イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

アムロ生きます

2017-12-08 19:26:27 | テレビ番組

 引退までカウントダウン中、閉店フェス中の安室奈美恵さん、大晦日のNHK紅白歌合戦出場は決まったのでしょうか。

 NHK会長は是非ともと言っていたようだけれど、安室さんって、演歌系歌謡曲系の畑から出た歌手と違って「NHKさんのおかげで今日がある」的な意識は薄そうだし、安室さんのファンの皆さんも、通り一遍のいち出場者の扱いで何が何でも紅白で見たいとまでは思っているかどうか。

 改めて会長みずから「出てほしい」と表明するくらい、安室さんって紅白と縁が薄いのかな?と、当方も紅白を、司会者発表だ初出場組のお披露目だの前振りニュース以外、“本編”を見なくなって久しいのでちょっと手元で調べてみたら、1995(平成7)年から2003(平成15)年まで9年連続出場して、その後は安室さん一度も出ていません。一度は常連の時期があって、それから14年間のインターバルがあるとお久しぶり感、引退興行中ということもあってスペシャル感もかなり期待されるのだろうと思います。

 それにしても“アムロちゃん”、もう40歳ですか。茶髪に日サロガングロ、足くじきそうな厚底ブーツにタイトなマイクロミニのフォロアー=“アムラー”さんたちを量産していたのがもう二十年以上前です。安室さん本人が結婚や出産や離婚を経ても、忘れられるほどのブランクもなくバリ最前線に居続け、ボディや顔の輪郭もシュッとしたままで、これだけ邦楽シーンの変転が激しい中でも楽曲面でも進化し続けて過去の人感がまったくないので、もう引退を考えるようなトシかマジか?と不思議な気がします。

 来年9月16日をもって引退、の報を伝えるTVで、テレビ朝日の宇賀なつみアナウンサーだったと思いますが、「物心ついてからずっと安室さんがいて、曲を聴いてきたので、安室さんが(芸能界、音楽シーンから)いなくなるとどうなるのか想像ができない」というような意味のことを言っていて、宇賀さんは1986(昭和61)年6月生まれ、安室さんがSUPER MONKEY'Sのセンターとしてデビューしたのが1992(平成4)年、グループと別名義でのソロデビューが95(平成7)年4月ですから、宇賀さんがTVを見て振り付けや歌を覚えて真似したいさかりの小学生女子になった頃からずっと、安室さんはスターダムにいたわけです。アムロちゃんがいない世界が想像できない・・と、大袈裟に言えばこんな所感を抱く宇賀さん世代も、もう若者でもギャルでもコギャルでもなく三十路に入っている。「ウチの娘がアムロちゃんアムロちゃんってもう夢中なのよ」と苦笑いしていたお母さんたち世代に至っては、五十代後半から還暦越えてるかもしれない。これだけ幅広い年代に認知されていて、引退と報じられれば「えーっ」と興味を喚起できる力のある歌手はいま、ほとんどいませんから、NHK紅白スタッフが前のめりになるのもちょっとは理解できます。このご時世、“歌”でTVの画面の前に客を引っ張ってくるのがどれだけ難しいか、いちばん身にしみているのが紅白スタッフでしょうから。

 安室さんが紅白に定着していた1995~2003年の期間というと、個人的には、完全に年末の念頭から紅白の存在が消えてなくなっていた時期と一致するのですが、その間一度、あれは何年だったのかな?夕食時からレンタルの映画を見ていて、ビデオ入れ替える(まだビデオでしたよ)のにいったん止めたら、高齢家族が「氷川きよしの歌だけは聞きたいな、あのコの声はなかなかいいぞ」と言い出し、たまたま遊びに来ていた非高齢家族の知人が「私も浜ちゃん(ダウンタウン浜田雅功さん)たちの『明日があるさ』は見たい、振り付けちゃんとできてるかどうか」と同調したので(・・それで思い出しました。Re:Japanが出たんだから2001年でした)、当時はまだネット環境になかったのでNHKの、懇切丁寧に大体の歌手順放送時間が載ったウェブにアクセスなんてこともできず、新聞で曲順を調べて、「そろそろかな」「小林幸子が歌ってたら次だから」「絵ヅラ派手だからすぐわかるな」なんてやってるうちに、全然見たことのない人がポンと映って「誰このおばちゃん、知ってる?」「知らない」「歌うまいね」・・って紅白に出るようなプロの歌手だからそりゃ歌はうまいの当たり前でしょうが、居合わせた老若5人ほどの誰も顔を知らず、曲順表をもう一度見て「小柳ゆきだって」「あぁ居た居た」なんてこともありました。前々年に『あなたのキスを数えましょう』という曲が大ヒット、大ブレイクした小柳さんは2001年にはまだ19歳ですから“おばさん”呼ばわりは失礼というより「眼科行け」ですが、メイクなどがえらく大人っぽく、というか“初々しさの対極”に見えた以上に、この時点で既に“旬を過ぎた”感が強かった。

 この年の紅白の安室奈美恵さんは、氷川きよしさんより歌唱順が多分後だったはずで、見てないのでどんな曲をどんな感じで歌ったのかわかりませんが、色褪せずくたびれずに何年も前線に居続けるという事はたいへんなことだな、と思います。安室さんが出ずっぱりだった間に、ものすごい勢いで脚光を浴び高評価されては、倍の勢いで退いていったアーティストは、小柳さん以外にも数えきれないでしょう。

 そして、紅白歌合戦についても、「贔屓の〇〇の出るところだけ見たい」「何時何分頃だ?」と検索されて摘み食いされる時点で、昔ながらの“歌合戦”はもう成立が無理だと認めたほうがいいと思う。1970年代でも、たとえば若い頃から洋裁をやっていた月河の実家母は「いしだあゆみの衣装が楽しみ」「順番来たら教えて」と言いながらおせち料理の小分け盛りなどやっていたものですが、いしださんが出ていないときでも、誰が出ているときでもあの頃の茶の間のTVは、紅白やってる時間は紅白がたらーーーっと流れているのが当たり前で、誰も無駄だとは思っていなかった。いまの平日の朝ドラと同じ、善男善女の環境ビデオの“ハレの日”版みたいなものだったのです。

 こういう緩い、ある意味“逆贅沢”なTV番組の作り方は、さすがにもう無理でしょう。できなくなったことを嘆くのではなく、そういうやり方が“社会的使命を終えた”と思っていい。誰に、どんな人に見てもらうために、どんな出演者にオファーして何を歌わせるか、何をやらせるか、細かく狭く、囲って絞って研磨して打ち出さないと、3時間も4時間も「誰が見るんだ」な番組になってしまう。安室さんであれ誰であれ、或る一人or一組のアーティストに「是非出ていただきたい」とあからさまにヘコヘコするのは、制作側の“芸のなさ知恵のなさ”を露呈して恥ずかしいからやめたほうがいいと思います。

 ・・・ところで、来年、宣言通り引退されたら4日後に満41歳になる安室さん、芸能活動をやめたらどんな生活を計画しているのでしょうね。普通に就職したOLなんかだと、やおらこれから婚活だ妊活だとジタバタし出してもおかしくない若さで、悠々自適です。これだけの期間前線に居て、途切れずヒット曲を出し続けていたら、もう“一生遊んで暮らせる”を20回ぐらいやれる余裕があるはず・・ってイヤらしく自分の物でもない蓄財状況に想像を膨らませてもしょうがないですが、売れた芸能人がよくやらかす、株や新規事業に手を出したり、胡散臭い投資話に乗せられたり、人の保証人になって大火傷なんて噂も聞かないですし、一方ではローティーンの頃から芸能活動一本で、普通のギャルなら学園生活や旅行や合コンざかりの年頃をずっと働き詰めだったわけですから、あとは好きな事を何してもいいし何もしなくてもいいし・・と思ったら、もう結婚も出産も離婚も経験済みなんですね。なんという濃い人生。前倒しの人生

 じゃあ、あと、やってない事といったら、国政進出ぐらいか。選挙の話、もういろんな党から来ているんだろうな。沖縄出身、子育て、バツイチシングルマザーと、美味しい記号いっぱい持ってるもんなあ。お金に困らないで自由になれるって話はアカの他人でもなんか気分がいいけど、くれぐれも自由の使い道を誤らないでね。思いっきり老婆心でした。 

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馬鹿馬鹿らしい

2017-12-06 18:34:44 | スポーツ

 あれじゃないか、胴体、四肢、頭部、分解して明け荷に入れて東京運んだんじゃないか、貴ノ岩。

 んで、いま東砂の貴乃花部屋で組み立て直してるんじゃないか。「肩のビス1個足りないっすよー」「股関節んとこ余ってっぞ」「直径違うから無理っす」なんて、ブルーシート張った部屋で若い衆が手分けしてたりして。

 ・・まぁ、いくら親方がサイボーグっぽいからってそんなことはないでしょうけど、巡業投宿先まで記者とカメラが夜中まで張り付いて「あのうっすら灯りが漏れている窓に(人が)いると思われます」なんて、何の内容も無いレポートしているのは滑稽を通り越して、もの悲しいものすらありました。TV生中継付きの公開空き巣狙いかよと。

 お相撲さんの気の毒なのは、本人が好むと好まざるとにかかわらず、変装して群衆にまぎれたり、お忍びで脱出なり潜入なりってことができにくいというか、ほぼ不可能だというところですね。タッパがすごいし、胸板、お腹、上腕と身体の厚みはもっとすごいし、ロン毛で髷結ってるし、そもそも普通の人らしい普通の洋服を持っていないと思う。土俵上では比較の問題で小兵に見える、いや、見えた日馬富士さんでも、186センチ137キロです。何着てどこ歩いてたって、歩かないで突っ立ってたって目立ってしょうがない。

 ここ二日ほどは横綱白鵬関の“MONGOLIAN TEAM”ロゴ入りジャージ姿が問題になったり、「次ジャージ問題か、風呂上りジャージ着る普通」「朝青龍もう皆んなジャージ着て歩いてた」「愛国心愛してダメなの!?」と元・横綱朝青龍がツイッターで“インディアンウソつかない”みたいな斬新な文体で擁護したりしていますが、いっそ相撲協会公認ジャージ作って、販売しちゃったらどうでしょう。みんな体大きいから、生地がたくさん要りそうで、ジャージ業界、ファスナー業界、ゴム業界に特需景気が訪れる。浴衣業界からの反発が大きいか。夏場はともかく、冬季間などはジャージのほうが温かいし運動性も高いと思いますが、やはり日本古来の伝統の国技というところに抵触するのかな。 

 しかし、鏡山親方がTVカメラの前で郵便受けに“診断書提出要請”投函パフォーマンスなど見せられると、もうコレ、小学生のケンカレベルですな。「もう〇〇ちゃんとは絶交、クチきかないッ!」宣言して、「クチきかないから手紙書く」っつって机の端っこにこっそり入れたりするみたいな。当事者の皆さん相撲界だけに体の大きい人たちばかりなのに、プライドやメンツのサイズが昆虫級です。

 とりあえず、何処にいるにしても貴ノ岩関の医療ホチキスは外れたのかな。あの画像で見ると、普通に糸と針で、大門未知子さんが「失敗しないので」とやってるように縫合して抜糸するより、外すとき痛そうなんだけど。

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そこにはただ風が

2017-12-05 00:12:46 | お笑い

 昨日書いたとおり、“ネタ”と、“芸”もしくは“芸風”との相関あるいは逆相関問題に切り込むには、今年の月河は体温が低すぎるので、上沼恵美子さんの奔放発言でも改めて注目を浴びたM-1グランプリにおける審査員”に限定して少しだけ考えました。

 今年の7人のうちオール巨人さん、博多大吉さん、中川家お兄ちゃん、松本人志さんはバリ現役の漫才の人、上沼恵美子さんは元・漫才。渡辺正行さんはコント師で、金髪豚野・・じゃなくて春風亭小朝師匠は落語家。全員、テレビ・ラジオ番組メインMCとしても活躍歴があります。

 こうして眺めると、確かにバランスはとれています。中川家は2001年第一回大会のチャンピオンでもあり、現役活躍年代的にも1970年代~2000年代まで広くカバーしている。

 ただ、並んだ絵ヅラを見ていると、どうも息苦しいというか、饐えたような臭いがきつい気がするのです。“お笑い村”の“長老”あるいは“庄屋さん”“庄屋の番頭さん”の集まりみたいじゃないですか。“お笑い汁”がしみ込み過ぎて、洗って干しても落ちないくらい色が変わっちゃった集団です。客席は満員で、相応の盛り上がりや爆発も見せているのですが、審査員席だけなんだか空気が薄茶色いんです。上沼さんの顔がいくら白塗りでも埋め合わせつかないくらい煮しまっている。

 もちろん、漫才の技量、漫才のネタとしての質を競い、優劣つける番組ですから、みずからが演者としても、演者を仕切る司会者としても、演者を育成する師匠としても経験があり、「優れた漫才とはどういう漫才か」「どういう漫才がダメな漫才か」「漫才のネタとは」「漫才師とは」「ボケとは」「ツッコミとは」・・等々についてしっかりしたヴィジョンを持っている人でなければ、審査をする資格はありません。観客と一緒になって笑ったりしらけたりブーいったりして終わり、次のネタが始まる頃には前のを忘れてるような、ヘタしたら笑うタイミングすら二拍遅れになる様などシロウトでは困るわけです。

 しかし、これだけ“笑い汁臭さ”に浸かっている審査員席ってのもどうなんでしょう。司会の今田耕司さんはなるべくバランスよく、全員のコメントをかわるがわる取ろうとはしているのですが、誰が何を言っても、いちいちどよよーんと意味を持ちすぎる。

 そこでどうでしょう、まるっきりお笑いのシロウトではないけれども“お笑い専業”ではない、MC専業、それもお笑い番組ではなく報道や情報メインのキャスターやインタヴュアーを審査員の一郭に入れてみては。ちょっと具体的に固有名詞浮かばなくてすみません。・・昨日のスパークリングワインが残ってるかな。290mlぐらいで翌日に持ち越す様なタマじゃなかったんだが。それはどうでもいいのですが、こういう職種の人は、ネタや芸人トークオンリーで仕切ったことはあまりなくても、“ゲスト(たいてい複数)に言いたい事、得意な事を言わせて、番組的に面白くなる方向に引っ張っていって、時間内に着地させる”プロです。ボケがどう、ツッコミがどう、ツカミがどうだこうだという視点とはまったく別の、“番組を構成するコンテンツ”としてネタを見聞きし、芸人を評価してくれるのではないかと思う。

 なんかね、昨日の顔ぶれだと、決勝進出するくらいの組はみんな若手の域を超えていて、上下関係、いままでのM-1歴を含めて先輩後輩の序列もきっちり出来上がっているし、審査員の皆さんが“(いま演ったネタ以外の部分も)知り過ぎている”“コイツらの芸の底の深浅なんかとっくにお見通しさ”という閉塞感、ムラ内完結感がどうにも拭えないんですよ。“お笑い村”の中に生業を持っていない、お笑いで衣食していない人の感覚を入れてほしいのです。

 それも視聴者審査員のような、贔屓の芸人にだけネタがカスでもキャーキャー言う“ファン”ではなくて、たとえば本日のゲストインタヴュー相手が個人的に嫌いなタイプの人物や、情報のないポッと出のアイドルや、語彙が少なく口の重いアスリートであっても“喋らせて面白い面を引き出す”という姿勢で向かい合うのが仕事の人なら、同じネタ、同じギャグ、同じキャラでもお笑い村の長老たちとは違う感想を持ち、優劣をつけてくれるのではないでしょうか。

 そうねえ、徳光和夫さんや辛坊治郎さんじゃ本人がお笑い寄り過ぎるし、宮根誠司さんじゃ出場芸人が「隠し子ネタを演りにくい」と嫌がりそうだし、安住紳一郎さんじゃ「なんでアンタなんだ、たけし師匠連れてこい」と怒られそう。

 個人的には、局の垣根が高いでしょうが、NHKの武田真一さんか高瀬耕造さんに審査員やってほしいんですよね。垣根がスカイツリー級か。大爆笑してるところを月河が見たいだけだったりしますが。

 ・・・・・・それから、誰に審査員オファーするにしても、放送演出上の問題をひとつ指摘しておきます。ネタ見せの最中に、審査員の顔をひとり映りで抜くのはやめたほうがいいと思う。笑いが起きた瞬間に、風景として客席を抜くのと違って、何度も言うけど、意味を持ちすぎる。「あ、いまのとこ引っかかったな」「いまのは鼻で笑う笑い方だったな」等と脳裏をよぎって、ネタに集中できません。松本人志さんみたいに、ときどき、演じ中のネタよりこの人の顔のほうがおもしろいなと思う顔をする審査員もいるし。

 大物、ベテラン、制作陣に貢献度大の顔ぶれがずらっと並んでいるから、ディレクターさんもカメラさんも気遣いたくなるのはわかるけど、ネタ中はネタに集中しましょうよ。ネタが終わってから、ゆっくり映してしゃべっていただきましょう。さっき書いた審査員メンツチョイスの件も含めて、もっと風通しのいい番組でお願いします。

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いつもより早く回っております

2017-12-04 02:26:31 | お笑い

 先日、ちょっとしたアニバーサリーのためにと、セブンイレブンでブラン(白)のスパークリングワインを買っておいたのですが、その日は開けている暇がなくて冷蔵庫で休眠。

 でも泡ものはナマモノと一緒だし早めに・・と今日(3日)満を持して開けてシュワ~と注いで飲んだら、これが予想外にさっぱりして美味しい!ボトルには5段階の2で“辛口”と表示されていたのですが、ほぼ白葡萄のジュースのよう。プラス泡。キレがいいんですこれが。

 残さず泡がきれいなうちに飲み切れるようにいちばんプチな290mlを買ったのですが、もうほとんどひといきにクイクイ飲んでしまいました。

 泡ものだから炭酸ガスでアルコールも底上げされて、回るのが早いのなんの。改めて見たら“アルコール分12%”で、普通の、食事と一緒にお上品に飲むワインと変わらないのね。それをビールみたいにクイクイいっちゃったんだから回る回る。

 おかげで、『M-1グランプリ 2017』の、決勝ではなく敗者復活戦生放送の途中で寝てしまいました。だははは、面目ない。決勝が始まる頃には覚醒しましたが。

 NON STYLEパンクブーブーの頃まではかなり高体温で見ていたM-1も、最近は自分の中で、“ネタ”を評価しているのか“芸”を評価しているのかがよくわからなくなってきて、ちょっと遠ざかっていました。

 ネタはおもしろい、ユニークなんだけど、なんかこの人たちをもう一回、もう一ネタ見たいと思わないんだよなぁ・・と思う組が高得点をとる場面が増えてきたのです。「ここでどの組が選ばれるにしても、その人たちが“見てほしい、ウケてほしい”と頑張る客の中に、自分は入ってないな」と、ふと思うと、あっという間に視聴体温が下がって行った。

 今回優勝のとろサーモン、結成年次(2002年)的に今回がラストチャンスだったそうで、お疲れ様アンドおめでとうございます。ラストチャンスでなくても、この組が“勝ち抜け”してくれて、笑い飯の時とは別の意味でホッとしました。かねてから大方の評価は高いし、高い事自体には月河もさしたる異議はないんですが、苦手なんです。この人たちの芸風、空気感。敢えて言えば、目つき、顔つき。何年も見ていますがずっと苦手で、どのネタがとは言わず苦手でなくなったことはないので、これからも苦手のままでしょう。ちゃんと通して見た中では、決勝1stラウンドのスーパーマラドーナ、敗者復活戦の天竺鼠和牛は決勝1stもファイナルも良かった。やはり“漫才”なので、アクションやギャグや変顔の面白さじゃなく、“2人の会話から生まれる状況”の面白さで笑いたいと思います。来年はどうだろう、見るかなぁ。

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大相撲瓶瓶(びんびん)物語

2017-12-01 18:23:24 | スポーツ

 もう、大相撲なくなればいいのに。

 公益法人日本相撲協会や、〇〇部屋や△△親方がなくても、もちろん☆☆国出身力士会なんてなくても、日本伝統の徒手格闘技としての“すもう”は存続できるでしょうに。

 一昨日(11月29日)の横綱日馬富士の引退表明会見、何が驚いたって、「お酒が原因の事件ではない」と断言したところです。いやーびっくりした。「ワタシはいままで、お酒を飲んで暴れたり、人を傷つけたりしたことはないし、酒癖が悪いと人に言われたこともない」までは、酔っ払ってない酔っ払ってないって酔っ払ってる奴に限って絶対言い張るんだよね・・と、薄笑いで聞き流すことができましたが、その後にこの発言が来たのです。リモコンにせよシャンパンかビールの瓶にせよ、大の男が頭皮縫わなきゃならなくなるまでぶん殴ったのを「酒が入ったからじゃないもん」と言い切ったのです。

 つまりは、“酒が一滴も入ってない、どシラフだったとしても、同じ相手に同じ状況なら縫うまでぶん殴った”ということ。ひゃー凄い。ある意味勇気ある。一か月近くがちゃがちゃ騒がれている一連の騒動の見え方が、月河にとって一瞬のうちに変わりました。昔のTVドラマで、ショックを受けたときに静止画になってネガポジ反転して「ガーン」と効果音が出たような。蛭子能収さんの漫画なら額にスダレ線が入って汗がたらーってなる場面。それほどじゃないか。

  月河はそれまで、番付上位も下位も、先輩も後輩もともに飲んで全員お酒が回って、シラフの時なら当たり前に守れる礼儀も自制心も緩んでしまって売り言葉に買い言葉になり、取り囲んでいた周りも酔っ払ってるから危機感も緊張感もうすく、「すぐやめるだろうデヘヘ」と特に真剣に割って入るでもないうちにあれよあれよと十何発入っちゃったぐらいの話だと思っていたのです。手を出したほうも出されたほうも、そこまで緩むほど飲んだのがまずかった、恥ずかしい面目ないのはお互い様だけど、現に怪我させたほうが圧倒的に悪いから、酔いがさめたら地位が上でも飛んでいって真っ先に謝る、頭下げて、痛かったろういやーすまなかった、病院代は無論オレが持つ、治るまでゆっくり休め・・で円満解決できる事案だと思っていました。

 それが何でこんなにこじれる?単なる上下関係じゃなく別々の部屋の親方がからむから?モンゴル人力士会というサブシステムが入ってるから?・・といろいろ考えていたら、まさかの怪我させた側からの、事実上の「飲んでなくてもやった」宣言ですよ。酒で一時的に判断力自制心が弱まっていたから手が出ちゃったと見なしてもらったほうが明らかに犯情が軽くなるとわかるはずなのに、こう言っちゃうと、“犯意”があったに等しいわけじゃないですか。先輩として礼儀礼節を教え込むためであれ何であれ、正常な意識と判断のもとに鉄拳ならぬリモコンをふるった、ふるいすぎて怪我させたことは謝って引責引退するけど、礼儀礼節は大事なんだから今後も忘れちゃならんよ、と言いおいて退場する。

 つまりは遠回しに、やり過ぎはいかんかったけど、“やられても仕方のない、シラフの頭で考えても理に合った原因は、被害者側がつくったんだよ”と暗に主張して、結果的には被害者が反論しないうちに自分で幕を引いたわけです。

 凄い。いろんな意味でというより、無数の意味で凄いわ。 

 あらためて「どんな理由でもいまのご時世暴力はいかん、暴力に訴えたらアウト」なんて繰り返す気は毛頭ありませんが、最も厳しく反省すべきは日馬富士個人じゃなく、彼を横綱に推した人たちではないでしょうか。短年月に、もうこれで二人めですよ、暴行、警察沙汰で引責引退の横綱。“大関で2場所連続優勝、もしくは1優勝1準優勝”とか、“力量のみならず品格も抜群”とか、読みようでいろいろになる条件を山と積み重ねたって、「要は人を見る目がなかった」という結果が、これだけ高確率で続いている以上、基準を変えるか、人間(=横審メンバー)を変えるかしないと、結局三人め四人めを輩出するのは目に見えている。

 それから、あるのかないのか判然としないけど所謂“モンゴル力士会”の件について思ったこと。今回の騒動中、何度もいろんな番組でお見かけした杉山邦博さん、NHKを定年退職されてからも大相撲をライフワークにされていますが、「モンゴル人力士が増えて、楽屋でも(モンゴル人同士にしかわからない)モンゴル語の会話が飛び交うようになり、僕ら取材陣は“それはやめてくれ”と部屋に申し入れしたことがある」と仰っていました。これは情けない話じゃないですか。相撲記者が相撲の力士を取材するなら、力士の母国語ぐらいマスターして突撃すべきです。

 もちろん、郷に入ったら郷に従えで、何国人だろうと日本の大相撲に入門する以上は、少なくとも相撲取りとして活動する時間と空間では日本語を習得して話すよう、師匠もおかみさんも兄弟子も目いっぱい指導する義務があるし、弟子たちも必死になって勉強しなければいけませんが、受け入れ対応する側が「勉強して日本語で話してくれないとお手上げ」では、勉強しなさいと叱咤する権威も気勢もぐらぐらす。

 聞いた話ですがテニスのウィンブルドン大会で主審をつとめるクラスの審判員は、エントリーする選手の母国語の所謂四文字言葉=対戦相手や不利な判定を罵倒したり毒づいたりする言葉、卑猥な言葉等をひと通りリストアップして、頭に入れてから試合に臨むそうです。紳士淑女のスポーツであるテニスといえども、エキサイトした選手は英語で毒づいてくれると決まったわけじゃないですからね。フランス語、ドイツ語、スペイン語、ロシア語、イタリア語、スウェーデン語にルーマニア語にクロアチア語、何国人の選手が地金を出して母国語で毒づいても、毒づいたと気づいて指摘できなきゃ審判の役を果たせない。たとえば錦織圭選手が外国人選手との対戦中、相手の微妙なショットがインの判定だったりした時に日本語で「クソ野郎死ね」と口走っても(口走らないでしょうけど)、「ハイいまの違反ね」とお咎めがあるはずです。

 日本の大相撲もこれだけ外国人に門戸を開き、上位に上り詰める例も増えてきた以上、受け入れる側が、門を叩いてきた者の言葉を知らない、何言われても意味わからないでは済まされないと思います。でないと「日本語を覚えろ、日本語で話せ」と胸を張って言えないじゃないですか。モンゴル人を受け入れたら支度部屋や花道や、風呂場でモンゴル人同士、どんな会話をしているか、誰が誰と仲が悪いか、どんな悩みを持ってどんな愚痴を言っているかわからないで、何を指導監督するというのでしょう。「ウチの親方死ねばいいのに」「今度おかみさん押し倒してやる」とか(言わないでしょうけど)、博打や買春やクスリの話にモンゴル語で花を咲かせていたら(咲かせないでしょうけど)、こらこらチェーーック!入れられるようになって、初めてモンゴル人の弟子を取る資格があると思います。

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