イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

味噌をつける

2013-11-10 01:39:00 | 再放送ドラマ

 『ちりとてちん』の再放送がBSプレミアム715~の枠で先月から始まっているということは、4月から再放送されてきた『純情きらり』が終了したということで、遅きに失し過ぎですが一言いっとかなきゃいけませんな。本放送から7年も経っている作品にナンですがまーーーすがすがしいまでに尻すぼみなドラマでした。 

尻すぼみor右肩下がりというより焦点ボケ作とでも言ったほうが当たっているかな。あるいは羊頭狗肉。とにかく、音楽大好き少女(宮﨑あおいさん)の音楽苦学と開眼出世を前輪、味噌屋跡取り息子(福士誠治さん)との恋から発した女将(おかみ)業での成長を後輪に進んで行く物語として提示されたはずなのに、東京の下宿マロニエ荘が主舞台になった辺りから、音楽の話なんだか絵描きの話なんだか、めっきりわからなくなってきました。作中、音楽関係者に比して、絵描き仲間とその関連人物の数が多すぎ、出番も多すぎ、キャラも濃すぎる。これは脚本というより、明らかに物語世界の“設計ミス”です。

 

音楽学校入試1回目を、通りすがりのジャズサックス演奏に聞き入って遅刻して失敗とか、西園寺教授(長谷川初範さん)のピアノ教室にかよって来年を目指すものの高慢な金満令嬢に「貧乏人は音楽家にはなれないわ」とバッサリいかれたり、西園寺先生の即興演奏曲を「同じように弾いてみなさい」と言われて、るり子は「楽譜をいただけませんか」、達彦は「もう一度弾いていただければ」、桜子は速攻耳コピ、なんてところのくだりは、少女漫画的なベタの勢いがあってなかなか良かったのですけれどね。いつかお上品エリートピアニストになった令嬢岩見沢るり子(とっても嵌まった初音映莉子さん)を、スキルとともにジャズ魂もきわめた桜子が、才気煥発なアドリブ演奏でぎゃふんと言わせるようなリベンジ場面が来ると思ったのに、マロニエ荘と岡崎を行ったり来たりしているうちにるり子さんの存在などどこにも無くなってしまいました。

 

 味噌屋パートも、八丁赤味噌の沿革や由来、特有の製法や料理法を織り込んだエピソードがもっともっと出ると思ったのに、戦争たけなわの統制価格対策の逸話程度で、ベテラン俳優さんを揃えたわりにはなんだかふわふわしたまま、傾くでも潰れるでもなく操業が続きましたねえという感じ。

 

長丁場で話数の多い帯ドラマにありがちな、“走っているうちにゴールを見失った”典型例。第1話初っ端の、“味噌桶に落ちてしまうおてんば娘”、第2週冒頭の“新歓コーラス伴奏を即興ジャズアレンジで弾いて会場をノリノリにさせる女学生”という“羊頭”を、出したはいいけれどその後のメインストーリーにさっぱり活かせませんでした。実際、本題に入ってからの桜子はお転婆というより、無駄に人に気ぃ遣いで世話焼きたがりで、見守るほどにどうにも痛快さのない、ストレスのたまるキャラに堕しました。

 

そして焦点ボケの最大の原因は、マロニエ荘篇から参入してくる画家・杉冬吾(西島秀俊さん)という人物の、物語に占める比重がむやみに大きくなり過ぎたことでしょうね。これは言い切ってもいいと思う。ヒロインの心理に寄り添って視聴していると、音楽よりピアノより、味噌屋女将業より、なんともはや達彦より、トウゴさんに心を寄せている時間がいちばん長く、温度も高く、振幅も大きい。ヒロインが何を望んで、そのために何をどうするドラマだったかがさっぱりわからなくなったのは、大半、冬吾のせいです。

 

冬吾は東京でヒロインにダンスホールなど自由な表現の世界を啓蒙し、岡崎に現れては質実剛健な長姉(寺島しのぶさん)を奔放な言動で当惑させ立腹させ、のちに魅了する、現実離れしたキラキラした男性として、短期間存在感を強烈に放射して、さっと物語フロントから退くべきでした。

 

ヒロイン実父(三浦友和さん)が早期に事故死してしまったので、“ヒロインにとってのお父さんキャラ”をこの冬吾が担うのかと思っていたら、そうもなりませんでしたね。NHK朝ドラについてここで書くたびに何度も強調しているように、ヒロイン中心の天動説ワールドである朝ドラでは、ヒロインの物語の根っこに“親たちの物語”が骨太く据わっていないと話に心棒が無くなります。数字は別として高評価だった朝ドラ作品は、例外なく親たちのキャラに精彩があり、親たちの出自やクロニクルが陰にも陽にもヒロインの造形にしっかり寄与して、結果、ヒロインも精彩を持って動き、力のある物語を紡ぎ出しました。

  『純きら』は両親の物語を通り一遍の回想映像大恋愛結婚のみで済ませ、どんな人となりだったのか曖昧なまま母親(竹下景子さん)はドラマスタートからいきなり故人でナレーションにおさまっており、父親(三浦友和さん)は“娘を可愛がっている”以外何のキャラ立ちも発揮しないまま、“ヒロインと姉弟たちを経済的苦境におく”ことだけがドラマ上の役割だったかのように、あっさり事故死退場。親及び親世代の大人たちの現実的な重石が無いと、若いヒロインがどんなにきゃっきゃと躍動しても、すればするほど物語が薄っぺらくなってしまう。

 

ヒロイン相手役達彦のお父さん(村田雄浩さん)までが念の入ったことに早期に急死で、他方、ヒロインから見て“異性として意識できる”年代の男性人物が必要以上に多く、この辺も物語世界の設計ミス。結果、ヒロインが“うじうじなのに四六時恋愛体質”というヘンなキャラに見えてしまいました。

 

冬吾に関していえばこのドラマの原案本は文豪・太宰治の次女である津島佑子さんの、母方の一族をモデルにした小説で、冬吾のモデルは他ならぬ太宰その人ですから、扱いを軽くするわけにもいかず、結局、脚色が難儀過ぎて手に余ったということなのかもしれません。演じた西島さんはその場その場を無難にやりきっており、初期には桜子の頑固カミナリ祖父(もったいなかった八名信夫さん)に「あんた何かに似ていると思ったら、なまはげだぁ」と懐かしそうに歩み寄ったり、ツンデレ長姉・笛子さんとの婚約発表に、要らない接吻宣言をぶちかまして一同をドン引きさせたりなど浮世離れ系のコメディリリーフらしき場面もあって、あの路線のまま短話数で完全燃焼してくれれば・・と返す返すも惜しまれます。

 

味噌桶転落、次いでジャズ風ピアノで始まったのだから、最終話も、なんなら味噌桶の前で桜子がジャズ演奏をしながらこと切れて終了にしても良かったと思うのです。確かに無理やりかもしれませんが、首尾一貫感が出るでしょうに。いつの間にか代用教員で子供たちに音楽を教えることがライフワークになり、最後はなんと、病気をおして子供を産むのに命をかける話になってしまいました。何でこうなった。いつからこうなった。

 

長尺の連続帯ドラマ、せめてファーストシーンからラストシーンを透かし見ることができ、ラストシーンからファーストシーンを懐かしく振り返ってしっくり辻褄が合うような作りだけは心がけてほしいものです。でないと“連続して視聴する”甲斐がないではありませんか。 

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