“安ピカ”。ひと言で印象を言うならこれです。『孤独の賭け』第1話(4月12日22:00~)。
キャストは賛否分かれそうだけど、月河はなかなかいいと思いますよ。何たって意外性がある。
若き起業家・千種(ちぐさ)に扮する伊藤英明さんの、高価そうな服を着こなしていてもどことなくビクビクおずおずした目つきや挙動が、成り上がりゆえのポッと出感、育ちや教養の裏づけのない虚勢だけで生きてる張りぼて感を醸し出しているし、体を担保に彼から資金を引き出して世に出ようとするデザイナー・百子(ももこ)役長谷川京子さんも、親族や世の中への恨みつらみ、“私だけ損してる”という負け組意識に裏打ちされた根拠のない自負(ファッションデザイナーなのにネイル真っ赤っ赤、噴飯な美的センス)、オマエ何様よ?な尊大さを全身から匂い立たせて、なかなかの見ものです。
モデル出身で典型的なお人形さん系美人だけに、女性の卑しさや狡猾さ、愚かさを体現した汚れ役はちょっと荷が重いのではと思われましたが、ここを乗り越えればかつて『黒革の手帖』で米倉涼子さんがひと皮もふた皮も剥けたように、長谷川さんも新境地となるかも。
千種を甲斐甲斐しく支える秘書・京子(井川遥さん)と小切手を挟んで差し向かう「アナタ彼を愛してるのね?」「ええ、そうです」のやりとりは、どう考えても百子のほうが蓮っ葉でバカっぽくて、女として下等な役回りなのに、どこか“がんばれ百子、こんな世話女房気取りにヤツを奪られるなよ”と思わせる迫力がありました。
お話のテーマが“成り上がり”なわけだから、安ピカ、大いに結構なはずなんですが、ただねえ、何ていうか、狙って演出した結果が見事ジャストミートしての安ピカ書き割り感じゃなくて…どう言うの?いじめ自殺事件が起きると「誰某クンは明るい生徒で、クラスでも周りに笑いが絶えなかった」とかほざいてるアホ担任みたい。“笑わせる”と“笑いものになってる”の区別がついてない。専用ジェットで美人秘書はべらせ高そうな酒グイ!→記者団に取り囲まれグラサン着用ノーコメントで突破とか、そのくせお忍びではタクシー一台拾えず水バシャはねられて思わず抱き合うとか、そこへBGMホーンでガーシュインの『Summer time』とか、“金持ち”“孤独”“野心”などの表現が、いちいちマンガなんだな。
1話で思わず目を惹きつけられたのは、千種のオフィスに乗り込んできて「返済を延ばしてくれ」と土下座した、乗っ取られた元ビルオーナーらしき白髪混じりの男。千種に「もう返済の必要はない、ビルは契約通りウチのものになったから」と慇懃にはねつけられ、「水商売上がりのチンピラが」と吐き捨てて退室した後、ビル屋上から飛び降り自殺するのですが、直前、防護柵に腰掛けてヒゲ剃りながら口ずさむのが美空ひばりさんの『お祭りマンボ』。♪景気をつけろ 塩まいておくれ そーれそれそれ お祭りだぁ~ ってやつ。
検索して歌詞全文を当たったら、ピンとくるものがありました。たぶんこのビルオーナー、生粋の江戸っ子で親代々の家業を膨らませビルを建て、いつの間にかそっちが本業になってしまったんでしょうね。年格好はまさに団塊。似た境遇、同じ年代の仲間から「あいつは恵まれてる」「上手くやった」と羨ましがられた時代もあったことでしょう。渋いお声にモノトーンのジャケ、ピカピカ革靴、ポストバブルまでは“青年実業家”としてブイブイ言わせてただろう雰囲気。調べてびっくりしたのですが、演じた俳優さんは74年『ウルトラマンレオ』主演の真夏竜さんでした。
♪おじさんおじさん 大変だ どこかで半鐘 鳴っている
火事は近いよ 擦り半だ
何を言っても ワッショイショイ 何をきいても ワッショイショイ
…先の『ハゲタカ』での老舗旅館経営者宇崎竜童さんもそうでしたが、上昇志向とその衰亡、行き詰まりなど、“欲”のいろんな相をモチーフとして描くとき、やはりこの世代を切り取ったほうが絵としても演出としても、役者さんの演技としてもしっくりはまるのはなぜでしょう。少ないセリフや場面から、彼らが画面に登場しなかった時間の過ごし方、そこから培われたであろう人生観・価値観がじわじわと伝わってくるのです。
それに比べると、伊藤さん長谷川さんが演技でかなりチャレンジしていても、千種や百子の野望・ルサンチマンなどはどうしても絵空事感が拭えません。やはりまだTVの中で、リアルタイムの日本に生きる若者、こんな国のこんな時代に若い季節を過ごさねばならない者たちの欲と挫折を客体化できるほどには、いまのTVは成熟していないのだと思います。
いまのTV界、特に在京キー局は高学歴で高競争率突破して入社し高給高ボーナスもらって「オレたち時代の花形さ」意識を謳歌してる人たちの集まりだから、“ドブの中から這い上がってきたor這い上がろうとする”ってことを、絵としてどう描いていいかよくわからないんじゃないでしょうか。千種に連れられて来た隠れ家バーで百子が「あの人有名な女優ですよね?人目が気にならないのかしら」「芸能人なんか気にも留めないセレブってこと?私ひとり場違いみたいだけど」とつぶやくセリフが象徴的でした。その長谷川さんがいちばん女優オーラ出しまくりなんだもの。
若く美しいのに名もなき者であることの悲哀と滑稽を切々と画面から立ち上らせるためには、知恵も演出ももうひと踏ん張り足りません。
団塊のもう一回り上、焼け跡日本をリアルに見た世代代表の金貸し東野に笹野高史さん。百子と初対面時のメットに作業着、笹野さんが着ると反則なくらい似合うなぁ(爆)。こちらは絵空事でもマンガでもない、地を這うようにして一歩一歩叩き上げてきた者の怖さが滲み出ています。笹野さんの強欲策士系悪役はこの作品のハイライト。
危ない橋を渡る百子を案じる亡兄の親友・蒔田に堺雅人さん。金にならないロシア文学の翻訳をやっている大学講師との設定で、「金の力にものを言わせる者はいつか金に跪く、それが歴史の必然」と、これまた何とも別な意味で絵空事チックな論法で千種に対抗しますが、本当に金に興味がないのか、競ってかちとる戦いでは勝ち目がないから(過去の事故?で足が不自由な障碍者)斜に構えているのか、なんとなく“無欲は大欲に似たり”な曲者そうです。アンドレイ・クルコフ『ペンギンの憂鬱』のような風味の作品訳しているのかな。
主・脇込みで女性陣の中では、千種の夫婦仲冷え切った妻・寿都子役高岡早紀さんがいちばん安心して見ていられました。綺麗な脚、何となくなれ初めの頃は百子と、ルックスだけは似たタイプだったんだろうなぁ。千種、女の好みは成り上がり前も後も一貫している。百子にあって寿都子にないのは、いま現在の境遇に甘んじていられない、ギラギラした飢餓感というところでしょうか。でもこの手の女、“現在の手持ち”への握力は強いからね。
東野の片腕・氷室役田宮五郎さんは、まだ“お父さんの二郎さんにおっそろしく顔が似ている”以外見どころなし。
脇役の濃厚な味に物語世界の安ピカ感が負けている印象の強かった1話ですが、とりあえず2話に期待しましょう。
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