作品だったのでしょう。
弓月のこの晩熟性、粘着性は長丁場多話数の帯ドラマ“謎暴き役”として向いているかもわからない。茨の道だったはずのダンサー生活の中での友人関係、とりわけ、皆無だったはずはない女友達についていっさい触れられない、カスミでも食って生きていたかのような生活感の希薄さも、どこかで活きてくると信じましょう。