雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

教育とは?

2009-12-16 03:42:15 | 発想$感想
先週の日曜日の『たかじんのそこまでいって委員会』は、日本の教育についての議論であった。

『高校、大学と続く日本の高等教育。しかし質の劣化は年を追うごとに酷くなっていると言われます。ーーーーーー中学生レベルの学生たちを集めて、「学士」として送り出すだけの施設に成り下がった大学・・・最高学府がこの状況で、未来を背負う人材が本当に育つのでしょうか?

日本の「教育」、何が一番の問題だと思いますか? 』


と意見を求めている。
確かに、小学校の基礎教育は大事なように思う。
高校、大学の学問と『未来を背負うリーダーなど』本当に関係があるのだろうか?


私の尊敬する『本田宗一郎』さんの学歴はどこまで卒業されているのか、よく知らない。
松下幸之助も田中角栄も大学卒などではない。

学校での学問など、知識として知っているほうがいいだろうが、
専門の知識は、専門家を上手に使えるほうが、自分で覚えるより効率的である。
とずっと思って生きてきた。
『中学生レベルの学生たちを集めて、「学士」として送り出すだけの施設に成り下がった大学・・・』
何か自分自身のことを言われているように思った。




私は昭和8年生まれ、終戦の8月が中学1年生の夏だった。
外地のソウルにいて、その頃はソウルも日本だったが、空爆などなかったので、
小学校時代は、よく遊びよく勉強した。

引き上げてきて、名門の誉れ高い神戸1中に何故か無試験で入学できた。
無試験で入学したからか、2年生までは意地になってよく勉強した。
学年で10番以内になったこともある。学年で50番以内を『特』と言っていた。

私は大学の5回生まで行った所謂学卒だが、
勉強したのは中学2年生までで実質中学卒だと思っている。

神戸1中の旧制の最後の学年なのだが確か2年の終わりごろに、県1女と男女共学になって、英語も数学も授業の内容が、女子のレベルに合わせて、1年ほど以前のレベルになったのである。それで3年は勉強しなくてよかった。

高校進学が学区制のために、地元の明石に転校を余儀なくされた。
そこでまた、レベルは更に逆戻りした。
然し、明石は野球は名門校であった。
野球の練習は凄まじく、野球ばかりやって卒業したようなものである。
お陰で昭和25年の夏は甲子園にも出場できた。

大学では、輪をかけて野球ばかりに没頭した。
単位は直ぐ取れたが、「可」ばかりで、卒業を1年延ばして野球部の監督をして、優勝は出来なかったが2位だった。
大学で学んだ学問は何もない。
とにかく学校に行っても食堂とグランドだけで、教室にはほとんど入っていない。

翌年、川崎航空機には社長のコネで入れていただいた。
面接の最初の質問が『君は成績が悪いねえ』だったが、
後で『君、面接だけはよかったよ』と社長に言っていただいた。



会社では、『入れて頂いた借り』をちゃんと返さないとと、退職する最後までそう思っていた。
『今、何をすべきか』だけを考えて、50年近くを過ごしてきた。
やった仕事のほとんどが、新しい仕事で、引継ぎを受けた経験がない。

好奇心は人一倍あったから、担当する分野は、プロでなければならないと思っていた。
そういう意味では学問ではないが、結構勉強はした。


教育とは、小学校時代に、
もっと人間としての行き方、礼儀など基本的なことを、『もっと厳しく』教えるべきである。
基本的なことさえ出来ていたら、会社の仕事など、特に事務屋など中学でも大学出でも同じである。そう信じてそのように対処してきた。
自分の子どもたちにも、挨拶などは厳しく言ったが、『勉強せよ』とはただの1回も言ったことはない。


教育論も、何か形ばかりを追っかけている。
『何になる』ことばかりを追っかけ過ぎる。
それよりも、『何をする』かのほうが大事だし、結局そのほうが面白い。

『何になること』ばかりを追っかけて、結局『何も出来ない』よりも、
『何かが出来て』素直に自然に生きるほうが、よほどいい。

『教育とは』 知識を詰め込むことなのか。『人を育てる』ことなのか。
その辺りから、問い直してみて欲しい。

よく解っていないのですが、
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コメント (2)
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