★蕪会、 もうずっと以前に、川重の明石工場の課長や部長の会として、つくられたものだが、明石工場がどんどん大きくなって、あまりに多くの事業部のOB会になってしまって、もう一つメンバーがよく解らなくなってしまったこともあって、今回からまた設立当初の発動機や単車関係だけに絞られたOB会として再編されたようである。
私は、現役のころからこの会には一度も出席することもなかったのだが、今回から新会長が森田進一さんというかっての仲間が務めると言うこともあって、初めて出席したのである。
ホントに久しぶりの川重工明石工場なのだが、かっての本部のあった通称3研という戦前からの建物が国の建物地震基準に対応できなくなって、新しく別のビルを建てたので、そこで開催されると言うこともあり、建物も見てみたくて出席したのである。
動画に撮ってきたので、その雰囲気だけはお解り頂けると思う。
出席者約70名の内、10人ほどを除いてはよく知っている人達ばかりで、
81歳にもなると、間違いなく旧い方なのだが、それでも先輩たちが10人ほどもおられたし、同期入社の人も4人もいた。
森田進一新会長の挨拶から始まった。
★西海昌一先生、明石工場の診療所の先生である。
年上であることは間違いないのだが、お歳を伺ったら94歳と言うことでビックリした。
先生は、覚えておられなかったが、西海先生は私のある意味、命の恩人なのである。
私は学生時代から肺結核に掛っていて、当時は空洞もあったのだが、一度も野球は止めることなく続けていた。
診療所から、野球はダメと言われていたのだが、ある日ユニホーム姿を西海先生に見つかってしまったのである。
そのためだろう検査があって。『君は菌が出てるから、事務所に置いておくわけにはいかない』と直ちに三田の療養所送りになったのである。そこで検査をしたら菌などは出ていなかったのだが、それを理由に入院させないと、ダメだと言う判断だったのだと思う。
お陰さまで、療養所生活1年足らずで、空洞も消え失せ、健康になって退院、職場復帰しその時点で新しい事業の単車部門への異動が決まったのである。
それにしても、先生お元気である。
このメンバーで群を抜いての高齢者なのだが、どう見ても94歳には見えないのである。
同じ長生きするなら、これくらいしゃんとして生きていたいものである。
60も経つと木も大きくなるものである。
そして、戦前からの運転場の雰囲気は昔のままである。
そして、これが新しくたった新庁舎である。
時代の移り変わりを、いろいろなもので感じた蕪会であった。
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