イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

“時を”が空を飛ぶ

2010-03-09 19:26:37 | ニュース

鳩山内閣の支持率が、おもしろいように下げ止まりませんな。続落続落また続落。ギャグ漫画のアクションシーンで、ぶん負けた敵とか間抜けな忍者とかが、コマ突き破って下のコマに落ちる描写がよくありますが、こっちもグラフの底辺突き抜けそうな勢いです。

反騰する要素ないもんなぁ。普天間基地問題、子ども手当、年金改革と、どれひとつとして「この政権を選んでよかった」と国民が満足し納得するような決着になってないし。昨年の総選挙で政権交代を望み、民主党候補に一票を投じた人も、まさかこんなに“小沢押し一色の政権”になるとは思っていなかったでしょう。

あくまで小沢一郎さんを、彼得意の選挙戦術参謀兼党内の“重石”として使いこなしながら、自民党の長い無策に倦んだ国民を安堵させ希望を持たせる政策を間髪入れず打ち出すなんていう高難度テクは、初めから鳩山由紀夫さんという人には無かった。政権交代政権交代って聞こえはフレッシュで気持ちよさげだけど、それが実現したら総理はこの人だよ、というところに疑問危機感持たなかったわけだから、有体に言えば国民の我々も見る目がなかったと認めざるを得ないでしょう。

鳩山さん、無能の上にもうひとつ、政治思想的にかなり偏向したところがあって、普天間問題でも垣間見える通り、戦後日本の基礎のひとつである“日米同盟関係”の重要性をよくわかっておられない。日本の外交政策は一にも二にも日米同盟ありきで、ここの優先順位を下げたり、重要度を軽くしたり仮にするならば、19458月以降の日本そのものを、根底から作り変えなければならないくらいの太い柱であるはずです。

この認識をハラの底に据えて、あとは時宜に応じて活用、運用。時には主権国家としての気概を打ち出し、時にはアジア諸国や欧州、ロシアへの目配りも怠っていないよというパフォーマンスのひとつもした上で、とにかくアメリカとの緊密な関係をコントロールすることです。卑屈な意味でなく、敗戦後の日本は60年余、日米同盟というものを大動脈として酸素を供給されながら、経済も文化も民生も維持発展してきたのです。

日本国の総理たるもの、それができなくては失格なのですが、ゆるーい連立寄せ集め政権の弱みか、失格の烙印寸前でふらふらしているのが国の外からも内からも透けて見えるので、この政権、はっきり言ってナメられている。トップがナメられたら、国は終わりです。

さりとて野党に転じた自民党も、正直、谷垣禎一さんではまとめられそうにない。「ズタボロになるのわかってっから、捨て石に使っても惜しくなさそうなの、どれかない?あ、コレ使おうコレ」ってことで総裁に選ばれたようなもんだもの。自転車で事故ったとかで本当にズタボロな顔で出てきたときには、本当にダメだこりゃと思いました。自転車乗る自体は構わないし、乗れば安全運転してても転倒や軽い衝突ぐらいはあるだろうけど、あの顔で出てくるか、カメラ前に普通。野党と言えども“将の器”ではないと自ら証明してしまいました。鳩山総理の母上からの無記載献金の件で「月に1,500万の子ども手当」と鬼の首でも取ったように揶揄っていましたが、あの場面TVで見て「…誰がうまいこと言えと」と思った国民のほうが多かったでしょう。力の入れどころ、見得の切りどころがわかってない。

民主党は期待外れ、自民党はばらけて無力化する一方という地合いで、誰かいねぇのかよ他に?となって、ここへ来て参議院議員舛添要一さんに俄然注目が集まってきたようですね。TV御用達のタレント教授、タレント評論家からの政治家転身で、“政治家政治家していない”“永田町のドンヨリ汁(じる)がしみ込んでいない”“介護経験者で国民目線を保ってそう”といったところが期待される所以でしょうが、この人、人相がねえ。

いや、人の顔のことどうこう言えるアレじゃないんですけど、人間には、人に見せる、見られてることを意識しない、何かのリアクションや主張をしようと思ってないときの“地顔(じがお)”ってものがあって、舛添さんの場合“糾弾顔”なんですよね。

普通に前向いて立ってるだけで、ちょっと苦笑いしたときにすら、どこか「違うでしょう!」「本当のことを言って下さいよ!」「納得行かないなあ!」と人差し指突き出して追及してる感じがする。タレント評論家時代にそういう顔を多く見せられてきたからばかりではないと思う。人間、“この顔ならコレ担当に向いてる”と他人に思われると、なぜかそういう役割やシチュエーションばっかりが回ってきて、自然と本人も「こういうことやってると自分は褒められるしウケるし、何か気持ちいい」と思うようになってくるものです。

政治は、具体的な喫緊な課題や国際情勢などで切実に動くこともあるけど、なんてことない流れとか風向きというものも大きく、ご本人の持つ野心モティベや正味の力量とは別に、“時がこの人を呼んだ”みたいな経緯で、ついこないだまで総理候補の二番手三番手にも入ってなかったような人がするするっと“なってしまう”こともあります。なった後の功績がいかほどのものだったかは別として、典型的には細川護煕さん、あるいは海部俊樹さんはそういうなり方でなった総理でした。小泉純一郎さんは、なったそのことではなく、なった後、“55ヶ月続いてしまった”ことで“時に呼ばれた感”濃厚な総理だったと思います。

いま、“時が呼ぶ人”は舛添さんなのでしょうか。時を味方につけ、時を掴まえ、時に乗る人。いやはや、そんな“時”に生き合わせてしまいましたか。

どうでしょう、年中“糾弾顔”の宰相。“両棲類顔”(鳩山さん)、“恫喝顔”(小沢さん)、“お疲れ顔”(菅直人さん)よりいくらかましかしらん。

コメント
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