雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

平成11年(1999)6月5日 現役生活最後の年 66歳

2011-12-26 12:30:58 | 自分史

★札幌の2年間は、この年の6月5日で終わった。

同時に私の現役生活は終わったのである。ずっと自分史を書いてきたが、その大部分が会社の生活であったが最後の2年間も全力投球できた2年間であったことがホントに幸いであったと思う。

札幌からの帰郷は飛行機を使わずに22時間のエクスプレスの旅を家内と一緒に楽しんだ。

駅には会社の人たちが大勢見送りに来てくれた。

見送られてた汽車の旅などこれで2回目、いずれも勤務地からの帰郷の旅で1度目は仙台から戻った時、

そしてこの時の札幌が2度目である。

新婚旅行などで駅の見送りの風景などはあったが、自分の結婚式のときには、そんなの全然なかったので、この2回の見送りは、よく今でも覚えている。

 

2回ともその主体になっていたのは、現地の人たちであったことが非常に嬉しかったのである。

会社の上下関係などを通り越して、一緒に働いた仲間として見送って頂いたような気がしている。

 

★特に、札幌の場合は、たった2年間の短い期間だったのに、この後3年間も顧問として厚遇頂いたし、その後また、社員の九州旅行にも誘って頂いたりして、ホントに良かったと思っている、

『くも膜下』の後の診断も兼ねて、その後も3カ月に1度中村記念病院の診察も兼ねて札幌を訪ねていたし、何となく69歳まで会社にいたのではないかと錯覚してしまうのである。

この2年間で、北海道川重建機の業績などが顕著によくなったとか、そんなことは一切なかったと思う。

そう言う意味での貢献は一つも出来ていない。

 

その後どうなったかは、よく解らないが、

就任した当時の一種独特の経営体質は間違いなく一変したと思うし、特に中堅の若手社員の方たちへの人事待遇などはシステムとして幾らか変わったと思う。

開発局から来られた松田さんもタダ名前と顔だけで貢献されるのではなくて、会社の企画の中枢として、その資質にあった仕事を担当して頂けるようになったのである。

旧い会社だから、いろんな地元の方々や銀行などとの関係もあったが、この方たちからは、川崎重工にいたということは、いいように受け取って頂いた。特に二輪業界の、従来の国内企業とはちょっと違った先進的な発想は、非常に珍しく新鮮に映ったのか、官庁、銀行、建機業界の方たちと、オモシロイお付き合いをさせて頂いたのである。

 

日本社会はいろんなことを、官庁はこうだ、お役人はこうだ、大企業はと、いろいろ枠にはめ込んでしまうことが多いのだが、

どんなことでも、『常識で考えたら』を基本にしているものだから、この2年間も一切建機業界の風習に染まらずに、自分のスタイルで押し通せたことが、非常に大きな自信になったし、

川重建機の人たちもそれなりに新しい世界を経験できたのはよかったのだと思う。

その後どのように変わったのか、詳しくは知らないが、2年という歳月がちょうど良かったと思っている。

あと2年もいたら、もっとドラスチックに変えたいと思うようなところが、いっぱい出てきたに違いない。

そんな構造的は改革みたいなものを若しやってしまったら、それがホントにいいのか悪いのか?ちょうど大阪の橋下さんのように次の段階に進まざるを得なくなってしまうはずである。

 

★そんな現役最後の、札幌の2年間であった。

1999年、北海道はプロ野球は圧倒的に巨人ファンばかりであった。

札幌ドームは工事中でまだ完成はしていない。

札幌駅もまだ工事中、道央の高速道路もまだ開通していない。

そんな時期だった。

アレからもう10年以上も経つ。

 

★一度北海道もゆっくり訪ねてみたいなという気持ちもある。

何よりも自然がいい。

食い物も旨いという。

確かに、旨いものはいっぱいあるのだが、戦後育ちなのか、口いやしいのか、北海道でなくてもどこで何を食っても旨いと感じるのである。

 

その中で敢えて言えと言われたら、

タラバがに。 タラバは蟹ではなくて、エビだそうである。あの足の身の豪快さがいい。

蟹の身をせせって食うのは、もう一つ性に合わないのである。食うのが面倒なのである。

その点、タラバの足は豪快にかぶることが出来るのである。

 

魚は、北海道の人は、白身の魚よりは、脂っこい魚を好むようである。

北海道の米もそうだが、少し本土の人と味覚が違うのではと思ったりした。

 

★ ちょうど42年間、顧問の3年間も入れると45年間、会社と関係のある生活をした。

100%以上満足した現役生活で、もう一度やり直せと言われても、この通りでいいと言い切れるオモシロイことこの上ない会社生活だった。

指示されて15回職場を変わっているが、前任者の引き継ぎをして業務を進めたことはないと言っていい。そのうち10回は殆ど新しい職場で自分の思う通りのことをやることが出来た。

上司から仕事のやり方を指示されたことも皆無である。何故か上司が経験しないようなことばかりをやってきた。

 

だから、形通りの決められたことをするのは、全く苦手だと思う。

この3年ほど、また新しく昔の仲間と、NPO The Good Times など、何をやってるのですか?と聞かれると、答えに窮してしまうような、あまり世の中に存在しないような法人の経営を結構広い分野でやっている。

月の経費が5000円しか発生しないような法人はあまり世の中には存在しないのである。こんな事が出来るのも、45年間の貴重な経験のお陰なのである。

これで、自分史会社の45年間も一応終わったが、全然書ききれてはいないような感じもする。

あとどうするかは、また考えてみたい。

会社生活の自分史は、この年末とともにこれで終わって、以降年金生活の生活に移っていきたい。

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仕事のスピード雑感

2011-12-26 05:00:32 | みっきぃふるさとふれあい公園

★毎日、大阪の橋下徹さんのニュースが全国区で流れている。

都構想だとか、地方から政治を変えるとか、大きな話題で取り上げられてきたが、

この一両日は大阪市役所の仕事に戻って、そのスピード振りが話題である。

 

行政でも、会社の仕事でも、一般にそのスピード感のなさは、時代のテンポに全く合っていないような気がしてならない。

どうも、自分自身がせっかちな性分で、トロトロしているのは嫌いなのである。

それ以上に、『最大のコストは時間である』 とは、もう何十年前の現役のころからそう思っていた。

いろんなところで、『コスト計算』などやっているが、そんな暇があったら、もっとどんどん先を急げと言いたいのである。

 

人件費が、大きなコストだという認識は、どなたにもあるらしい。

だから、人員削減や、給与のカットなどには、至って熱心なのだが、

同じ仕事でも2倍の期間が掛ったら、その人件費は2倍になったという感覚があまりない。

そのあたりが誠に不思議である。

 

会議でも、議会でも、そこに出席している人たちの時給を計算して、全部で幾ら掛っている会議なのか一度計算してみたらいい。

一番無駄なのが、あまり実質的な効果もない会議や議会のような気がしてならない。

それがないと、ホントに企業や行政は成立しないのか?

中小企業などでは、取締役会などみんな書類で片付けているところはいっぱいある。そんなことしている暇はないのである。

大きくなれば、それを形だけでもやりたがる。

 

★日本でも、仕事が滅法早いところはある。

各企業の生産現場は、世界一の時間管理がなされている

だから、日本の生産管理体制は世界一だと言ってもいい。

 

ダメなのは、ホワイトカラーや、エラそうにしている中間管理層やトップと言われる人たちの方である。

だから『現場は一流、トップは三流』などと言われるのである。

スピーディーな判断が出来ないトップや計画ばかり作っている企画マンが多すぎる。

書類を作ることや、それに印鑑を押す事が仕事だと思っている人たちが多すぎるのである。

そして、その人たちの給与が結構高いのである。

 

★橋下さんの仕事は早いから気持ちがいい。

2年も掛る決定を2日でやったなどと新聞に報道されているが、それはともかく、何事も期限を切ってやるのがいい。

 

若いころ、二輪のレースの世界にいた。

スタートラインに決められた時間につかなかったら、失格である。

競争は秒の単位で争われるのである。 勝ち負けは明白だし、負けたら次のレースまでに対策を建ててまた頑張る世界なのである。

常に、目標のリミットは決められていて、それに間にあわなかった人やグル―プは失格、競争に参加すら出来ないのである。

 

企業競争などと口では言っているが、大企業に勤めている人たちに、あまりそんな意識はなくて、競争の本質が解っていないのではなかろうか?

1期4年では出来ないというような首長は、

『4年間で何かをしよう』としているのではなくて、『4年間市長を、出来れば8年間』市長の椅子に座っていたい人たちなのである。

 

★私も現役のころ『あんたはのぞみ』だが、『各駅停車に乗ろうとする』人たちが付いていけないとよく言われたものである。

でも、そんなことあまり心配しなくていい。

人間は、だんだん環境に慣れて、そのうちテキパキ仕事をする方が楽しくなるそんな生き物である。

ホントに昔だが、高校生の頃、神戸港の沖仲仕、いわゆる当時のアンコと呼ばれるアルバイトに行っていた。

港の停泊料は高価で船は予定の時間になったら、積荷を残してでも出港してしまうのである。

アンコの作業は時間までに全て完了するように、テキパキと行われる。だから他の仕事に対してアンコの時給は圧倒的に高いのである。

 

そんな当たり前のことが解っていないリーダーが多すぎるような気がしてならない。

 

★いまは、 NPO の仕事か、遊びか、趣味かもう一つ、解らぬことを、仲間と一緒にやっているが、

一緒に集まっている人たちも、意外に対応の早いのが集まっている。

 昔のレース仲間もいっぱいいるので、早くやるというのが、習性にになっているのかも知れぬ。

 

★突然、写真だが、

先日、ちょっと紹介したBERT (Bikers Emergency Resuponse Team)という災害対策チームの会合を神戸で、昨日開催した。

片山敬済さんは、世界チャンピオンだから、早いのは当然だが、他のメンバーも心地いほど発想もいいし、対応もいい。

このスピードは、間違いなく橋下さんよりは早いかもしれない。

 

私のヨコの女性は今年の春、『カワサキの想い出そして未来』で中心的な役割を果たしてくれて、つい先日、関西テレビの番組で『人間国宝』に認定された腰山峰子さんである。

仕事が早いだけではない。鈴鹿サーキットを確か2分40秒代で走りきるライダーでもある。バイクに乗せても、そのあたりの男性ライダーはついていけない『人間国宝』なのである。

みんなNPO The Good Times のメンバーさんでもある。

BERTは、全国展開だが、昨日の話は、『三木防災総合公園』を舞台に繰り広げようとする楽しいイベントのコンセプト談義だったのである。

骨子もコンセプトも実施スケジュールの概要も殆ど決まった。

Facebookに秘密のグループ(承認制のグループ)『笑って遊ぼうミキランド』がもう立ちあがっている。

今はまだ、この写真に載ってる5人だけだが、そのうちトモダチ招待しますので、よろしく。

 

これくらいのスピードで動かぬと、オモシロくないのである。

 

コメント (2)
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