KMCが設立されたのが1968年である。マッハⅢが発売された年である。
カワサキの「ブランド」が意識されだしたのは、これ以降だと思う。
アメリカ市場がカワサキの二輪事業全体を引っ張った時期である。
72年にはZ1が、73年にはジェットスキーが開発されて、
今も全世界のカワサキで基本コンセプトとして使われている
「Kawasaki let the good times roll」が発表されたのである。
今から35年も前のことである。
翌年には、リンカーン工場が稼動し、ジェットスキーの生産が始まった。
日本の自動車工業会でトップを切ってアメリカ進出を果たした。ホンダさんよりも、早かったのである。
日本で一番アメリカナイズされていたかも解らない。
その頃のコンセプトのひとつは「現地主義」であった。
そして、Kawasakiの[Good Time Concept]は当時のアメリカの広告界の話題となったのである。
当時のKMC社長は後、国内のBMW JAPANの社長として右ハンドル車を導入し、BMWを立て直した浜脇洋二さんである。
私自身は、これをはじめて聞いたとき非常に感動したのを覚えている。
ある意味、これがカワサキのブランド戦略のスタートと言っていい。
その後、フライングKやKAWASAKIからKawasakiなどへのロゴの変遷などもあった。
そして、アメリカを風靡したGood Times Conceptも一時期使われなくなっていたのである。
大体日本人は一般に、生産管理型で数値目標を立ててその達成を図ったリ、効率化のための改善などの活動は得意であり、関心度も高い。
然し、理念とかビジョン、ブランド戦略などは、得意でもないし関心も薄いのである。
極端に言えば、「金にならない」と思っているのである。
このコンセプトをアメリカで復活したのは、
高橋鉄郎さんが企画室長、田崎さんがKMC社長、私が企画を担当した1976年である。
そして、全世界での統一コンセプトとして国内にも適用したのは、
高橋さんが事業本部長で私が国内の3度目の担当をした1989年である。
高橋さんは、このような理念、ビジョンに対して非常に関心を持たれていた。
若し、高橋さんが居られなかったら、こんなことにはなっていない。
数値目標には関心の強いトップは多いが、理念やブランドを言う人は少ないし、今でも日本では受け容れられない風潮が強い。
安倍さんが掲げた「美しい国」に対する反応を見てもそれが解る。
川崎重工業は昨年大橋社長が一歩進めて、
「ミッションステートメント」を発表した。
カワサキもそのミッションを語れる企業に成長した。
流石、お二人ともアメリカで育ち現地の経営を経験した国際派の、会長、社長である。
誠に、ご同慶の至りと思っている。
そんなビジョンを追っかけるカワサキだから、OBのなった今も応援をしようと思っている。
そして、私の住んでいるまち三木も「日本一美しいまちをめざす」という高い目標を掲げているので、
わたしも、後押ししようと思っているのである。
カワサキの「ブランド」が意識されだしたのは、これ以降だと思う。
アメリカ市場がカワサキの二輪事業全体を引っ張った時期である。
72年にはZ1が、73年にはジェットスキーが開発されて、
今も全世界のカワサキで基本コンセプトとして使われている
「Kawasaki let the good times roll」が発表されたのである。
今から35年も前のことである。
翌年には、リンカーン工場が稼動し、ジェットスキーの生産が始まった。
日本の自動車工業会でトップを切ってアメリカ進出を果たした。ホンダさんよりも、早かったのである。
日本で一番アメリカナイズされていたかも解らない。
その頃のコンセプトのひとつは「現地主義」であった。
そして、Kawasakiの[Good Time Concept]は当時のアメリカの広告界の話題となったのである。
当時のKMC社長は後、国内のBMW JAPANの社長として右ハンドル車を導入し、BMWを立て直した浜脇洋二さんである。
私自身は、これをはじめて聞いたとき非常に感動したのを覚えている。
ある意味、これがカワサキのブランド戦略のスタートと言っていい。
その後、フライングKやKAWASAKIからKawasakiなどへのロゴの変遷などもあった。
そして、アメリカを風靡したGood Times Conceptも一時期使われなくなっていたのである。
大体日本人は一般に、生産管理型で数値目標を立ててその達成を図ったリ、効率化のための改善などの活動は得意であり、関心度も高い。
然し、理念とかビジョン、ブランド戦略などは、得意でもないし関心も薄いのである。
極端に言えば、「金にならない」と思っているのである。
このコンセプトをアメリカで復活したのは、
高橋鉄郎さんが企画室長、田崎さんがKMC社長、私が企画を担当した1976年である。
そして、全世界での統一コンセプトとして国内にも適用したのは、
高橋さんが事業本部長で私が国内の3度目の担当をした1989年である。
高橋さんは、このような理念、ビジョンに対して非常に関心を持たれていた。
若し、高橋さんが居られなかったら、こんなことにはなっていない。
数値目標には関心の強いトップは多いが、理念やブランドを言う人は少ないし、今でも日本では受け容れられない風潮が強い。
安倍さんが掲げた「美しい国」に対する反応を見てもそれが解る。
川崎重工業は昨年大橋社長が一歩進めて、
「ミッションステートメント」を発表した。
カワサキもそのミッションを語れる企業に成長した。
流石、お二人ともアメリカで育ち現地の経営を経験した国際派の、会長、社長である。
誠に、ご同慶の至りと思っている。
そんなビジョンを追っかけるカワサキだから、OBのなった今も応援をしようと思っている。
そして、私の住んでいるまち三木も「日本一美しいまちをめざす」という高い目標を掲げているので、
わたしも、後押ししようと思っているのである。