イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

でぃーえーえすえーDASA

2013-09-22 15:37:41 | 朝ドラマ

 今頃はネットの中、これ系のツイートやらなにやら花ざかりに違いないのですが、あと1週を残して一度はいっときましょう。

 題して“独断と偏見で選ぶ『あまちゃん』名セリフBEST 5

 

 ・・・いや、ベスト5どころかベスト10でも50でも、その気になればいくらでも選べるんですけれど、キリが無いのでね。最終週、怒涛に違いないので、忘れないうちにまずは5本。

 

 ? 「美味しいものは、どんな状況でも、食べようと思えば食べられる」

 アキがユイちゃんの家に初めてお招ばれして、高級レストランのような分厚いステーキを出されたはいいけれど、人も羨むセレブファミリーなはずの足立家の、洒落にならない親子喧嘩と家庭不和が眼前に展開。ドン引きしたアキちゃんでしたが帰りの北鉄車内では満腹のおなかをさすって溜め息。アキヴォイスではなく夏ばっぱナレでの独白だったので名セリフというより“格言”感が強くなりましたが、「食べようと思えば」と但し書きが入っているところがミソ。アキの中で「ドン引き」と「食べよう」が一瞬(知らないけど)せめぎ合って、結局「食べよう」が勝ったわけです。同じ洒落にならない状況で、「ドン引き」が勝つ人も当然居ると思う。アキは苦しいとき、辛いときでもまずは「食べよう」の人なのです。この資質はかなり芸能界に向いている。

  ついでに言えばこのエピソードはのちに家庭崩壊寸前になる足立家のイビツさも過不足なく表現していて、娘の同級生とはいえお客の前で揉め事曝しながら悪びれるでもなく「デザートにする?」と押してくるユイ母よしえさん(八木亜希子さん)はこの時点でかなり危なかった。月河は何より、足立家の無駄に広い庭で、火事でも消せそうな水圧で噴いている小便小僧像に爆笑しました。あれだけで十分普通じゃない。

 

 ? 「向いてなくても続ける、それも才能よ」

 

 初ドラマの端役で40回の記録的NG数を誇り「女優は無理。向いてない」と鈴鹿さん(薬師丸ひろ子さん)にばっさり行かれたアキも、リメイク映画『潮騒のメモリー』で母娘役のダブルヒロインとして晴れて堂々の再共演。「“天野アキ”を演じたら日本一」とお褒めの言葉をいただきました。これよりだいぶ前、デビュー前のGMTメンバーとして谷中のボロ寮にいたとき、水口(松田龍平さん)が「世の中を動かしているのは、一番才能のある人や一番頭のいい人じゃなくて、二番めの人じゃないかと思う」とアキに語っていましたが、これと同率?位でもいい。

 

台詞としてはちょっと後付けの理屈くさくて生煮え感もありますが、鈴鹿さんでなくてもミズタクでなくても、こういう事が頭に浮かんだら、生煮えでも理屈臭いなと思っても、言葉にして語ってみたくなると思う。

 

そもそも、何かの分野で抜群の適性を発揮し一等賞になって、そこでずっと活躍し続ける人のほうが稀だと思うのです。どこの分野へ行っても、アノ分野この分野転々と挑戦しても、生涯一度も一等賞になれない人のほうが圧倒的に多いのだし、二等賞三等賞どころか、四十五等賞ぐらいしかとれない分野に身を置かされて、いつの間にかそこが天職になってしまう人も至る所にいっぱいいる。世の中、“本当はコレ得意じゃない、やりたくもない”人たちを主力に回っていると言っても過言ではありません。その結果、どれだけストレスの多い、不機嫌で効率の悪い世の中になっているかと思ったら、アラ不思議、結構円滑に、楽しく笑ったりしながら世の中ちゃんと回っているではありませんか。

 

向いてないことをやってるからこそ人間、勉強しなきゃ努力しなきゃという姿勢になるし、何より万一失敗しても「向いてないから失敗しただけで、本当の自分はこんなもんじゃないんだ」と逃げ場を持てる。世のすべての人が隙間なく適材適所に嵌まっていたら、効率はいいかもしれませんが伸びしろがありません。「世が世ならもっとアレもコレも」という夢を見る余地もありません。向いてない、一等賞とれない、第一志望でない人たちが、それでもそこにいるということを受け入れて回しているからこそ、世界は試練をやり過ごす耐久力があり、落ち込んでも戻す復元力もある。
 

『あまちゃん』というドラマ自体「こんな子が生き馬の目を抜く芸能界ってちょっと違うんじゃないの」「あんな母親あり得ないんじゃないの」「あんな夫婦おかしいんじゃないの」「あんな大人たち常識ないんじゃないの」・・という“しっくりしなさ”で保っている、しっくりしないからこそ前に進める物語世界でした。鈴鹿さんと水口のこの生煮え名言は、生煮えゆえにいちだんとこのドラマをいい具合に括ってくれたと思います。

 

? 「うばっ」

 

初お座敷列車での“潮騒のメモリーズ”お披露目のための、ユイちゃんデザインのオリジナル衣装をよしえさんが実作して持ってきてくれたのに感激したアキちゃん号泣。これは、『あさイチ』での宮藤官九郎さんのトークで、現場演出やアドリブでなく、ちゃんと台本に台詞として載っていたことがわかって、是非ランクインさせたいと思っていました。「うばっなんて普通言えないですよ。どんな顔してどんなふうに言うのかと思ったら、ちゃんとうばっの気持ちを作ってきてくれた。女優さん(=能年玲奈さん)ってすごい」と宮藤さんも絶賛されていましたが、しかしね、「普通言えない」以前に、普通書かないだろう、感涙のシーンに「うばっ」て。絶賛すりゃオーライってもんじゃないってば。クドカン無双過ぎ。少しは遠慮しろって。
 

まあ、しなくてもいいんですけどね、ヒッ(巻かれて強くなる)。
 

おかげでと言うか終盤、震災復興中の北三陸に帰り、梨明日でユイとストーブさん(小池徹平さん)が「元イケメン枠」「元ヤンキー」と言い争うのを見たアキは再び「うばっ」で帰郷の幸せを表現しました。

 

 ? 「ダサいくらい何だよ、我慢しろよ!」
 

 これはもう、圧勝の1位と言うより、オールタイムノンジャンル名セリフランキングに入れ続けたい永遠の名セリフ。いまだにあまりに感動が鮮明なので、GMT真奈ちゃんの出身地、ゴホンゴホン「佐賀だろ!」が生んだはなわ♪えすえーじーえーSAGA~ の節でタイトルつけてみました。

 アメ女&GMT国民投票落選も繰り上げセーフという屈辱的結果に失意のアキが、年を越すはずだった寮を抜け出し北三陸へ帰ると、アキをアイドルへの道に導いた立役者であり、アキにとって最高にしてオンリーワンのアイドルであるユイちゃんは、上京の夢潰えてキラキラお嬢さんキャラを捨て、やさぐれヤンキーになっていました。 


 2008
年、高26月終わりに北三陸に来るまでの東京在住時代は自己表現がヘタと言うか無理で、向上心も協調性も個性も・・その他もろもろまったく無い、芸能界やアイドルとは対極にある超地味なキャラだったアキが、北三陸で海女さん「かっけー」と覚醒してから、大吉駅長(杉本哲太さん)以下の町おこし大人たちに頼み込まれて地元アイドルを買って出、水口のスカウトに乗って上京、と言うか帰京を決める原動力は、もともとアキの内なるものではなく、ユイの「東京へ行ってアイドルになりたぁーーい!」という熱いベクトルへの伴走がほとんどすべてでした。北三陸でできた、ただひとりの親友であるユイが東京東京、アイドルアイドルと燃えていなければ、アキは春子ママ(小泉今日子さん)の部屋で1980年代のレコードやグッズにときめく場面はあっても、「自分がアイドル目指す」実行動は起こさなかったはずです。
 

そのユイが、アイドルのもひとつ対極な、鼻つまみヤンキーメイクとファッションに変身しただけでなく、「諦めたんじゃない、醒めたんだよ」「アイドルなんてダサいじゃん、キャラ作って、男に媚び売って、超ダサいじゃん」と全否定。これには梯子段ぜんぶ外された思いのアキが絶望ギレしました。
 

「ダサいくらい何だよ!」・・平成っ子のアキちゃんは典型的にそうでしょうが、いまの日本で“ダサい”は言わば最終兵器でして、どんなに理屈つけても、有難がらせてくれても、ダサかったらぜんぶダメなのです。出発点も手法も過程も、結果が「ダサい」と決まった時点で終了。「かっけー」「かっけー」で進んできたアキちゃんにとって、「ダサい」ときめつけられて「ダサいくらい何だよ!」と開き直ることは、喩えとしてどうかとは思いますが戦前の日本の国民学校とかで軍事教練の士官が「貴様ら、大日本帝国と天皇陛下の御為を思えば、敵弾に当たって死ぬくらい何だ!」と嘯くくらいのコペルニクス的価値転換です。
 

アキとて、ユイが憧れてやまない“華やかで”“お洒落で”雑誌やTVで持ち上げられている今っぽい東京生活は、その中心にはいなかったしさして良いものだとも思わなかったけれどもだいたいわかっている。東京に一度も足を踏み入れたことないユイがひたすら脳内美化するほどには東京は「かっけー」ではないのだから、ユイの東京熱、アイドル熱をひそかに「ダサい」と思わなかったはずはありません。それでもアイドル志向に乗って、きっと追っかけ上京して合流してくれるはずのユイを待って下積みアイドル予備軍戦線を耐えてきたのは、「ダサい」という最強否定辞を取り返してお釣りの来る“何か”を信じていたからです。
 

それは普通に親友と希望を共有したいという思いであるかもしれないし、自分を目覚めさせてくれた美しい北三陸の海、温かい北三陸の人たちへの報恩であるかもしれない。そもそも人が強烈に「何かをやりたい」「何かになりたい」と熱望するとき、熱望の熱が高温であればあるほど、対象が眩くキラキラしていればいるほど、あらかじめ「ダサい」ものなのです。
 

アイドルが10代少女にとって「容姿の綺麗さ」「キャラの好ましさ」「ファッションセンス」等、いちばん評価されたいポイントで評価されてチヤホヤされるから憧れの職業だというなら、アイドルに憧れる自分は、あの子はこの子は、「そういうポイントにがっついてチヤホヤされたがってるなんて“ダサい”」とひっくり返して見られる。ユイも、本当はデビューしたくてたまらないのに、地元ミスコンやローカルTV局からのレポーターのオファーには気乗りのしない素振りをし、「デビューしたいんです!」となりふり構わず訴えるためには、水口が人目のない琥珀の坑道にいる必要があった。
 

あるいは普通の大人に人気の就職先、社会的地位の高い職業も同じこと。医師やパイロットやCAやデザイナー、オリンピックメダリストなどを目指すにしても、どんな純粋な動機の裏にも「尊敬されたがっている自分」「合コンでモテたがっている自分」「豪邸建てて親や親戚に誇りたい自分」が透けて見えた途端「ダサい」が首をもたげます。

 「ダサいくらい何だよ、我慢しろよ!」・・アキちゃんのこの捨て身の一喝は、何かを熱望し、何かを目指す、一抹の含羞と逡巡を抱えながらいまより眩い何処かに向かって自分を奮い立てているすべての人々に贈る、荒っぽいエールでもあるのです。ダサくたっていいんですよ、我慢できれば。自分のダサさを照れ笑いや自虐とともに受け入れている世の大多数の人たちのエネルギーこそが、ノーベル賞の発見も生みオリンピック記録も生み、ときに戦争を起こしたりもするけど、その都度鎮めてもきたのですからね。 

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