イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

そのとき心は何かを

2010-10-03 20:51:28 | テレビ番組

昨日の記事の“連ドラ視聴スイッチ”の話題の続きです。

『ゲゲゲの女房』の第1週、少女期布美枝ちゃんを演じた子役さん2人(12話菊池和澄さん→36話佐藤未来さん)はナイスキャストで演技も達者でしたが、深まり行く戦時色、身長コンプレックスもあり言いたいことをなかなか言えないキャラのヒロイン…という地合いに「この後、成人してからは嫁き遅れ焦り話、嫁いだら貧乏苦労話かぁ」「最終的に旦那が成功して、夫婦長生き添いとげてハッピーエンドになるのはわかっているけれど、なんか持って回ったお話になりそう」と、週後半まで、どこか腰が引けながらの視聴でした。

とにかくNHK朝、帯は帯でも2ヶ月や3ヶ月で済まず、どかんと半年の長丁場ですから、4月アタマの時点ではよもや、梅雨を越え夏も越して、お彼岸の墓参を終えおはぎを食べた後まで高体温途切れることなく見つめ続けるドラマになろうとは微塵も思わなかった。

それが、「あ、なんかアタマひとつ抜け出るかも、抜け出そう」と思ったのはユキエ姉ちゃん(足立梨花さん)、源兵衛父さん(大杉漣さん)からの強制お見合いに反抗して家出、悩める布美枝が偶然、差し入れの食料を持って訪ねて来た見合い相手の横山青年(石田法嗣さん)と出くわして…の展開になった第5話~6話です。

かねてから苦々しくも疑問に思っていたのですが、特に知性や、当該分野の能力に秀でている設定ではない、むしろ十人並み以下設定のヒロインが、なぜかせっぱ詰まると、とりわけ、親しい人や愛する人の苦境となると、日頃の自分の無力さをもかえりみずズカズカ介入して行き、これまたなぜか自分も周りも思いもよらぬプレゼン力や調整力、交渉力を発揮、「○○ちゃんの真剣さ、一生懸命さにうたれた」「○○ちゃんから勇気をもらった」と当事者たち感謝感激のうちに一挙解決大団円…というシークエンスが、NHK朝ドラもしくは“朝ドラ型”のお仕事モノ、サクセスストーリーにはお約束のように一度はあります。

見ていてこれぐらいしらける、視聴体温を下げる話はありません。

何ゆえシラけるかというと、ドラマを作ってる側、書いてる側のほうが、一方通行でヒロインに肩入れし、称揚し、「大したものでしょ、魅力的でしょ、ね、ね」と押しつけているのが露呈するからです。

観る側も同じ波長で、「○○、頼りないけど頑張れ」「ワタシができたらいいなと思っていてできないようなことを、○○ちゃんならやってくれそう、やってくれたらスカッとする」と思い入れて観ていたなら、観る地合いがすでにできているなら、何の問題もありません。しかし実際には、作り手側の“ヒロインをスペシャルな存在にしたい”意図だけが、観客を何馬身も置き去りに先行していて、「何でコイツのやることだけがすべてうまくいってチヤホヤされるのかさっぱりわからんわ、ケッ」となるドラマが圧倒的に多いのです。

 しかし、横山青年来訪に暖簾の前で通せんぼし、「姉との見合いをやめて下さい」「姉ちゃんがいつまでも帰って来んかったら、家の中がずっとお通夜みたいだし」と必死に訴える布美枝、「布美枝が頼んだことを、横山は言わずにいてくれたのです。」との、登志おばば(野際陽子さん)目線のナレで、アレ?いつものありがちな、ヒロイン大活躍イベントくさいけど、なんかあんまりイヤじゃないな?と思ったのです。

 第6話で解決方向に乗ると全貌が明らかになるのですが、このエピソード、字ヅラとしては布美枝の必死の訴えでユキエ姉ちゃんとお父さんが和解、家に平和が戻り、突然破談の横山青年への誤解も解けて縁談も急転直下まとまるという、絵に描いたような“ヒロイン突如能力発揮”エピなのですが、実は決して布美枝ひとりをスペシャル化するお話ではないのですね。

 自分にはない美貌とお洒落センス、しっかりボーイフレンドもいてこっそり映画デートに出かける度胸もある、自慢はしないが友達のチヨちゃんも誉めそやす別嬪さんのユキエ姉ちゃんを、布美枝は大好きです。でも頑固で怖いけど頼り甲斐のある、一家の大黒柱源兵衛お父さんも、辛抱強く優しいミヤコお母さん(古手川祐子さん)のことも大好きで、皆が仲良く笑って暮らせる家であってほしいと心から願っている。「お父さんの言うなりはイヤ」と言う姉ちゃん、「台所にしか居場所のない人生なんて」と姉ちゃんに詰られてもお父さんをフォローし通すお母さん、布団をかぶった布美枝をユキエと思って諄々と諭すお父さんの親心も、布美枝にはぜんぶ、痛いほどよくわかる。

 だからこその横山青年への「お見合いやめて下さい」なのです。しかも、布美枝のたどたどしい訴えと状況説明に、横山青年は問い詰めるでもなく事態を寛容に察し、10歳の少女の意を汲んだ行動をとってくれた。

つまりこのエピ、ヒロイン布美枝のスペシャル人間関係力単独フィーチャーなんかでは全くなかった。彼女の家族や周りの人への思いの強さ、家族同士の気持ちの、互いを大切に思うがゆえの衝突離反と通い合い、見ず知らずの他人でも、善意と優しさで理解し合える、といった“人と人のご縁”の尊さやおもしろさを描出するための一連の展開だったということがわかるのです。

こういう描き込みの意図が読めたとき、「これは長く伴走できるドラマになるな」という手ごたえとともに、ゆっくり“スイッチが入って”行った。

言わば、いつもなら無いこれこれこんな要素が“あったから”ではなく、邪魔だなとかねて思っていたお約束、ありがち要素が“無かったから”スイッチが入ったと言ってもいい。

駄目押しじゃないですが、飯田家に医者を連れてきてくれた後黙って玄関先から去った横山青年を、矢もタテもたまらず追いかけて「ごめんなさいっ!」と泣いてあやまる布美枝を、さらに追いかけて出てきたユキエさんが、妹の肩にそっと手を置いて、振り向いた横山さんに無言で頭を下げる場面も、押されたスイッチにさらに安全装置セットくらいのチカラがありましたね。言い訳はしない、「実はあんなことこんなことが」とせせこましい説明もしない、ただ母の一大事を助けてくれた感謝と、事情を知らなかったことの詫びを目にこめての一礼。ユキエに悪意や打算はなかったのだから、横山に対して無駄に卑屈になる必要はないのです。でも肩に載せた手で、幼い妹が自分と家族のために精一杯砕いた心をちゃんと汲み取っている。

返す返すも足立さんのユキエが良かったということもあるのですが、脇の人物隅々にまで、自分以外の人に目配る思いやり、心の広さ、言わば気品と余裕が感じられた。「これは、続けて視聴していても、ヘコんだり“ケッ”となったりしないドラマに違いない」と思えたのです。

放送前から紙媒体やネットで情報が入っていて、原作や作家や、出演者の名前に釣られて視聴を始めるドラマより、特段の熱い興味があるでもなくなんとなく観はじめて、こういう風に、作品のテクスチュアに心地よくからめとられる様にしてはまっていくほうが長続きするということが改めてわかった『ゲゲゲ』でした。

…さて、こんな経験を踏まえて、走り出している後輩『てっぱん』を見返してみますか。いまのところ「いま来た、ホラ来た」とまで明瞭な手ごたえはまだありませんが、第5話(101日放送)、行きがかりで商店街主催音楽会に飛び入り出演することになったあかり(瀧本美織さん)が、尾道の両親に「(お祖母ちゃんには会えたけど)いろいろあってね、予定外いうか」「寄り道してもええ?」と連絡するのは、そのライブ会場となるスーパーお手軽な特設ステージを背に見る公衆電話です。初めて単身で乗り込んだ大都会・大阪。電話機の上にお財布を置いたまま会話する無防備さがなんとも素朴。

いまどきの高3女子、デコな携帯にストラップばっさばっさ付けて始終ちゃかちゃかチェックしているみたいなイメージがありますが、実際にはご両親と相談の上で、卒業まで携帯は持たない、持たせない方針の生徒さんもいっぱいいるのでしょうな。それにしても、女子高生と公衆電話という、ありふれてそうで、すでに意外にレアとなった組み合わせは、背景に屹立する神社の鳥居も相俟って、平成の世にどっこい健在“不滅なり昭和”という感じでソフトなアナザーワールド感がありました。

スイッチオンまで、あと少し。頑張れ『てっぱん』。

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