『任侠ヘルパー』は20日放送で7話を数えましたがテンションが落ちないですね。重いお話を重いだけに終始させないテンポのいい話法でまったく飽きさせません。
要介護老人役で毎話ゲストインするベテラン俳優さんたちも、いちいち真っ芯に当たっている。13日の第6話では色ボケセクハラジジイ?と見えて実は初恋の女性への一途な思いを秘めていたロマンティストのダンディお爺ちゃん・風間役、かつてのロカビリーアイドル・ミッキー・カーチスさんが、お洒落に枯れた感じで好演されていました。
車椅子で女性ヘルパーの身体を触ったり、女性入所者の個室に夜這いしたりでタイヨウの問題“児”的存在だった風間が、学生時代の初恋の多恵子(木村夏江さん)と思いがけず再会したことで、「歩けるようになったら多恵ちゃんをデートに誘う」と真剣にリハビリに取り組み、デート先の美術館までの石段をステッキついて上れるまでになった。
多恵子さんは施設内では風間の秋波に笑顔でこたえてくれますが、実はすでに認知症が進み、風間を死別した夫と間違えているだけ。風間も途中で気がつきます。しかし彼にとってはいまだに、学生時代に告白できなかった憧れの“多恵ちゃん”なのです。
ここまで来たら一回ぐらいドラマ上、プラトニックなデート成立させてあげればよさそうなものなのに、デートの前夜、彼女は肺炎をこじらせ急逝していました。
つらい報せに駆けつけた彦一(草彅剛さん)に「…もう少し待つか」「女の支度が遅いのはしょうがない、それでもモテる男は最後まで待つもんだ、そういう男に、女は“心底自分に惚れてる”と思うんだ、オマエもいまからそうやっとけ」と精一杯強気にやり返したあと「しょうがねえなあ…女は」と涙する風間。女性から女性を渡り歩きながらも独身を通し、要介護の老境になるまで何十年も再会を夢見ていた彼女なのに、叶ったと思う間もなく手の届かないところに行ってしまった。
先日の記事でちょっと引き合いに出させていただきましたが、風間役を三國連太郎さんのような、あからさまに“現時点でも”ねっちょりセクシーな高齢俳優さんではなく、枯れ具合と“遊び人残存度”のバランスがちょうどいいカーチスさんが演じたから成立したのだと思う。賞賛として言わせていただきますがカーチスさんが専業俳優でなく、“憎たらしいほど演技巧者でリアル”なわけではないから、このエピソードは一抹さわやかに終われた。
自分には姑にあたる多恵子さんに、熱くアプローチする風間を「いやらしい」「70過ぎた認知症の年寄りが、恋愛なんて汚らわしい」と嫌い、「近づけないで下さい」と多恵子さんをタイヨウから退所させてしまった嫁・百合(横山めぐみさん)も、遺品の中から、大切にしまってあった風間との卒業写真を見つけて、単に認知症でお義父さんと混同していただけではなかったのかも…と気づき「お棺の中に(この写真を)入れてあげようと思います」と理解してくれたのが、ラストの救いとなりました。
“異性を好きになる気持ちに年齢(や認知症)は関係ない”というメッセージと、二本橋(宇梶剛士さん)の復縁エピとの接点の持たせ方がちょっと強引に過ぎた気もしますが、風間が二本橋に、ヘルパーと要介護者の立場を超えて「心底惚れた女と、一生添い遂げられるなんてな幸せだよ」と人生の先輩として諭す場面は味があったし、ここに味があったから「風間さんにお母さんをデートに誘わせてあげて下さい」と、多恵子が引き取られて行った自宅に夜半懇願に押しかける二本橋にも説得力があった。
前妻との復縁が“老いらくのなんちゃら”に入るほど二本橋は高齢じゃありませんが、“極道だって、惚れた女を幸せにしたい気持ちは誰にも負けない”という矜持を回復させてくれたのは、彦一たち若い任侠研修仲間ではやはりなく、女性に夢を見続け、逃げられてもしくじってもなお恋する心を拠り所に生きてきた風間でした。
二本橋の多恵子宅への“夜襲”に、彦一が同行するのも、風間の件で「利用者の色恋には立ち入らないように」「そもそも認知症で判断能力のない人に、初恋だからって言い寄ろうとするほうがどうかしている、頑張ったところで過去は取り返せない」とたしなめる先輩ヘルパー零次(山本裕典さん)に、「年食ってたら人を好きになっちゃいけねえってのか!」と二本橋が抗って乱闘になりかかったとき、ヘッド一発で冷静にさせてくれたのが彦一だったからこそ。
人物がどういう行動を、誰と共同で起こすかというところに、いちいち根拠があるんですね。
風間に励まされ、娘から再婚間近と聞かされた前妻と、復縁の決心も新たに待ち合わせるも、車で送ってきて心配そうに見守る再婚相手と前妻の様子を目にすると立ちすくんでしまう二本橋。長身の二本橋が、堅気らしく清潔に見えるようにと選んだのであろう、白ポロの大きな背中を徐々にロングで引くようなカメラワークが、漫画のコマ割りでよくありそげなんだけどここはよかった。
エンドロールとともに任侠仲間に「この次はもっとオッパイの大きい女と付き合おうかと」と冗談紛れに復縁断念を示唆した二本橋、“惚れた女の幸せを離れて祈ってやるのも男の思いの伝え方”“オレの大切な女は、離れても生きているのだから”と、苦いながらも吹っ切った表情を見せました。
身寄りもないまま、懸命のリハビリで漕ぎつけたデートが永遠に空振りに終わった風間の、その後は描写されないのがこのドラマらしい。無理やりにめでたしにはしないんですね。
月河の脳内では、“認知症と言えどもお義母さんに僅かでも気持ちがあったのなら汲んであげればよかった”と反省した嫁の百合さんが「その節は失礼なことを言ってすみません、せめてお焼香にいらして下さい、うちにお義母さんの元気な頃の写真がありますし」「なんならアルバムと形見の品をいくつか持って、そちらに面会に伺います、タイヨウの皆さんにもお世話かけたお礼を」と連絡をくれているのではないかと補完されていますが。
お話としては、百合はラスト直前まで“悪役”のポジションですが、人の見分けもつかず玄関を出て徘徊しようとするお婆ちゃんを「ご近所に見られたら恥ずかしい」と思ってくれる家族がいるということはある意味幸せだと思います。何が恥で、何が恥でないかは、正常なオトナならご本人が判断すべきことで、家族といえども仕切られる筋合いはないのですが、正常でないなら“代わって判断して仕切ってあげなければ”“この人の恥は、私の恥と一緒”と思ってくれる人がいるということですからね。恥を共有してくれるというのは、エゴでもあるけど同時に親身なのです。
そう言えば多恵子さんのタイヨウ入所前の現況を描写する冒頭の自宅での場面で、「(認知症の)お祖母ちゃん明日から施設だよね、やっと家に友達呼べる」と生意気を言っていた中学生?らしき百合夫婦の娘が、介護を手伝うでもなくリビングででれっと見ていたTVはお笑い番組で、映っていたのはどう見ても流れ星でした。わはは。ちゅうえいの“ゲートボーラーよねぞう”ネタだったら笑うね。ゲボちゃん。「この入れ歯をプレゼント」。
風間爺ちゃん、カーチスさんが演じているところからして“若者の味方”っぽいし、出入り許可になったらあの娘のハートをキャッチするんじゃないかな。アップ無しでちょっとしか映らなかったけど、あの娘、卒業写真の多恵子さんに似てなくもなかったような。
そんな、描写されない奥、エンドタイトルの先まで想像させる、このドラマは突飛な設定にくるんでとても深く真面目に作ってあると思います。
20日の第7話もしみじみ良かったので、次回8話の放送の前までには復習を。
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