そんなわけで先月(もう月があらたまってました)、初見気分で『刑事コロンボ』“黒のエチュード”を録画視聴していたら、コロンボが修理工場に先回り、車の運転席をちゃっかり占領していて、引き取りに来たアレックス大イライラ・・辺りで、高齢家族その2が「この(犯人の)人(=演ジョン・カサヴェテス)、西村(康稔)コロナ大臣に似てんね」と思いもよらないことを言い出しました。
・・ふむ。似てるか、似てないかの二者択一に無理やり当てはめるとしたら、6:4ぐらいで似てるほうに入れても大方の反対は少ないと思います西村逆ギレ大臣。爬虫類系というか、オオカミ顔というか、お顔の骨格が前下に向かって鋭角で収斂していく感じ。
カサヴェテスも1965年『ローズマリーの赤ちゃん』のヒロインのミア・ファローの頼りない(のちに怪しい)旦那役の頃はギリシャ系の二枚目顔だったんですが、この人は映画界の中でも自主映画製作に生涯をささげたような立場で、ハリウッドメジャー作やテレビシリーズへの役者としての出演オファーに対しては、自主製作の資金稼ぎと割り切って、“イメージのいい役”“カッコいい役”にはこだわらなかったようです。日本でも、舞台演劇をメインに活動している人で、そんなスタンスでテレビ出演をこなしている俳優兼監督・脚本家さん、劇団主宰さん、結構いますよね。
宮藤官九郎さんが2003年のNHKドラマ版『蝉しぐれ』に主人公(内野聖陽さん)の旧友役で出たのは、いくらか舞台の足しになったのだろうか。
三谷幸喜さんが『いだてん ~東京オリムピック噺~』に市川崑監督役で出たのは‥・足しというよりウラがありそうだ。
西村大臣も、もう少し言葉と目線(←いろんな意味で)に気をつければ、“シベリアンハスキー系の精悍な顔”と好意的に見られたかもしれないのにね。安倍総理も例によって、頼みやすい人に、難しい、重い役回りを安直に頼むから大概ウツワがもたない。
・・まぁその話は別の機会にするとしまして(その頃には政権の配置図もだいぶ変わってるかもしれない)、アレックス・ベネディクトの手口は結構杜撰でコロンボの敵ではありませんでしたが、ドラマとしては演出や見せ方にいい塩梅にフックがあって、正味1時間35分、見飽きることがありませんでした。
ジェニファー・ウェルズの自宅のペット=愛鳥のショパンの鳴き声にビビったのは劇中のアレックスよりも視聴者のほうではないでしょうか。劇中では隣家のオードリーちゃんが「ボタンインコ」と言及していましたが、そんななまやさしカワイイもんじゃないだろうアレ。あのめらめらトサカといい、キバタンとかクルマサカオウムのえげつないヤツだわ。愛のピアノ曲をたくさん作った“しょぱん”よりは、“どぼるざぁく”とかさ、“すくりゃーびん”のほうが合ってないか。ろくに曲知らないで語感で書いてますが。
生演奏中継が迫る会場=野外音楽堂の楽屋を脱出してアレックスがどこに向かったのか?当然これから手にかけようとする相手のはず・・と視聴者が見守る流れで、最初にフレームいっぱいに映ったのがこのショパン。
コイツ(トサカの堂々っぷりからしてオスでしょう)、ご主人様=ジェニファーとアレックスがイチャついてた間はおとなしかったんだけど、いよいよアレックスが計画通り、リクエストして彼女に演奏させてる間に手袋はめて用意した布で灰皿を包んで背後から一撃!くれた瞬間の鳴き声の、まぁー不吉にけたたましいこと。被害者自身は突然の殴打に悲鳴も呻き声も上げる間もなく息絶えたかもしれませんが、アレックスがのびた彼女をキッチンに運び、オーブンのガスを全開にして椅子からくずおれオーブン扉のフチに後頭部を強打したかのように偽装する間も、ピアノの脇に吊るされた鳥かごから、人間の生娘だってこんなすさまじい声量音程で叫ばないわというレベルの絶叫と、赤ん坊の戯れ声にも似たからかうような哄笑をかわるがわる放ち、キッチンのあとは書き物デスクで(アレックス夫妻の75万ドル豪邸ほどではありませんが、こちらも若手ながら国際的スター演奏家らしく、かなりリッチな住まいです)、用意したニセ遺書をタイプライターにはさんで、何日も脳内で練ったであろう渾身の工作を続けるアレックスが、よく「うるせーこのバカ鳥!」とブチ切れて絞め殺さなかったなと思うほど。
オウムはモノマネ、声マネをする鳥として知られていますから、このショパンがアップで映され鳴き声で存在を主張するたびに、「さてはあの鳥がアレックスのセリフを真似てコロンボに聞かせ万事休するのでは?」と視聴者は一沫思ったはずです。当のアレックスは音楽家のわりにはショパン君の耳障りきわまる絶唱を気に懸けた様子もなく、キッチンのドアを閉めて退散、抜け出してきた演奏会場の楽屋に戻る。
しかしアレックスの致命的なミスはまさに此処。妻ジャニスが手ずから育ててくれている演奏会専用ラペルピンの花を、ピアノの下に落として出て来てしまった。この花はわざわざピアノの脚元に寄ったアップで強調されるので、視聴者は劇中の誰よりも先に「あーあコイツやっちまった」と情報を得ます。
いよいよコンサートが始まり指揮台で一心不乱にベートーベンの棒を振るアレックスが、胸に花がないことに気がつく瞬間にも、ショパンの不吉な絶叫がエコー付きでリプレイされ、切迫感溢れるシンフォニーに重なります。曲想と人物の内面の動揺、そして脳内ノイズを同調させたこの演出もなかなかですが、視聴者が思わずアレックスの身になってヒヤッとした(←『コロンボ』では大抵のエピで、結構利己的で同情余地ない動機の犯人でも、視聴者は局面、局面で必ず犯人と同化して、コロンボの追及にひそかに怯えたりイラついたりします)次のカットで、今度はモーツァルトの華やかに軽快な曲を、余裕の表情で指揮するアレックスをテレビ画像として映し出します。視聴者は「コイツ動転したろうに、何食わぬ顔で振り続けてんだな」と微量拍子抜けしつつ、どこかホッとするのです。
そしてそのテレビは、ここでこのエピ初顔出しのコロンボが受診中の、クリニックの診察室に設置のもの。何故コロンボが深刻な面持ちで医者に?と思わせるその理由も、ほどなく署から呼び出しの電話がかかってきて、カメラが診察室内のロングショットに引いたところで明らかになります。ここの絵的な叙述もトボけていてなかなかいい。
さて、トゥーマッチな鳴き声で重要な役割を果たすかと思わせたショパンですが、意外にもこれで退場。警察が現場入りしコロンボも後から到着したときには、ショパンはキッチンドアの隙間から漏れたガスに当たったのかすでにこと切れ、鳥籠には布が被せられていました。
なんだ声マネで犯人を告げるとかは無しか、大袈裟な鳴き方のわりにはあっけなかったな・・と視聴者はショパンくんの最期に若干の同情はしつつも若干拍子抜けしますが、どっこいコロンボはスルーはしませんでした。「よほど好きな人でないと飼わない、手のかかる種類の鳥。自殺ならガス栓をひねる前に、鳥を助ける手を打ったはず」と、後頭部の打撲痕や不自然なタイプライターの遺書と合せ技で、自殺ではなく他殺と目星をつけた。
彼女が演奏旅行で長期不在にする間に「ショパンの世話を頼まれていた」と言う隣家のおしゃまな少女オードリーから、頻繁にかよって来ていた恋人の存在を聴取、さらにはその恋人=トランペット奏者ポール・リフキンから「3か月前、彼女が別の“もっと重要な”男と恋に落ちたおかげで振られた。男の名を訊いたが秘密だと教えてくれなかった」との告白も引き出し真相に迫る手がかりとなりました。ショパンが間接的に突破口となったわけです。
大袈裟に鳴かせて何度もリプレイし、重要な手掛かりになりそうと見せて、あっさり退場させ、しかし存在と退場そのものが状況証拠となって水路をひらき真相へと導いていくという流れ。客をひっかけておいて外し、外れだったと見せて、実は別角度からひっかかっていたことがわかる。単話完結事件モノのこういうショートで歯切れのいいミスリーディング、やっぱり『コロンボ』って、締まった良ドラマだったんだなと改めて感じました。
事件そのものは、2020年のいま見たら「音楽堂の楽屋通路、外車専門修理工場のガレージ、セレブ女性独り暮らしの自宅玄関、防犯カメラが付いてたら終わりだし、今日びなら付いてないわけがないし」で片付いちゃうケースでしたけどね。
ミスリードと言えば、このエピの最大のミスリードは、殺人犯をクラシックの天才指揮者、被害者を新進スターピアニスト、背景をオーケストラとコンサート会場に設定しておきながら、トリックにも謎解きにも“音楽”がひとっつもからまずに終わるところではないでしょうか。アレックスのたとえば絶対音感や楽典の知識、指揮棒の振り方やジェニファーのピアノの奏法、曲目選定などが何ひとつ事件に重きをなしていないという。物語構築にあずかってチカラあったのは“個々の演奏家はもちろん、天才指揮者といえども、地位は雇ってくれる楽団の経営者に気に入られるかどうか次第”という、すぐれて“芸術経済学”的側面のほうでした。
劇中、ジェニファーを手にかけおおせて楽屋に忍んで戻ったアレックスが、開演前の挨拶に立ち寄った義母(=妻ジャニスの金持ちの母親にしてオケ理事長)リジーに「チャイコフスキーは開演前不安になりすぎて、頭がもげて落ちる幻覚にとらわれ、指揮の間じゅう左手で頭を支えていたそうですよ」と冗談交じりに話して平静を装う場面がありますが、実はまさに“さっきやってきた事が露見したら絞首刑だ”というアレックスの潜在的な恐怖を直球で表現している。
この場面の直前、リジーが娘ジャニスに、
「俳優連中も来るの?アレックスは派手好きなのね、役者なんかに音楽がわかるのかしら」
ジャニス「役者だって人間ですもの」
リジー「ふふん、どうだか」
なんてやりとりもあり、これなどは“ピーター・フォークの主演看板作に、親交深いジョン・カサヴェテス客演”と来たので脚本家さんが遊び心で入れたくなったセリフかもしれません。月河は朝ドラ『あまちゃん』で、古田新太さん扮する太巻こと荒巻太一ハートフル・プロダクション社長が事業構想をトクトクと語る場面で「小劇場?下北(沢)?ダサいね」と鼻で笑ったのをちょっと思い出しました。
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