★ 日記なるものを書きだしたのは昭和28年(1953年)だからもう60年以上も続いていることになる。
毎日の日課みたいになっていて、習慣になりなんとなく続いているのである。
一番最初はこんな大学ノートで、ある日突然始まっている。
そして今は、『5年連続の当用新日記 2012-2016』という相当立派なものを使っている。
最初の年はノート、翌年は日記帳、そのうち3年連続の当用日記になり、現在はそれが5年になっている。
5年にしたのは、その日記を書き終えるまで5年間頑張ろうと思うような歳になってからである。いまの日記は、来年までどうやら最後まで書けるかも知れぬが、次の5年間が最後まで持つかどうかは、自信がない。
2階の私の部屋にこんな形で置かれているので、昔のことをチェックするには非常に便利である。
覚えているようでも、人間の記憶はそんなに正確ではない。思い込みもいっぱいあって、それをチェックするには日記は大いに役に立っている。
その点、ネットの世界はいい。
同じ、日記でも『雑感日記』はネット上に、正確に写真や動画付きできっちりと整理され保管されている。 この点は同じネットでも Facebook などは全部は残してくれないので、その点『ブログ』は重宝しているのである。
なぜ、突然日記を書きだしたのか?
その理由は、二つある。
一つは、朝日新聞の記事に、『蒋介石は30年日記を書いているから立派だ』という記事が出ていて、それくらいのことなら自分でもできるだろう。
と思ったのが一つ目の理由である。
私は結構粘り強い。『簡単なことの継続』なら自信がある。 逆にムツカシイことは途中までで最後までやることは意識的にしない。
勉強もそうだが、囲碁でも、ダンスでも、ゴルフでも、野球でもそこそこのところまでは頑張るが、一応の水準になるとそれで満足してしまうのである。そこから先は幾らやっても苦しいだけで、目標完遂など専門家にならぬと無理だと思ってしまうのである。
だから、私の人生はゴルフでいうと『ハンデイ10』で十分満足してしまうのである。
然し、単純なことなら頑張れる。日記も続いているしツイッターのフォロワーも48万人までなっているのは、やってることが単純で難しくないからである。
日記を書き始めたもう一つの理由は、
この年、『肺浸潤』を宣告されて、ひょっとしたらすぐ死ぬかも知れないと思ったからである。
最初の日記の第1日にこんな風に綴っている。
野球は結局止めずにいたので、肺浸潤ー肺結核ー空洞 にまでなってしまった。
川崎航空機には入社できたが、そこでも野球をやってたら、会社の医者に療養所に放り込まれてお蔭様で、1年で退院でき、結婚もできて、考えもしない80歳まで生き延びているのである。
そんなこともあるから、人間努力もあるが、その人の持ってる運がよければ大丈夫だと思っている。
今日は突然なぜ、こんなことを書いているのか?
2階の部屋を掃除して整理していたら、こんな万年筆がいっぱい出てきて、今は一番右を遣っているのだが、ほかのモノも十分かけるので、今までも使ってきたこんなペンたちも、使おうかなと思ったのがきっかけなのである。
どれも長い間お世話になった。ダメになって買い足したのではない。
何となく、こうなってしまったのである。
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