次クール6月30日(月)~の昼ドラ『白と黒』が、“対照的な性格のふたりの兄弟の狭間で愛を見つめるヒロイン”の物語ということで、確か似た基本構造のお話を以前幾つかは読んでいるはずだと思い、めっきり衰え気味の記憶力をどうにかこうにかたどって最初に思い出したジョルジュ・サンド『愛の妖精』を、先日から(たぶん)30数年ぶりに再読しています。
すると、あら不思議。初読で印象の強かった“不器量な容姿と男まさりの言葉遣いで‘こおろぎ’‘鬼火っ子’と村人から毛嫌いされる痩せっぽちの精霊のような少女”ファデットより、彼女がふとしたきっかけで接点を持つようになる富農の双子息子の性格のほうが、特に前半、実に丁寧に、肌理細かく描出してあるんですね。
生まれつき体格も容貌も瓜ふたつで、仲良しの男の子ふたりが、それでも少しずつ気質や志向に違いが出てきて、そのために徐々に関係に変化が生じる様子、少年になってふたりのうちどちらかを他家に奉公させるにあたり、父親はより勇敢でたくましく積極的な弟を送り出して、心根の優しくおとなしい兄を親元に残すことにするのですが、それがまた多感な成長期と重なって、微妙な軋みが生まれ、拡大し波紋を広げていくさまが、取って付けたようにではなく、人物の内面的成長遍歴に沿って自然に描かれている。
著者サンドと言えば歴史や文学史の教科書でもロマン主義文学の代表選手として必ず名前の挙がる作家で、若くして結婚・破綻・別居ときて生涯恋愛と別離を繰り返した、看板通りの情熱の女性ですが、人が人として持つあたたかい心情や、家族・異性に寄せる思いの波動、揺らめきに繊細な感覚と表現力を持っていたことがよくわかる。
とりわけ、双子を取り上げた村のベテランお産婆さんが“双子ってのは離れ離れでは生きていけないそうじゃないか”と案じる父親に「双子がお互いに相手をわかるようになったらすぐ、いつもいっしょにしておかないように気をつけなさい」「片方に留守居をさせてもう一方を野良へ連れ出しなさい」「叱るにしても、おしおきをするにしても、ふたりいっしょにしてはいけないよ。同じなりをさせてもいけない。…つまり、思いつくだけの手をつかって、ふたりがたがいに相手と自分をごっちゃにしたり、相手がいないと気がすまなくなったりしないようにすることだよ。」と、豊富な経験と愛情に裏打ちされた懇切な助言をしているのが興味深い。
次クールのドラマ情報で思い出して再読を始めた小説ですが、意外にも、むしろいま放送中の『花衣夢衣』双子ヒロインたちを想起させずにおかない内容だったのに驚いています。真帆と澪姉妹も、この産婆さんの知恵通りに育てられていれば、たぶん十中八九いまTVで月~金繰り広げられている泥沼はなかったでしょう。
と言うより、“人が見ると取り違えるくらい見分けがつかず、自我が確立する青年期に入ってもそれを興がって、わざと人違いされるような言動を頻繁にする双子”って、ほぼフィクションの中にしかいないような気もする。それもかなりレベルの低いフィクション。
実際に瓜ふたつの一卵性双生児を持った、心ある親御さんは、外見そっくりでもしっかり違う愛児たちの内面に常に敏感で、些細な差異も輝かしい個性の芽生えとして尊重して育てておられるものではないでしょうか。
そして双子本人たちも、互いのそっくりなところよりもむしろ違うところを認識し受け容れることでこそ、より一層精神的な“絆”が深まるのではないかと思います。津雲むつみさんの原作漫画は未読ですが、少なくともドラマの『花衣~』は、双子の神秘的な絆、そこから派生する人間関係・情動の波紋を主題にしているとするならば、19世紀中葉に書かれた『愛の妖精』の半分も、十分の一も描き出せていない、料理できていないことがよくわかりました。
ちなみに、月河がこの小説に始めて接したのは、たぶん小学校4~5年生の頃。少女向けにリライトされた、カラー印刷の甘い挿絵メインの本だったと思いますが、のちに読み直していま手元においているのは、昭和41年初版・同47年重版の旺文社文庫です。うわー昭和だ。受験生の味方・赤尾の豆単でおなじみ旺文社。当時は函入りの文庫は画期的だったのです。
しかも見たまえ。訳者が篠沢秀夫さん。かつての『クイズダービー』の1枠“愉快教授”です。っつってもこれまた若い人知らないか。奥付一頁前の訳者紹介によれば、当時は明治大学助教授。本文翻訳だけでなく、巻末34ページにわたる画像図版・著者家系図入りの詳細な作品解説も執筆しておられます。フランス文学を学ぶ人なら周知のモーリス・ブランショ(って誰だ)研究の第一人者ですが、この訳書当時は30代、パリ大学留学帰りの気鋭の学者だった模様。
いま何かについて興味を持って調べようと思うと、答えてくれるのはたいてい“昭和”の実績であり知的財産です。偉大なり昭和。目新しいもの物珍しいものは続々出てくるけど、平成は昭和を、いつか凌駕できるのだろうか。
↑上記末文4行には同意、そして昭和の陵駕ができるか・・愚問でしょ(笑)。
昭和は日本人、というより日本国にとってまさに『白と黒』の時代ともいえるのでは?色彩的、人間性的観点からしても鮮烈かつ鋭く明確な何かがあった(何が?!)、昭和のどの時期に生まれ育ったかにもよるけれど、多分月河さまと大きな時間差もない同世代人(私も)は昭和時代の『物心』の一番良い時期(旬)のものをいただけた世代ではないかと確信しています。
月河さまの主旨とはずれますが、
親であることや子育てで味わう喜怒哀楽は万国共通だけれど、親が子供を育てる過程で双子に限らず「きょうだい」仲がいいというのはどの親にとっても大層楽だとは思えます。
欧米のように個人主義、人間学が思想の大半を占めるお国柄でない農耕民族の家族主義・家長制度的な背景からすれば日本的双子の今期「花夢」はまさにそれが根底にあると観て、一つのエンターテインメント的選択としてドラマは視聴しています。
市場競争と制約の中でのドラマづくりはなかなか難しく大変なことだと思いますが、視聴者としてドラマを観るときの私的な動機づけは皆様と同様に個人的好みや関心で始まります。
そして最終的には作り手の能力とパーソナリティーに魅力を感じるか感じないか・・簡単にいえばドラマが『自分の求めてるものと合っているか?』だけに尽きますね、それは本を選ぶときと同じ定式でもあります。最終まで引き込まれ、関連の本にも関心がいくかどうか・・・、その作家のものなら全部読みたい恋心がおこるかどうかですね。
次回ドラマ『白と黒』書店の書架でふと目に留まったタイトルに関心をもち本に手を伸ばす瞬間・・この瞬間は好きですねぇ♪
まぁ平成にも期待は失っていません。
“子供”と同じで“時代”も「アナタはやればできる子なのよ」と言い聞かせ続けて伸びるタイプもいるかもしれない(?)。
それにほら、偉大なる“昭和”も、本格的に伸びたのは“ハタチ”を過ぎてからです。
………………………いやっ戦争は反対ですよ!「もういっぺん焼け野原になってみれば」なんてことはクチが裂けても!出発点をゼロまで押し下げてから伸びるんならバカでもできるし!…昭和は昭和、アナタはアナタ。ナンバーワンよりオンリーワン。頑張れ平成“二十歳”。