『兵庫メグロの西海さん』
カワサキのレースの黎明期に、本当にお世話になった。
そんな西海さんが、突然亡くなられた。
thiraiさんが昨年から『兵メ』でお世話になっていて訃報もthiraiさんから連絡があったのである。
カワサキがまだ、『レースのいろは』すら解らなかった時代に、
カワサキのレース活動にいろいろと具体的に助言をして頂いたり、具体的に動いて頂いたのは、
西海さんなのである。
西海さんが居られなかったら、
カワサキのレースはまた違った道を歩んだであろう。
多分あんなに発展したレース活動にはなっていなかったと思う。
西海さんは、その頃はすでに引退はしておられたが、
兵庫メグロを経営されると同時に、かっては『オートレース』のプロライダーでもあった。
そんな経歴が、当時の神戸木の実を主宰する片山義美君なども、一目も二目もおく存在であったのである。
そんな関係で、カワサキの初期のモトクロスの契約ライダーとして、
神戸木の実所属の山本隆(60おじさん)や歳森康師がカワサキに来たのだし、
金谷秀夫が最初に乗ったメーカーもカワサキだったのである。
ライダーだけではなしに、カワサキの名物メカニックであった故松尾勇さん、
カワサキのF21Mは、松尾さんが独りで造ったようなものだが、
その松尾さんは、西海さんの兵庫メグロからレースをやるために川崎航空機に来られたのである。
カワサキのファクトリーとしての最初のレースと言われる、
青野ヶ原のモトクロスも、実質西海さん主催みたいなもので、西海さんが居られなかったら、実現はしなかったと思われる。
この写真にも載っている『飯さん』からも、『西海さん亡くなった』と連絡が入った。
みんな昔からの仲間なのである。
西海さんがレースのことで一番密接に繋がっていたのは、
山田さん(元川重副社長)やこの写真にも載っている中村治道さんなのだが、お二人ともちょっと出席できないのは寂しいことである。
逆に言えば、そんなに昔のことになってしまったのである。
もう20年も前に、レースチーム結成25周年を記念して開いたレースOB会のときの写真である。ちょっと小さくて見えにくいが、
山田、高橋両元川重副社長の真ん中に居られるのが西海さんである。
このときは元川重社長の田崎さんも2列目である。
星野一義や清原明彦もいるがOBとしては末席のそんな時代であった。
60おじさんも、thiraiさんも、金谷秀夫も勿論いるし、Z1会の大槻さんもいる。
来年の年明けには、キヨさんが幹事で、このとき以来のOB会をやることになっている。
そんな風にまだ続いているお付き合いである。
そんな人の繋がりの、真ん中に居られた『西海義治さん』
有難うございました。安らかにお眠り下さい。
最後までお読み頂いて有難うございました。
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カワサキのレースの黎明期に、本当にお世話になった。
そんな西海さんが、突然亡くなられた。
thiraiさんが昨年から『兵メ』でお世話になっていて訃報もthiraiさんから連絡があったのである。
カワサキがまだ、『レースのいろは』すら解らなかった時代に、
カワサキのレース活動にいろいろと具体的に助言をして頂いたり、具体的に動いて頂いたのは、
西海さんなのである。
西海さんが居られなかったら、
カワサキのレースはまた違った道を歩んだであろう。
多分あんなに発展したレース活動にはなっていなかったと思う。
西海さんは、その頃はすでに引退はしておられたが、
兵庫メグロを経営されると同時に、かっては『オートレース』のプロライダーでもあった。
そんな経歴が、当時の神戸木の実を主宰する片山義美君なども、一目も二目もおく存在であったのである。
そんな関係で、カワサキの初期のモトクロスの契約ライダーとして、
神戸木の実所属の山本隆(60おじさん)や歳森康師がカワサキに来たのだし、
金谷秀夫が最初に乗ったメーカーもカワサキだったのである。
ライダーだけではなしに、カワサキの名物メカニックであった故松尾勇さん、
カワサキのF21Mは、松尾さんが独りで造ったようなものだが、
その松尾さんは、西海さんの兵庫メグロからレースをやるために川崎航空機に来られたのである。
カワサキのファクトリーとしての最初のレースと言われる、
青野ヶ原のモトクロスも、実質西海さん主催みたいなもので、西海さんが居られなかったら、実現はしなかったと思われる。
この写真にも載っている『飯さん』からも、『西海さん亡くなった』と連絡が入った。
みんな昔からの仲間なのである。
西海さんがレースのことで一番密接に繋がっていたのは、
山田さん(元川重副社長)やこの写真にも載っている中村治道さんなのだが、お二人ともちょっと出席できないのは寂しいことである。
逆に言えば、そんなに昔のことになってしまったのである。
もう20年も前に、レースチーム結成25周年を記念して開いたレースOB会のときの写真である。ちょっと小さくて見えにくいが、
山田、高橋両元川重副社長の真ん中に居られるのが西海さんである。
このときは元川重社長の田崎さんも2列目である。
星野一義や清原明彦もいるがOBとしては末席のそんな時代であった。
60おじさんも、thiraiさんも、金谷秀夫も勿論いるし、Z1会の大槻さんもいる。
来年の年明けには、キヨさんが幹事で、このとき以来のOB会をやることになっている。
そんな風にまだ続いているお付き合いである。
そんな人の繋がりの、真ん中に居られた『西海義治さん』
有難うございました。安らかにお眠り下さい。
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