60おじさんの日記、最新版はトライアルのことなのだが、いっぱいコメントが寄せられている。
そんな中に、こんなのを見つけた。
『はじめまして。
何気なく叔父の名前を検索してましたら、こちらのページに行き当たりました。
叔父は滋野靖穂と言います。
おそらく、ブログを拝見した様子では叔父と一緒にレースに出られていたのでしょうか?私は滋野靖穂の長兄の娘で(と言ってももうかなりのおばさんですが…)子供の頃、よく叔父のレースを見に行っていた記憶がかすかにあります。
なんだか、突然このようなメールをしまして失礼します。何か叔父のエピソードなどお聞きできたら…
| あいまま | 2009/06/05 4:45 PM |
もうずっと昔の話だが、まだブリジストンが二輪業界にいて、50,90ccの分野のレースに活躍していた時代、滋野選手はBSのエースライダーであった。
年間の最優秀選手に選ばれて、ご褒美にヨーロッパに派遣されている。
この記録の中には、当時の懐かしいライダーの名前もいっぱいである。
60おじさんはこんな風に、コメントで返している。
『あいままさん初めまして、いやービックリです!ようこそです。
滋野靖穂選手とは随分ライバルバトルを展開いたしました、中でも私が一番印象に残っているのは、第1回鈴鹿ジュニアーロードレースです。
スタートより終始雨の中のレースでした、ホンダの佐藤実・鈴木義治選手に続いてブリジストンの滋野選手が3番手を走っていました、しかしそのスリップストリームにピッタリとカワサキ山本が終始付いていたのです!
最終周にスリップから抜けた山本は鈴鹿サーキットの表彰台に初のカワサキマシンを歴史的に上らせたのです。
カワサキにとっても、山本にとってもこのロードレースが初出場でした。
たぶん滋野氏は一番苦い思い出だと思います。
また滋野氏の僚友だった、的野氏もとても速い選手でしたが、その後カワサキの技術部に来られてからは仲良くさせてもらってます。
ブリジストンレーシングチームの事は最近別冊モーターサイクリストで毎号特集を組まれていますのでとても懐かしんで見ております。
乱筆で失礼しましたが、滋野叔父さんにくれぐれもよろしくお伝えください。
| 60おじさん! | 2009/06/05 11:22 PM | 』
山本が書いている、この鈴鹿のレースは私は現場にはいなかったが、若しこのレースで山本が入賞していなかったら、カワサキのロードレースへの展開もまた違ったものになっただろう。
何度もご紹介した『カワサキがはじめて鈴鹿を走った日』なのである。
滋野選手はモトクロスにも出場していたが、ロードレースの50,90はめっちゃ早かった。『天敵』とも言える存在であった。
BSのマシンもよかったのだが、何人も居るBSのライダーの中でも彼の記録が飛び抜けていた。
FISCOでカワサキもヤマハもみんな滋野にやられて、エンジンが彼のマシンだけ大きいのではないか?
金を積んだらエンジンを開けさせられる規定があって、一度あけさせるかと、本気でそんなことを考える人も出てきたりした。
それくらい早かった。
今、MFJのモトクロス委員長をしている田中隆造さんなどもBSのチームメイトであった。
そんな滋野に山本が勝てたのは、当日の鈴鹿が雨だったのが最大の理由だと、
私は思っている。
最後までお読み頂いて有難うございました。
お手数ですが、ちょっとクリックして頂けますか?
そんな中に、こんなのを見つけた。
『はじめまして。
何気なく叔父の名前を検索してましたら、こちらのページに行き当たりました。
叔父は滋野靖穂と言います。
おそらく、ブログを拝見した様子では叔父と一緒にレースに出られていたのでしょうか?私は滋野靖穂の長兄の娘で(と言ってももうかなりのおばさんですが…)子供の頃、よく叔父のレースを見に行っていた記憶がかすかにあります。
なんだか、突然このようなメールをしまして失礼します。何か叔父のエピソードなどお聞きできたら…
| あいまま | 2009/06/05 4:45 PM |
もうずっと昔の話だが、まだブリジストンが二輪業界にいて、50,90ccの分野のレースに活躍していた時代、滋野選手はBSのエースライダーであった。
年間の最優秀選手に選ばれて、ご褒美にヨーロッパに派遣されている。
この記録の中には、当時の懐かしいライダーの名前もいっぱいである。
60おじさんはこんな風に、コメントで返している。
『あいままさん初めまして、いやービックリです!ようこそです。
滋野靖穂選手とは随分ライバルバトルを展開いたしました、中でも私が一番印象に残っているのは、第1回鈴鹿ジュニアーロードレースです。
スタートより終始雨の中のレースでした、ホンダの佐藤実・鈴木義治選手に続いてブリジストンの滋野選手が3番手を走っていました、しかしそのスリップストリームにピッタリとカワサキ山本が終始付いていたのです!
最終周にスリップから抜けた山本は鈴鹿サーキットの表彰台に初のカワサキマシンを歴史的に上らせたのです。
カワサキにとっても、山本にとってもこのロードレースが初出場でした。
たぶん滋野氏は一番苦い思い出だと思います。
また滋野氏の僚友だった、的野氏もとても速い選手でしたが、その後カワサキの技術部に来られてからは仲良くさせてもらってます。
ブリジストンレーシングチームの事は最近別冊モーターサイクリストで毎号特集を組まれていますのでとても懐かしんで見ております。
乱筆で失礼しましたが、滋野叔父さんにくれぐれもよろしくお伝えください。
| 60おじさん! | 2009/06/05 11:22 PM | 』
山本が書いている、この鈴鹿のレースは私は現場にはいなかったが、若しこのレースで山本が入賞していなかったら、カワサキのロードレースへの展開もまた違ったものになっただろう。
何度もご紹介した『カワサキがはじめて鈴鹿を走った日』なのである。
滋野選手はモトクロスにも出場していたが、ロードレースの50,90はめっちゃ早かった。『天敵』とも言える存在であった。
BSのマシンもよかったのだが、何人も居るBSのライダーの中でも彼の記録が飛び抜けていた。
FISCOでカワサキもヤマハもみんな滋野にやられて、エンジンが彼のマシンだけ大きいのではないか?
金を積んだらエンジンを開けさせられる規定があって、一度あけさせるかと、本気でそんなことを考える人も出てきたりした。
それくらい早かった。
今、MFJのモトクロス委員長をしている田中隆造さんなどもBSのチームメイトであった。
そんな滋野に山本が勝てたのは、当日の鈴鹿が雨だったのが最大の理由だと、
私は思っている。
最後までお読み頂いて有難うございました。
お手数ですが、ちょっとクリックして頂けますか?