雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

コメントの返信   楠見幸信

2017-08-30 08:52:20 | 発想$感想

★ ちょっと旧い話だが、2008年に 『楠見幸信』というこんなブログを書いている。

   http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/b372b94c90a1dd7ba72d31a1d471f5ae

 

 そんなブログにこんなコメントを昨日頂いた。

  初めまして (末兼友美)2017-08-29 23:50:30こんにちは。楠見幸信を検索していたら、ヒットしたので飛んで来ました。私は楠見幸信さんの、奥さんの末の妹の娘になります。母は昔「金太郎」というあだ名で呼ばれており、叔母の渋谷の家によく行っていた様な事を聞いたことがあるので、もしかしたらご存知かもしれませんね。
幸信さんの2人の娘さんと私は従姉妹になります。今でも会う事があります。
…突然のコメント失礼いたしました。ついついネットで見つけた繋がりに、嬉しくなってしまいました。
私からするとかなりの大先輩とお見受けしますが、ブログをやられていて、ネットを使いこなしていらっしゃる。凄いですねー。

 

 最近のネットの世界の『検索』は素晴らしい。いろんなことが解るのである。

 

    

 

 これは貴重な写真だが、真ん中が父、抱かれているのが私、一番右が楠見幸信でその横が先妻さんである。

 私の祖母も写っている。明石市細工町の伯父(一番左廊下で立っている)宅での写真である。

 

上にあげたブログ「楠見幸信」は、母の兄で私の伯父に当たるのだが、子供の頃の朝鮮京城にいたころは先妻を亡くして独身だったので、我が家に一緒に住んでいた時期もある。

終戦間際に再婚したのだが、コメントを頂いた末兼友美さんは、その奥さん楠見満利子さん(字が違っているかも)の妹さんの子供さんのようである。その奥さんの実家も終戦直後は京城にあったので何回か遊びに行ったりした。

 

楠見幸信には私はいろいろお世話になった。高校3年の時に父を亡くし私の大学時代は母が独りで5人の子供の家庭を支えたのだが、当時いろいろと面倒を見てくれたのが楠見幸信なのである。

結構な有名人なのだが、ネットのない時代に亡くなってしまったので、私は世話にもなったし、何か足跡みたいなものを残しておこうとブログにアップしたのである。

楠見幸信、岡山の出身で岡山一中から甲子園にも出場している。

当時の東京六大学の慶応野球部に入部し、宮武・山下時代の黄金時代のセンターとして活躍し、当時のアメリカチームとの全日本のメンバーにも選ばれている。

戦後プロ野球が再開して国鉄スワローズ(今のヤクルトの前身)が出来た時には、初代の国鉄スワローズの総監督に就任しているのである。

息子や娘、孫たちがスポーツが得意なのは、こんな楠見幸信のDNAを幾らかでも受け継いでいるのだと思っている。

 

当時の6大学のことを綴ったこんな記事も見つけたので、ブログにアップしたりした。

 

六大学野球の黄金時代
 昭和6年と9年の米大リーグ選抜チームの招待は、日本中の野球ファンを熱狂させました。
昭和6年の日本選抜チームは全国のファン投票により38人が選ばれ、11人の選考委員によって35人が選考されました。全選手が東京六大学の現役、OB選手でした。

この6年組の選手のなかで後にプロ野球選手、または監督、コーチとなる人をここに記せば、昭和初期の野球が一目瞭然となりますのでご覧にいれましょう。
 
○投 手 宮武三郎(高松中ー慶大OBー阪急)、 若林忠志(本牧中ー法大ー阪神)、渡辺大陸(神戸二中ー明大OBー大洋)
 ○捕 手 小川年安(広陵中ー慶大ー阪神)、井野川利春(関西中ー明大ー阪急)
 ○一塁手 山下実(神港商ー慶大ー阪急)、松木謙次郎(敦賀中ー明大ー阪神)
 ○二塁手 三原修(高松中ー早大ー巨人)、横沢三郎(荏原中ー明大OBーセネタース)
 ○三塁手 水原茂(高松商ー慶大ー巨人)
 ○遊撃手 苅田久徳(本牧中ー法大ー巨人)
 ○左翼手 井川喜代一(高松中ー慶大ー東急)
 ○中堅手 桝嘉一(同志社中ー明大ー名古屋)、田部武雄(広陵中ー明大ー巨人)楠見幸信(岡山一中ー慶大ー国鉄)
 ○右翼手 杉田屋守(柳井中ー早大ーイーグルス)、永井武雄(神港中ー慶大OBー巨人)
 ○ピンチヒッター 森茂雄(松山商ー早大OBー阪神)
 
当時の都市対抗野球の人気のほどがわかります。
 なお、準決勝で東京倶楽部に4-3で敗れた全大宮(東京鉄道局)の監督は翌年巨人軍監督となる藤本定義(松山商ー早大)、エースは藤本と共に巨人入りする前川八郎(神港中ー国学院大)、1番中堅は後に国鉄スワローズの土台を作る楠見幸信(岡山一中ー慶応ー東鉄)でした。

★ここに名前が載っている人で、私が何らかの関係があったのは、山下実さん、神戸一中時代に何度かコーチに来られて指導を受けた。中学2年の頃である。大きな人だと思った。
前川八郎さんは兵庫県立工業の監督をされていて、私の明石高校時代しょっちゅう試合などや練習でもお会いした。楠見のことをよく言ってっておられたのだが、その時はなぜご存じなのかもよく解らなかったのである。

国鉄時代、金田正一と根来のバッテリーは特に伯父が面倒を見たようで、渋谷の伯父宅にもしょっちゅう遊びに来ていたようである。

私が高校時代、阪神との試合を観に行ったとき、甲子園の入り口まで、伯父に頼まれて家族優待券を持ってきてくれたのは、入団したばかりの新人の金田正一だったのである。私より1年上なのだが、めちゃ背が高いなとその時思ったのを覚えている。

 根来は会ったことはないが、根来の奥さんとはお会いしたことがある。楠見幸信は次男だが末弟の楠見昭三は昭和3年生まれで叔父だが私とあまり年も違わない。

その楠見昭三の奥さんは、あの細川護煕さん夫人細川 佳代子さんの3人姉妹の長女で、もう一人が根来の奥さんなのである。多分伯父の渋谷宅でも出会ったのではないかと思っている。

楠見昭三夫妻が母を訪ねてこられた時の神戸で会食をしたのだが、その時確かオリックスの二軍の監督かコーチを根来さんがされてたので、お見えになったのだと思う。

名前は忘れてしまったが、楠見幸信の娘さんお二人には、東京モーターショーの時に何度もアルバイトで手伝って貰ったりした。当時は東京出張時、渋谷の伯父宅に泊めて貰っていたので、よく知っているのだが、名前を忘れてしまうのはダメだなと思っている。

このブログ、昨日コメントを頂いた 末兼友美さんへの返信のコメントの積りで書いている。

 

 

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川崎航空機時代

2017-08-30 06:17:29 | カワサキワールド

★ 田崎さんが昨日こんな写真を送ってくれた。

 

古い写真です。 皆で仲良くゴルフを楽しんでいました。(常務から平社員まで一緒です。)

柿沢さん、 中村治道さん、土井さん、清水屋さん、壱岐さん、田中 誠さん、谷岡さん、岩城さん、山田エンメイさん、塚本さん、井出さん、などの顔もあります。

ちょっとピントが悪い写真ですが、拡大して、知り合いを探して見て下さい。

 

 こんなコメントが添えられているのだが、

 

    

 

   

 

   

 

  常務から平社員まで一緒です。

  とコメントされているが、田崎さんも未だ多分平社員の頃かも知れない。

 当時の川崎航空機は、上から下までそんなにムツカシイ関係ではなく、非常に自由な雰囲気があった。

 私は、昭和32年田崎さんは昭和33年(1958)の入社なのだが、まだその頃はアメリカ空軍の東洋で唯一のジェットエンジンオーバーホール工場があって、そんな時代に事務所にカフテリアがあったり、IBM室があったりしたし、IBM室はエアコン完備だったのである。

当時そんなことは日本では考えられなかった時代なのである。IBMという会社はまだ日本にはなかったし、IBMが日本に入ってきたのは東京オリンピック前後のことだから、その10年も前の時代である。

 

 川崎航空機工業は 戦前からある企業だが、軍事産業ということで戦後長い中断があり、それぞれの部門が高槻や、播州や岐阜などそれぞれで分散してやっていたものが、昭和27年に再開されて、いろんなところに分散していた人たちが集まって川崎航空機工業となったのである。

 昭和32年当時は、神戸に本社があり、岐阜と明石に工場があって、元々明石はエンジン工場、岐阜は機体工場だったことから、明石工場ではジェットエンジンや、発動機のエンジン、歯車ミッションなどの生産が主体で、いまのロボットなども基礎研究課でやったりしていたのである。岐阜はバスボデーなどやっていた。

 旧い会社だが、みんなが集まって新しく発足したので、会社自体の雰囲気も非常に新しかったし、特にジェット部門はアメリカ流の生産管理システムや、IBMシステムがあって非常に進んでいたし、アメリカ軍人もいたので、何となくアメリカ的な自由な雰囲気もあったのだろうと思う。

 私が入社した昭和32年ごろは、財産課に配属されたのだが、財産管理台帳も碌に揃っていなかったし、会社も未だ苦しかったのだろう。ジェットエンジン工場の財産物件は、普通は1万円以上が財産物件なのだが、新設工場ということで300円以上のものをすべて財産物件に計上したものだから、すだれやバケツの類まで財産物件に計上されていて、私はその『工具器具備品』の担当をしたものだから、償却計算をする量は圧倒的に多く、1年中、手まわしのタイガー計算機を回して償却計算をしていたのである。

 そんな償却計算の機械化が出来ないかと、入社2年目IBMでの償却計算システムを検討し、岐阜も本社も巻き込んでの機械化をやったのだが、新入社員がそんことができる自由な雰囲気があって、まだ岐阜と明石でいろんなことが統一されてない時期に、償却計算だけが『全社統一』で完成したのである。多分日本で初めての『IBMによる償却計算』だったはずである。

 1年以上掛ったが、償却計算の機械化が出来ると財産課で償却計算する人員が要らなくなって、私は昭和36年に初めてできた単車営業部門に異動することになったのである。

 

★写真に写っている時期は、多分 1970年初頭だろう。

その頃、日本にもゴルフブームが始まって、一斉にゴルフをする人ができて、常務から平社員まで一斉にゴルフを始めたと言ってもいい。 みんなが新人だから、先輩・後輩なく一緒に楽しんでいたのだと思う。

このころは、私はまだ営業の第1線にいて、ゴルフなど始めていない。現場で一生懸命動いてるのに、明石では『ゴルフなどしやがって』と文句を言ってた頃である。今は、Z1会のゴルフ会の会長をされている大槻幸雄さんや、技術部長をされてた高橋鐵郎さんなども、文句を言われる立場で『ゴルフのクラブ狩り』をやらねばならないなどと言ってた時代だった。

そんなことで、私がゴルフを始めたのは40代半ばだし、高橋さんや大槻さんは50代になってからだと思う。

 

★それにしても、ここに写っているメンバーは懐かしい。

 カワサキの二輪事業の創世期を支えた人たちばかりである。

 私が二輪営業にきたころの直接の上司が壱岐敏さんだし、田崎さんの仰る中村治道さんが、あの『青野ヶ原のモトクロス』の旗を振られたのである。

 田崎さんも、Jet から単車にやってきて、桑畑さんの下で、JET流の最先端の生産管理システムや、部品在庫管理システムなど、日本の最先端のノウハウを駆使して、カワサキの単車事業のシステム構築に尽くされているのである。このメンバーではJETの総大将とも言える苧野豊秋さんもいるし、KMCの初代社長の岩城良三さんもおられる。当時の技術部長で創成期のレースを一緒にやった山田熙明さんもおられる。

 

私のカワサキの二輪事業ではいろんな部署を経験しているがその異動の指示はみんなこの写真に写っている方の指示なのである。

 ● 初めての営業仙台事務所を創れと指示されたのは 岩城良三さん。 (1966)

 ● その東北から、大阪に異動した指示は、田中誠さん (1970)

 ● その後カワ販本社に戻ったのは、田中誠社長と当時の苧野専務の指示 (1973)

 ● その後、川重に戻り、アメリカのダンピング対策でカワ販常務に動いた時の事業本部長が塚本碽春さん (1978)

 ● 単車事業本部の危機と言われた時期、企画部長に戻れと指示されたのが当時の山田熙明専務 (1981)

 ● それ以降の私の人事は、それまでずっと一緒に動いてきた高橋鐵郎さんの人事なのである。 (1987~)

 

★ こうしてみると、カワサキの二輪事業は、かっての川崎航空機のメンバーたちが創り上げた事業だなとつくづくそう思う。

そして、結構早い時期から、田崎さんとは『コンビを組んで』といってもいいほど長くいろんなことをやってきたなと思っている。 別に、そんなに『気が合った』かどうかは別にして、二輪事業では間違いなくお互いが『認めあいながら』やってきたなと思っている。

 そして、田崎さん、4年間ほど体調悪くて臥せてたのに、今年の1月『奇跡的に復活して』私とのネットでのコンビもまた『復活した』そんな感じなのである。

 田崎さんとはもう50年以上のお付き合いで、川崎重工業の社長までされた田崎さんだが、幸いにして年次は私の方が1年先輩なので、田崎さんもそのように接してくださっているのである。

 そういう意味では、独特の「ご縁がある」のだと思う。

 川崎航空機時代、お互いその頃のままの関係が今でも続いている。

 

 

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